クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

人工知能に仕事を取られたら~『人工知能は人間を超えるか』

人工知能にはわりと興味がある。

20年くらい前にさるプロ棋士が本業から人工知能研究者に変わったという話を聞いて、将棋ソフトと人工知能に興味を持った。

当時の将棋ソフトはアマチュアでも初級レベル。序盤は定跡を「暗記」しているので、まあまあの展開。

ただ、定跡が確立しているのは30手程度なので、中盤はわりとおかしな手を指す。終盤は詰みを見つけるのは人間以上なので、先に見つかられたらソフトの勝ちとなる。

20年経って、名人に勝つようになったのだから、単純にすごい。あの当時は「プロ四段レベルになるのに50年。名人には永久に勝てない」と言う棋士もいた。

 

今はちょっとした人工知能ブームである。

人工知能に関する本はたくさんあって、その中で私の弟が推薦するのがこちら。

 

過去の人工知能ブームの手法と現在話題のディープラーニングがわかりやすく解説されている。

 

人工知能の話題になると、どうしても「仕事を奪われる」という話に発展しがちだ。

まあ、今回のコロナ騒動でわかったのは自宅でも仕事はできるし、事務所の電話番なんていらないし(携帯電話にかければ取次ぎ要員は不要)、世のホワイトカラーの仕事は機械的なものが大半なのではということ。

経理なんかはルール通りやることが目的なのだから、人工知能が最も得意そうだ。実際、昔は算盤で計算するだけの事務員がいたそうで、その仕事だって今はない。タイピストという職だってもうない。

しかしまあそういう仕事をいましたいかと言えば微妙である。駅の切符切りもやりたくない。

 

日本では第2次ブームの時に巨大な開発費をかけたものの、成果を上げられずに頓挫した。

「羹に懲りてあえ物を吹く」のが日本のお家芸だ。今は完全に立ち遅れている。過去は反省しなくてはならないとされる。

ただ、過去から学ぶことは大切だが、過去から学んで類似したことをやるのは人工知能が何より得意にすることだ。

懲りないで挑戦することこそ、人工知能にできない仕事ではないのかと思ったりする。

人工知能と騒ぐこと勿れ〜『AI vs 教科書が読めない子どもたち』

ちょっと今さらながら『AI vs 教科書が読めない子どもたち』を読んだ。

筆者は新井紀子さんという数学者で、名前は「東ロボくん」で知っていた。東ロボくんは東京大学の入試を突破できる人工知能技術を可能かというプロジェクトで、センター試験から二次試験まで挑戦したらしい。


この本で知ったのは、わりとなりふり構わない方法を使ったんだなあということ。センター試験はマーク式なので、答えがわからなくても「当てる」ことはできる。

東ロボくんとてわからなければ運は天に任せて適当に答えるし、開発側も皮算用をしている。わからなければ確率の高そうな答えに賭ける。

このあたり本当の受験生と変わらない(もうちょっと数学的に確率計算するだろうけど)。

結果、関東ではMARCHくらい、関西なら関関同立のどこかの学部くらいは合格できるようなレベルになったらしい。


別にこの本は「今の子はデキが悪い」と貶めているわけではない。人工知能技術でできること(暗記する、機械的に答えを出す)を学ぶことに疑問を呈しているだけなのだが、読者の声を見るとちょっと的外れなものもある。

「私の子どももこの問題ができなくて衝撃を受けました」

なんていうのもある。

読解力が人工知能研究の足枷なのだから、生身の人は読解力を付けてくださいというのが趣旨なのだろうけど、

「このままでは子どもが失業しちゃう!」

とパニックっている姿が思い浮かぶ。ちょっと親御さんの読解力にも疑問が起きてしまいそうだ。

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とにかく最近は何でもAI搭載なんていうキャッチが多すぎる。

さる人工知能学者によると知能とは知的に高度なことができる能力を指すのだから、電卓だってAIと呼んで差支えない。計算機に暗算を挑めば負けるのだから、「計算外」のことに挑戦するのが人間じゃないのかと思ったりする。


先々週、屋久島で雨予報の中、縦走したが、あれは人工知能ならやらないかな。

未だ凍傷から完全復活してないし、普通なら止めた方がいいだろう。ただ、そのおかげで人気のない縄文杉を堪能できた。

まあこれも計算外の人間の特権なのかもしれない。

身体と心の痛みのバランス

山に行くたびに怪我をしている。

今回の屋久島では右手首を捻挫。右の掌に痣。その他尻や足に打ち身とあちこち痛い。指先も軽い凍傷気味で、ピリピリしたままだ。そして日が経って肩も痛くなってきた。

痛い目に遭うともう行きたくなくなるのだが、痛みが引くと性懲りもなく出かけてしまう。結果、生傷が絶えない状態が続いている。

 

ところが昨年の5月、6月は全く怪我をしなかった。

理由は山にも行かず土日も仕事をしていたから。怪我をしないものの、ずっと仕事をしていると精神が荒んでくる。

肉体的な痛みはないのに、精神的な痛みが大きくなるようだ。

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屋久島の雪道

さる皇族の令嬢は赤ちゃんの頃、転んでも怪我をしないように、家じゅうにクッションが敷かれていたという。ずっと「深窓」ならいいのだが、世に出た時に大丈夫だろうか。他人事ながら心配になる。

少しは身体と心の痛みでバランスを取った方がいいのではないかと。

身体の適度な痛みは心を解放するような気がする。リストカットのような行為も身体を傷つけることで、心のバランスを取ろうとしているのだろう。

 

今のコロナ禍を理由に引き籠り続けるのはある意味でクッションでくるまっているのと同じかもしれない。

南の食の探訪~屋久島放浪記④

旅と言えばグルメという人がいる。グルメとか美食とか言うと、どうも安直な享楽主義のようで嫌なのだが、我々も食い意地は張っているのでできれば美味いものを食べたい。山中3日で、アルファ米やソフトクッキー、歌舞伎揚げをボリボリやっているだけなので、下山したら魚か肉が食べたかった。

では屋久島と言えば何か。

・飛び魚

・首折れ鯖

・タンカン

である。

宮之浦の民宿に投宿した我々はスーパーで明日の朝食の買い出しをしてから、「潮騒」という食事処に入った。

 

この店、4年前にも来ている。

当時泊まったゲストハウスでは観光客向けと聞いていたが、料理は質・とも申し分なかった。今回は2人とも腹が減ったので、首折れ鯖定食と揚げ飛び魚定食、鰹の酒盗を頼む。

「首折れ鯖」とは首を折って〆た鯖である。魚のクビとはどこかわからないが、エラのあたりだろう。〆てすぐに血抜きをするので鮮度が保たれる。

首折れ鯖定食は1800円。高いようだが、都内であまり美味くない刺し盛を食べるよりよほどいい。とにかく身が肉厚プリプリ、という安易な表現しかできないのが残念なのだが、弾力とにじみ出る旨味がけた違いなのだ。こってりとしたブリやマグロのトロとは違ったさらりとした脂と締まった身。

一緒についてくる粗汁も美味い。

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屋久島のもう一つの名物は飛び魚。

飛び魚は巨大なヒレで水上を飛ぶ魚なわけだが、水上を滑空するためのヒレごとカリっと揚がっている。比較的淡泊な魚なので、揚げた方が美味しいというのが持論。

素材そのものを楽しみたいなら焼きでもいい。

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いずれもタンカンがレモン替わりに付いてくる。屋久島は東西南北で黒潮親潮の影響で気候が違い、南は年中ハイビスカスが咲くくらい温暖らしい。タンカンもその産物である、とタクシー運転手の杉さんから聞いた。

というわけで全部の料理にタンカンが付く。酒盗にも付いてきた。塩辛い酒盗にタンカンをかけると少しマイルドになる。

去年は北海道でウニ丼やらホタテ、海鮮丼を堪能したが、南の海もなかなかやるのである。

 

隣のテーブルの男女がエビフライ定食と焼き肉定食を頼んでいる。他人の注文にケチをつけるわけにもいかないけど、「なんでやねん!」である。そういや4年前に来たときもトンカツ定食を頼んでいる中国人の女の子がいて「なんでやねん!」と思った記憶がある。

ビール2本と定食2つ。息つく間もなく食べると入店から45分で完食してしまった。

 

食事の時はビールを飲んだが、屋久島と言えば焼酎「三岳」。

芋焼酎で、芋と思えないくらいスッキリした飲み口。民宿の部屋で少し飲んだら登山の疲れもあってあっという間に気を失ってしまった。

緑と雨の彷徨~屋久島放浪記③

屋久島の森は「もののけ姫の森」などと言われることがある。なるほど「もののけ姫」に登場した精密な緑の描写は屋久島と言えば頷ける。

しかし、まあ映画を見るとずいぶん穏やかな気候だ。雨なんか全然降らない。

実際の屋久島は「月に35日雨が降る」の言葉通り常に雨に濡れている。

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3日目。新高塚小屋を出た我々は、濡れた靴に足を入れて白谷雲水峡を目指した。

雨はまだ降っていたものの、小屋から下は雪がかなり少ない。高塚小屋を越え、縄文杉のあたりはほぼ無雪期と変わらなかった。違いは人がいないことか。大観光地、世界遺産とは思えないくらい人気がない。

考えてみれば縄文杉は立っている時間のほとんどを独りで過ごしている。人がわいわいと押し寄せたのはここ20年くらいだろう。

8000年とも言われる年月立ち尽くすというのはどういうことか。私は小学校の国語の教科書で縄文杉の存在を知った時、言い知れぬ恐怖に襲われた。自分が生まれ変わって縄文杉になったら、どういう思いにとらわれるだろうと。

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雨にかすむ縄文杉

霧雨が降り注ぎ、次には日が差す。濡れては乾き、乾いては濡れる。

縄文杉から白谷雲水峡の道はかなり整備されている。踏み荒らさないように木道と階段が敷かれていて、もはや登山という気はしなくなっている。

ただ、痛めた右手首と濡れて凍傷気味になった指先が屋久島の自然を思い起こしてくれる。人も木も厳しい環境は同じ。

過酷な環境が千年を超す大樹を生み出しているのだろう。

 

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白谷雲水峡の滝

大荷物を背負って下山してくると、何人かに「頂上はどうだった?」と訊かれた。

頂上付近にはほぼ足跡がないところを見ると、我々以外はここ2日くらい登っていないらしい。人跡未踏では全くなくても、人がいないところを歩けたのはよかった。

もはや手の痛みを少し忘れて縄文杉より下の手垢の付いた道だけでなく、屋久島の自然そのものを堪能したという気になっていた。

 

 白谷雲水峡にはゲートがあり、井之頭動物園の正門みたいに環境協力金の支払い所がある。

そこに下りると窓口のおじさんから「バスならもうないよ」と言われた。

雨の森、雪の森〜屋久島放浪記②

屋久島では月に35日雨が降るという。

これがフィクションであることは小学生でもわかるが、実際に行ってみると嘘でもないように思える。雨の回数がとにかく多い。降ったと思えば止み、止んだと思ったら降る。

今回は、というか今回も、雨に翻弄されることになった。

 

1日目は淀川登山口から入山。登山口から1時間弱で着く淀川避難小屋に泊まる。

表に新型コロナのため、緊急時以外は使わないようにと貼り紙があった。まあ結果的に我々以外誰も来なかったのでお許しを。

初日の夜から雨。翌朝もしとしと降っている。

まあ増水したりするほどではない。この後、楽観的観測が徐々に崩れていくことを知る由もなかった。

出発直後に逆へ進む(登山口方向に歩く)を経て、黒味岳との分岐で若い登山者に出会った。彼が今回の縦走登山で唯一会ったヒト。黄色いジャケットに手には500mlのペットボトル。足元は柔らかそうなミッドカットの登山靴。ちょっと「おいおい」という感じもするが、素早い動きで登っている。

こっちはヨタヨタだ。とにかく指先が冷たい。標高が上がると周囲は雪なのに、降るのは雨。そのうち手袋が濡れてきた。上下のレインウェアに登山用ロングスパッツを付け、手には防寒テムレス。完全防備のはずがそのうち袖口から入った水で手先が濡れ、どこから入ったか靴の中も濡れてきた。気が付くと尻も冷たい。無事なのは上半身のみ。

 

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宮之浦岳の直下で先ほどのお兄さんとすれ違う。彼はバイクでアプローチしたが、ザックが濡れたため、空身で登ったのだという。余計危ない気もするが。

宮之浦岳は霧に覆われ、展望はなし。晴れていたらを想像するが、相方はもはやその余裕もないらしい。早く新高塚小屋にたどり着かないと寒さで身体が動かなくなる。

宮之浦岳から北面は雪が多い。最初は新雪だったのが、雨で下が空洞になったミニ雪渓みたいな雪面に変わっていく。油断すると踏み抜いてしまうのだ。

ずぼりずぼり。踏み抜き、軽い崩落。当然転ぶ。

木道が危ない。一度豪快に転び、手首を捻挫。翌日まで力が入らなかった。

 その他、尻や腰など何か所もぶつける。おまけに手先は冷たくて軽い凍傷気味。ボロボロである。

 

さらにルートが時折わからなくなった。

無雪期は明瞭なはずが、雪に覆われ、シャクナゲの木がルートを塞ぐ。地面が雪で30cm以上上がっているので、木の下をくぐることができず、シャクナゲを押しのけて進むしかない。

シャクナゲの林を通り抜けると、自分たちがルート上にいるのかわからなくなっていた。焦るが、地図の等高線くらいでは判断できない。日が暮れようとしていた。

相方が「ピンクリボン!」と叫んだ。わずか10m先くらいに心細くリボンが垂れている。枝を押しのけ、進むとどうやらルートだ。わずか10メートルほど逸れていたらしい。

そうして新高塚小屋に着いた時には、出発から10時間以上経っていた。

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屋久島の杉さん〜屋久島放浪記①

屋久島に行った。緊急事態宣言とかいろいろあるけど、まあ休みが取れるのが緊急事態みたいなものだからまあいいかと。

今回は4年前に行った屋久島再訪。4年前は楠川集落から徒歩で入山し、宮之浦岳へ。縦走して淀川登山口に下山した。

今回はその逆を行く。

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初日は屋久島空港から安房までバス。安房の登山用品ショップ「山岳太郎」でガスカートリッジを入手。安房の登山用品ショップでタクシーを呼んだ。

屋久島交通のタクシーが5分ほどで来た。

タクシーの運転手は

「登山ですか?」

と訊く。登山が島やタクシー運転手にとってどれほど好感を持たれているかわからない。何しろ緊急事態宣言中なのだ。屋久島空港では新型コロナの広がっている宮崎や熊本に行くなと書いてあった。

「ええ。まあ」

とか言う。登山口に向かうのに登山以外の目的はない。

「晴れていたら最高なんですがね」

「明日から雨予報ですね」

しばし天気の話になる。登山客に嫌な感情はみじんもないらしい。安心した。

次に運転手は唐突に

「ヤクスギのことを知っていますか?」

と訊いてきた。

「宮之浦で資料館に行きました」

これが端緒だった。

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「ヤクスギというのは樹齢1000年を超えるものを言います」

そんなことを聞いたことがある気もするが。

「ヤクスギは立ち枯れたものに脂がたまっていいんですね。栂とかはダメです。ヤクスギは立ち枯れて脂がたまるから腐らないんです」

むむ、なるほど。豊臣秀吉が巨大建設を進めるのに際して献上されたわけだ。

運転手のトークは留まることを知らず、相方が車酔いでオエオエしながらもひたすらに語る、語る、語る。

相方は車酔いでそれどころじゃなかったらしい。

 

登山口に着いて相方が言った。

「あの運転手、なんて名前だと思う?」

うーむ。話すので、夢中で気づかなかった。

「あの人、杉一森っていうらしいよ。杉の木の杉に、イチのモリ」

なんと、名は体を表す。これほどぴったりの名の人はおるまい。

これが、屋久杉ワンダーランドの始まりだった。