クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

秩父主稜縦走物語

久しぶりに雲取山から甲武信ヶ岳方面に縦走してきた。

週末の天気予報を見ると晴れが連続していて、おまけにくそ暑いときていた。暑いのは嫌いなので、山へ避難することにしたわけだ。唐突な思い付きなので、高い山は止して低山で、それなりに涼しそうという理由で雲取山にした。思えば無雪期に雲取山へ行くのは13年ぶりだ。

 

奥多摩駅に着いたのは6時30分。バスにはずらりと行列ができていて、さすがは東京だ、と思ったのだが何かがおかしい。そのバスには「東日原」と書かれていて、私の目指す鴨沢行ではなかった。鴨沢行のバス停に行き、時刻を確認するとなんと1時間後である。前日、突然決めたとはいえ迂闊だった。昨夜見た時刻表は平日用だった。

「どこ行くんだ?」

少し変わったイントネーションが後ろから聞こえた。見ると160cmもないくらいの小柄なオジサンが立っている。

「鴨沢まで」

「それじゃあ途中だな。俺は丹波まで行くんだ。乗っけてってやろうか?」

「いいんですか?」

「あんたは?」

オジサンは隣にいたお姉さんにも声をかけた。お姉さんは黒い中型のバックパックを背負っている。

丹波まで」

お姉さんは少したじろいだようだった。まあそれはそうだろう。オジサンは凶悪そうには見えないが、綺麗とは言いかねるキャップの下に太い眉、皺の寄った顔で、こう言ってはなんだが気品があるとは言い難かった。

しかし、お姉さんの躊躇など意に介さない風に、「ちょっと待ってくれ」と言ってオジサンは自動販売機で缶コーヒーを買うと、「車はあのバスの前に止めてるんだ」とわれわれを誘った。

 

車は日産のMOVEで、こう言っては何だが、オジサンの雰囲気にはマッチしていた。荷物を後部に積み、私が助手席、お姉さんは後部座席に乗り込む。オジサンがエンジンをかけると、それまで聞いていたのだろうノリの良い洋楽が流れ出した。オジサンはわれわれを気遣って、少し音量を下げたが、このオジサンの見た目の雰囲気とは明らかに違う。

 「どっから来た?」

 私が住まいの場所を告げる。

「おー都会だねー。あんたは?」

後部座席に声をかける。

お姉さんの住まいは実は私と同じである。駅のホームで見かけて、ずっと同じ電車に乗って来た。駅でマットを付けたバックパックを見て「どこに行くのかな」と考えていた。

 オジサンは特にその偶然には触れず、

「俺の生まれは神田なんだ。ただ先祖は秋田。秋田の武士なんだ」

唐突に語り出すので少し意表を突かれた。初対面の人に先祖の話をする人はなかなかいない。「へー」と返すしかない。

「定年まで働いて延長もできたんだけど、上司が嫌な奴でね。今はアルバイトしている。親戚の会社にも誘われたけど、しがらみが付いちゃうから」

「誘われるだけいいじゃないですか」

「横田の基地で働いていたんだ。上司はアメリカ人。最後のがとんでもない奴で、一度御殿場まで出張することになった」

 「そういや御殿場に演習場ありますね」

「泊まりで行かせてくれるかと思ったら日帰りで、高速を150kmで飛ばしやがる。軍の車だからナンバープレートも特別で捕まったりしないんだ」

なんとも恐ろしい話。しかし実際そこで働いてないと知らない話だ。何の仕事をしているかわからないが、米軍に雇われていたのだから何らかの技能があったのだろう。

 

「嫁さんは今韓国に行ってるんだ。2泊4日で」

このオジサン、急に話題を変える。

「嫁さんは中国国籍で香港にいたんだ。イギリスか中国で選べて、中国を選んだ。英語、中国語、日本語ぺらぺらなんだ。俺も対抗しようと思って中国語やったけど、漢字が読めなかった」

簡体字ですからね」

「中国語で私はウォ(我)って言うんだ。だけどダメだね。娘は3か国語しゃべるよ」

このオジサン、見た目に似合わず国際一家らしい。

「嫁さんの実家は◯◯(聞いたけど忘れた)というところなんだ」

「どの辺ですか?」

「省で言うと山東省。青島の近くかな。今はもうないけど凄い家で、日本名でトウエンメイという人の屋敷だったらしい」

「誰ですか?」

「トウエンメイっていう文筆家で、皇帝に逆らった人だ。トウは陶器の陶で、エンは燕」

陶淵明なら知っているが、漢字が違う。何より時代が古すぎる。陶淵明は西暦400年くらいの人だし、山東省なわけがない。よくわからん。

 

「年金もらうようになったら八丈島で暮らそうかと思うんだ」

「いいですねぇ」

「飛行機なら1時間半なんだ。娘がANAにいて往復で10500円くらいで行けるんだ」

家族にもそんな役得があるのか。

まとめるとオジサンは米軍基地で働いていて、奥さんは香港出身の中国国籍、娘はANAで働いていて、奥さんと娘は3か国語万能で、オジサンももちろん英語は達者。

聞けば聞くほどエリート一家であるので、そのオジサンの顔からは何気ない気品が感じられたかというとそうでもなく、見れば見るほどただのオジサンなのだった。

 

オジサンのおしゃべりは果てがなかった。

30分ほどのドライブで車は鴨沢に着いたが、停車するまで何か話そうとしていた。よほど話に飢えていたのかもしれない。

そうかと思うとオジサンは、私が荷物を後部から下ろすと車内から手を振ってさっさと行ってしまった。

長々と書いたのにまだ登山口に着いたばかりだ。

ものぐさ経済論

4月から仕事が忙しくなるにつれて食事がひどく単調になってきた。一番多いのは寸胴鍋に湯を沸かし、生姜と塩で野菜や魚・肉をぐらぐら煮るだけ。味に変化を付けたい時はニンニクやハーブソルト、オリーブオイルを加えたり、白だしを入れて和風にしたりする。

毎日自炊は面倒ではないかという意見もあるだろうが、私は毎日外食する方が面倒だ。野菜をざく切りして米を炊くだけなら20分でできる。慣れれば帰宅してシャワーを浴びつつ、着替えつつ、食事を作って食べるまで30分くらいで完了する。

とにかくできるだけ寝たいという「ものぐさ願望」のなせる業なのだ。

 

*****

 

全自動掃除機「ルンバ」は「ものぐさ」の発想から生まれたものに違いない。

「あーあ、家出ている間に誰か掃除してくれないかなー」

という願望をそのままかなえてくれる。

その頃、吸引力やクリーンな排気など、高性能化に執着していた日本メーカーは「働き者」の発想で製品開発を行っていたとしか思えない。毎日掃除機の開発をしていれば、必然的に掃除機が好きになり、掃除が好きになる。そして「日本人はきれい好きだから、掃除が好きに違いない」と考えるようになる。さらに「きれい好きの日本人に支持される掃除機なら世界にも通用するに違いない」と論理は飛躍していく。

ところが、世の大半の人は掃除なんか嫌いなのであり、「そこそこ」きれいになれば十分で、そのニーズをいち早くつかんだ商品がヒットしたわけだ。

 

*****

 

会社の同僚(20代半ば、女子)に「ものぐさ」がいる。

休みの日に何をしているかと訊くと

「合コン行かない時は家から出ません」

「部屋で本でも読んでるの?」

「本ってめくるの面倒くさいじゃないですか。YouTubeならめくらなくていいんで、寝たまま見てます」

ここまで来ると落ちた餅を拾わない本家「ものぐさ太郎」と争うくらいだ。そんな彼女が動かないわりに今のところ太らないのは「食べるのも面倒くさい」からだと言う。

 

*****

 

 今更だがAmazonはすごいと思う。今から十数年前、Amazonと言えば「どんなにマニアックな学術書でも買うことのできる本屋」という認識だった。それが数年前には「どんなものでも注文できる万屋」になっていた。

私も一眼レフカメラ、本、データサーバー(会社の備品)などいろいろを買った。店舗で買うメリットは手にとって見れる、すぐに手に入るといったことがあるが、考えてみれば多く工業製品は手に取ってから購入しなくても良いし、データサーバーなんて重くて持って帰るのが煩わしい。

ワンルームマンションで暮らしていた時は段ボールの収集場所にしょっちゅうAmazonの文字を見た。そのマンションは単身赴任が多く、車を持っている人はかなり少数なのだが、地下鉄駅から徒歩3分なので日常的には必要ない。しかし、少し大きめのものを購入すると持ち帰りは不便なので宅配込みのAmazonは非常に重宝されていたようだ。エントランスではヤマトの配達員としょっちゅう遭遇した。

私は受け取りが面倒なのでたまにしか使わなかったが、家から出たくないものぐさには非常にありがたい存在には違いない。

 

*****

 

発明品というのは「こんなのあったら便利!」という発想から生まれるのだろう。ところが、ここ最近の発明品は便利ではなく、手間を省く、「ものぐさ発想」から始まっている気がする。

大前研一さんの本にしばしば「低欲望社会」という文言が出てくる。今の若年層はマイホーム、マイカーに興味はなく、食事も簡単に済ませる。私はこれらの条件には思い切り適合した人間となっている。

一方で、個人資産のほとんどを所有する高齢者も「長生きしたらお金が足りなくなる」など何となく将来に対する不安を抱えていてなかなか貯金を切り崩したりしない。そして、定年後はお金のかからない趣味として山歩きなどを始めたりするのだ。山歩きをする点においては私は高齢者側にも属している。

 欲望が少なくなっている現代における需要は「こんなもの欲しい!」より「こんな面倒なことしたくない!」の方が多くなるように思える。バイタリティーに溢れる人が「どうだ!」と開発しても活力のない人には響かない。電話帳みたいな取説の付いた家電などその典型だ。私などいまだに冷蔵庫の扉に付いたボタンの意味を理解していない。多分、特定の引出しで急速冷凍とかできるという機能のような気がするが、分厚い取説を読まないといけない段階で嫌気が差していまだ放置している。

 テレビのリモコンも多機能だ。私のようにテレビを持たない人間は実家に帰るとDVDの見方もよくわからない。パソコンのセットアップはデスクトップ・ノートとも何度もやったので大丈夫だが、自宅にはないテレビの操作方法をいちいち覚えるのが面倒なのだ。

iPhoneを初めて手にした時に感動したのは、便利さではなく取説がないことだった。「噂には聞いていたが、本当にないんだ」と。全世界的にはAndroidが主流だという。私見だが、日本でiPhoneが人気なのはデザイン性もさることながら、操作のわかりやすさではないかと思う。Androidの汎用性より頭を使わずに使えることが日本でヒットした要因ではないだろうか。

 

日本人は勤勉だと言われる。しかし、仕事熱心な人が開発した商品やサービスが必ずしも優れているわけではない。仕事を愛するがあまり、複雑で使い手の意識が及ばないほど高機能になっていたりするのだ。

時々は「ものぐさ発想」になって考えてみると面白い発明が生まれるのではないかと思ったりする。

いろいろ経済学

最近個人的に読書ブームである。それというのも引っ越して図書館が近くなったことによる。今までだったら絶対買わなかったジャンルの本も図書館でなら手軽に手に取れる。しかも立ち読み、座り読みも自由。どうしても最新版を読めないのは残念だが、タダで読んでるんだから文句は言えない。

 

今日は適当に手に取った本を読んで仰天した。

ここのところ経済に興味が行っているので、日本経済についての本なのだが、パラパラとめくると、「日本がデフレ不況を脱却するには」とある。

ふむふむ。

「緊縮財政はダメだ」とある。

なるほど。

この人は財政出動の推進論者なのね。それで何に財政出動するの?と思ってページを進めると「国防費と公共事業を減らすな」とある。

えー!なんでそうなるのよ。

公共事業を減らすと建設業が衰退して自力でビルの建てられない国家になってしまうそうな。

さらに本は語る「国の借金なんて気にするな」。誰がその借金払うんじゃい。

 

私は経済については素人だが、この著者はここのところ読んでいた大前研一さんとか辛坊治郎さんなどと全く真逆のことを言っている。しかし、この方何冊か本を出しているらしく、社会コーナーにも著書があった。何が書いているのだろう。

大きな政府を目指せ」

まあ財政出動論者だからそっち側に立つのは当然だろう。ただ、その論拠は第一次世界大戦後のフランクリン・ルーズベルト大統領だという。1930年代って古すぎるでしょう。そんなケインズ理論の大昔の実例を出してきて今の日本のお手本ですって正気かいな。

本の裏をめくると、2011年発行とある。著者もそんなに年配ということもない。

 

あーびっくりした。今朝ブログをアップして全く真逆の意見に出会うとは思わなった。

私は公共事業すべてを否定するわけではない。しかし、その公共事業が社会の効率性に持続的に寄与しないのならやるべきではないと思う。建設業を守るためだけに不要なビルを建ててどうするというのだ。

もちろん、有効に活用されるものなら作っても良い。ただし、そんな有効な投資なら何も国がやる必要はない。民間でやれば良い。問題は有効な投資が見つからないことなのだ。

 

それにしても国防費を上げれば本当に経済が活性化するのかねぇ?国防予算は経済とは別次元の話のような気がするが。

大学時代に受けたマクロ経済学の講義で「蚊のいる国」というテーマがあった。

「蚊のいる国といない国があるとします。蚊のいる国では蚊取り線香や塗り薬などいろいろな蚊対策のための産業が発達しました。一方のいない国にはそのような産業は発達せず、失業率は高いままです」というのがおおよその内容だったと記憶している。要は無駄と思えるものも産業として成立すれば雇用を生み出せるということだった。

しかし、これから(というか「もう」少子高齢化社会なんですぞ。無駄を生み出す余裕なんてあるのですか?

 

世の中いろいろな意見があるものだ。

利益とは何だろう?

最近、大前研一さんの本と立て続けに読んだ。大前さんの本は経営・経済の話だけかと思いきや、政治や果ては憲法改正議論まで広がっていて、今更ながら見識の広さに驚く。何冊か読んだが、読んで感心しているだけでは怒られてしまう。「ちょっとは自分で考えてみろ」と。

そこで、新しいカテゴリーとして「経済」を作ってみた。何しろ雑文だらけのブログで、テーマは不在。この「経済」カテゴリーもどのくらい書き続けられるか不明ではあるが、ちょこっと考えたことを綴ってみようと思う。

ちなみに、私の大学時代の専攻は歴史である。まったくどうしようもない素人だ。

 

さて、大多数の人は毎日金銭を手にする。山奥で完全自給自足という人は日本においては現実的には難しい。現金を手にしなくても、電気を使えば電気代が、水道を使えば水道代が日々発生していて、いつの間にか口座から引き落とされたりしている。

当然、金銭を使うためには稼がなくてはならない。つまり利益が必要だ。しかし、「利益」とはそもそも何なのだろう。「売上と売上原価の差し引きが売上総利益です」というのは会計の定義であって説明ではない。

この問いに答えられる人はどのくらいいるだろう。

企業では当然のように利益を上げることが重視されるが、利益とは何かがわからなければ、利益をなぜ上げなくてはならないかもわからないし、どうすれば利益が上がるかもわからないではないか。

 

たまたま図書館で開いた『グロービス MBAファイナンス』という本のコラムに面白い記事が載っていた。著者が新入社員時代に同僚の女子職員が課長に「どうしてそんなに利益を上げないといけないのですか」と訊いたという。訊かれた課長は真摯にその問いに答えようとしたものの窮してしまい、正直に説明できないと詫びたという。

著者としての説明は以下の通りだ。少し引用してみる。

「経済学的に言うと、すべての経済的な問題は財(ヒト、モノ、カネ)が希少であるということから生じる。(中略)財が希少である以上、できる限り効率的な方法で利用しなければならないはずだ。そして、市場メカニズムが機能している環境において、効率性を実現しているというシグナルになるのが儲けなのである」

なるほど納得である。

真偽は少し怪しい鯖街道を例にしてみよう*1

越前で水揚げされた鯖が1000匹あったとする。ただし、現地で消費できるのは800匹。鯖は特に足が早いので、早く食べないと腐ってしまう。そこで、ある足の速い(こっちは本当の意味で歩くの速いってことね)行商人がこれを内陸の京都に持っていけば売れるに違いないと考える。行商人は港で鯖が水揚げされるや否や漁師から鯖を受け取り、塩を振って藁に挟んで背負子に乗せると南へ向かった。そして昼夜、山間部を歩き通して京都の市街に着き、市を広げると、海の魚をなかなか見ない京都人が殺到し、瞬く間に高値で売れてしまった。

この行商人が得た利益は何だったのだろう。昼夜を歩き通した対価?京都で鯖は高く売れると読んだ先見?

確かにそれもあるが、先の引用から考えると、この行商人は越前で下手をすれば腐ってしまうかもしれない鯖を京都で有効に消費させることに成功している。儲けは歩いたことの報酬ではなく、鯖を効率的に活用したことにある。

そう考えるとなかなか面白い。教育はヒトという財を効率的に活用するための事業であり、貸金はカネを効率的に活用することに対して利息を取っていることになる。

 

それでは、高度経済成長期以降も全国にたくさん作られたダムを造ることはどうなるだろう。

ダムを造るには人手が必要なので、現地に雇用が生まれ、ヒトが活用される。そして建設資材が必要なので、大量のモノが持ち込まれる。ついでに公費としてカネが現地に落ちる。そしてダムが完成する。ダムができた後は...

ないのである。もはや重工業は大量の水を必要としないし、発電と言っても建設費用をペイできるほどのものではない。作ったらおしまいの完全な袋小路に入った事業、しかもそれはすべて企業や個人の「儲け」の上前をはねた税金によってまかなわれている。

これは市民サービスとして作られた多くの箱ものも同じである。

この袋小路に浪費されていないかを市民、国民は監視しなくてはならないのだ。

 

経済というなんだか難しい話だ。私もその先入観があったので、経済学部や商学部を志望することはなかった。

しかし、ザックリ考えると社会を効率的に循環させるのが経済であり、私たちは効率化した人にカネを払って生活していると考えればわかりやすい。

はたして私は社会をどのくらい効率化しているのだろう?

*1:鯖街道」は観光の目玉として作り上げられたものであり、実際に鯖を運んだ事実はないという説もある

BLUE ICE YETI 50をレビューしてみる

ゴールデンウイークに二泊三日で北アルプスを縦走してきた。上高地から蝶ケ岳、常念岳大天井岳、燕岳に繋げて、夏にはまあまああるコースではある。天候が持ちそうなので、残雪期にそれを持ち込んだ次第で、それほど目新しいものではない。天候の安定した3日間を選んだので、山行は滞りなく終わった。体力が落ちていて途中で滞るというかあきらめて下山しようかと思ったのは1度や2度ではなかったが、とりあえず今は完遂できたことに満足している。

 

さて、今回いつもと違うバックパックを持って行った。BLUE ICEのYETIというモデルである。

BLUE ICEというメーカーは日本では馴染みがない。フランスで2008年設立というからまだ新進だと言える。フランスのバックパックと言えばMillet(もちろんミレーね)がエヴェレストの世界初登頂から鳴らしているわけで、私も実物を見るまで全く知らなかった。

見た目は極めてシンプルなクライミング用で、華美なオプションはなく好感が持てた。ちなみに、本製品は私が購入したわけではなく、今回は所有者の了解を得て持ち出したものだ。さらに断りを入れると、ヘルメットも借用したが、こちらは了解を得ていない気がする(ごめんなさい)。

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上高地にて、荷物パンパン


 今回使用したYETIというモデルは50L。軽量化に慣れたクライマーなら十分な容量だろう。私はクライマーではないが、冬でもこれでなんとかなりそうである。

 

1つ問題があるとすれば、1気室で形は寸胴型。つまり、上から底部までほぼ同じ太さであることだ。

私は最低部にシュラフ、その上にクッカーや着替え、加熱の必要な食料や予備の手袋を入れ、その上にテント、最上部に水や行動食というパッキングにした。ただ、中間部に隙間ができてしまい、最上部はパンパン。なかなかパッキングに苦労した。

普段使っているpatagoniaのascensionistは底部が小さく、上部が広いので、上から押しこむことが容易なのに対して、このYETIはいったん入れてしまうと内部の収まりを調整することができなかった。

少し慣れの必要な玄人向けと言えるかもしれない。

 

バックパックの構成はいたってシンプルだ。

雨蓋があって、開けると下の写真のようになっている。ナイロンベルトと紐で上部を閉めることができる。

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雨蓋をはずとこんな感じ

シンプルなようで、ナイロンベルトで脱いだ上着を挟み込むこともできるし、紐は引っ張るだけで閉まる方式(プラスチックのつまみを操作する必要がない)なので、片手で操作ができる。

今回、風は穏やかだったのだが、シビアな環境ならより恩恵があるだろう。

 

背負い心地はまあまあというところだろう。

ライミング用なので、肩パッドもウェストベルトも少し華奢なので、体全体に密着させるようにすれば荷重が分散する。背中は意外としっかりしているし、汗でべとつくこともない。

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バックは意外としっかりしている

ただ、背中の大きさが合うかどうかでかなり背負い心地は変わると思う。背面長が合わないと肩にだけ荷重がかかる恐れがあるので、万人には合わないかもしれない。

 

ポケットは3ヶ所付いている。雨蓋の裏と表に1つずつ、雨蓋の下の本体に1つ(1枚目の写真でピッケルと装着している先あたり)。雨蓋の表側はコの字型に開くジッパーで物が取り出しやすかった。開けっ放しにすると落としやすいとも言える。

本体のポケットにはレインカバーを入れてみたが、内部に入れたものが飛び出すのであまり使えない。せいぜい手ぬぐいなどの厚みのないものを入れるべきだろう。

ちょっと改善してほしいのはピッケルやストックを付けるゴム紐。毎度感じるのだが、ゴム紐ではブラブラする恐れがある。そこまで軽量化しなくてもと感じるのは私だけだろうか。

あとはサイドのナイロンベルトがやや短い。THERMARESTのマット(ショートサイズ)がギリギリ挟める程度なので、レギュラーサイズは無理。エアマットを使えということか。

 

いずれにしてもなかなか良かった。もうちょっとパッキングを考えればより使い勝手がよくなるだろう。というのだが、これは借り物なのだ。

便秘のなり方

せっかくの連休だからということで、上高地から蝶ヶ岳常念岳、燕岳まで縦走してみた。天候には恵まれて、撤退する理由が見つからないのは良かったが、久しぶりのテント泊装備で体力低下が顕著に現れ、3日ともヨレヨレのヘロヘロになった。

縦走の話も書きたいが、ちょっと唐突に便秘の話を書いてみたい。


普段私は比較的お通じが良い方なので、便秘やお腹がゆるい人の話を聞いても「へー、そー」くらいの反応しかしない。

1日1回、規則正しく我が身を離れていく。だいたい朝7時くらいで、会社に出社したくらいの時間だ。定時まで余裕があるので、会社のトイレで悠々用をたす。家のトイレも汚れず一石二鳥なのだ。

その一石二鳥が崩れるのは、休日で、しかも登山に行くというのは皮肉な話だが仕方がない。


山に行くには当然早起きしなくてはならない。始発に乗るには4時起きは当たり前。今回は3時半に起きてシャワーを浴びてから家を出た。

電車はまだガラガラなので、まどろみながら目的地を目指す。ちなみに今回は上高地へ行くのに、高尾、大月、甲府、松本、新島々で乗り換えた。ちょっと多過ぎる。

時報のような下腹部のお知らせは甲府で迎えた。中央本線の良いところは車両にトイレが付いている。これがないと山より先に身体が風雲急を告げるところだが、まあ登山初日は列車のトイレにて一件落着である。


しかし、登山は2日目からが問題である。3000m峰は大概2日目に登頂を目指すからだ。

今回も1日目に蝶ヶ岳には登ったが、真打は2日目の常念岳を据えていた。2日目は3時半起床、5時前にテントを撤収して出発。登ったり下ったりを繰り返す。

7時の時報が鳴る頃にはまだ常念岳の前でジタバタしていた。お腹の方には「今は構ってられないからちょっと黙ってろ」と言い含めると不承不承引き下がった。その後、お腹がヘソを曲げたのか、おならが何度か出たくらいで、その後は何の音沙汰もない。


登山3日目になると私も気持ち悪くなる。別にお腹が痛くも腹が張るでもないが、毎日規則正しく出て行くものが溜まってるのは心理的に気味が悪い。

3日目も2日目と同様に3時半に起き、今度は4時に出発。一度喝を入れたらお腹の方はもうお知らせをしてくれなくなった。

ここを冷静に分析すると、ヘソを曲げたというか、おそらく身体の水分量が少ないので、肝心の物が直腸を刺激していないようだ。

私は毎日かなりの水分を摂る。朝起きてコップ3杯くらいは普通。会社に着くなり水1杯とコーヒー1杯。それからのべつ水ばかり飲んでいる。水呑社員とは私のことだ。


今回のルートは上高地から徳沢までは梓川沿いを歩くが、そこから長塀尾根に入ると水場はなく、蝶ヶ岳ヒュッテでも1L200円で売られていた。

ただ金が惜しいわけではなく、今回あまり水を飲まなかった。まず稜線は寒い。2日目は時折風が強く吹いて、なかなかバックパックからボトルを出すことができなかった。

しかも、2日目の夜は小屋が営業していないため、雪で水を作る必要があり、なかなか貴重な水をがぶ飲みできなかった。

そんなこんなで中房温泉に下山すると水場にコップを持って行ってがぶ飲み。そしてトイレに駆け込んだ。


便秘に悩む女性は多い。

そんな女性に特効薬的な解決策を提示できれば良いが、今のところ私にできるのは「山では便秘になりやすくなる」という話だけである。

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登山靴探し

夏用の登山靴を探して奔走している。

以前はLA SPORTIVAのTRANGO TRKというモデルを使っていて、結構気に入っていた。写真は歴代の3シーズン用登山靴で、一番下がTRANGOである。

この中では最も価格が高く(税込3万円弱する)、最もスポーティーな印象だ。

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ところが去年の8月に白馬で浸水、11月は黒部でもずぶ濡れ、というわけで防水機能が失われたので引越しの際に廃棄してしまった。

フィット感、軽量性は抜群だったので非常に惜しい。

デビューは雨の南アルプス聖岳。黒部・下の廊下でも雨に降られた。2年前には七倉から黒部湖、読売新道、西鎌尾根、大キレットを4泊5日で縦走。3日目の三俣山荘から西鎌尾根に向かう途中でも雨に打たれた。

ただ、高かったんだし3年は早いだろう、と言っても仕方がない。

新たな登山靴探しに出かけた。

 

登山靴は選択肢が多いようで少ない。

要は足に合うか合わないかで決まるのだから、どんなに高性能でも足に合わないと無用の長物となる。私にとってその典型はSCARPAの岩稜向けの靴で、店頭では調子良かったが、現場では数回しか履いていない。とにかく爪先が細くて小指が潰れるんじゃないかというくらい私の足には合わなかった。

 

GW2日目の日曜日(土曜出勤したので私にとっては初日)、ジョギングがてら井の頭公園まで走り、吉祥寺のMt.石井スポーツに入った。文字通りの奔走である。

やけに愛想の良い30歳くらいの店員のお兄さんに声をかけられ、試着してみる。MAMMUTのDUCANというモデルがおススメだという。

「これは下にスチール板が入っているんですよ。ソールは軟らかいですが、足全体で衝撃を吸収するようになってます」

なるほどなるほど。ってよくわからんが新しいテクノロジーが使われていることはわかった。早速試着させてもらう。

「普段の靴下は厚めですか?」

「厚めです」

「はい!ではこれを!」

おいおいペラペラじゃないか。と心の中でツッこむがまあいいや。

 

履いてみると足回りの感触は結構固い。まるでクライミングシューズだ。その分軽いと言えば軽く感じる。

試着用スロープで歩いてみた。ただの傾斜なので衝撃を吸収しているのかわからない。岩に乗るなどしないとスチール板の威力は確認できなさそうだが、残念ながらその店舗にはそのようなものはなかった。

しかしながら問題は足首周りで、とにかく固くて私の足にはなじまない。骨が当たって痛い部分もある。

「足型はいいですが、足首が痛いです」と店員さんに話す。

「そうですか~」

 

次にLA SPORTIVAのTX5を試した。

足入れの瞬間、思わず「あっ!さすが」と声が出た。MAMMUTに比べるとF1とロールスロイスくらいの差がある。両方とも乗ったことがないが。

履いて歩いてみた。悪くない。でも高いんだし何かもうひと押しほしい。

「うーん。やっぱり前履いていたTRANGOの方がいいかも」

と言うと、

「そうですよねー。使い慣れたものが一番です」

と返ってきた。

 

結局テントマットだけ買って店を後にした。

迷ったのもあるが、店員のお兄さんはちょっと苦手なタイプだったのもある。最初に声をかけてきた時、

「前の靴を履きつぶしたんで次を見に来ました」

と言うと、

「ええ~!」

とのけぞって驚いた。リアクション大きいっちゅうねん!

「靴は最後足に合うかですからねぇ」

と言うと、

「そうなんですよ。雑誌にライターが書いたりしてるんですけど『やめてくれ!』って言いたくなります。靴は性能だけで決められないんですから」

と返ってきた。おいおいMAMMUTの靴を勧めとったやないかい。

よく言えばノリが良い、悪く言えば調子の良い感じだったので、このお兄さんの言う通りにして大丈夫かな?と疑問が沸いたのだった。一方であんなノリの良いお兄さんは楽しいという人もいるのかもしれない。

いやはや接客業は難しい。