クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ゴールデンウイーク遭難について考える

共同通信ニュースで「山岳遭難相次ぐ」と出ていた。

ゴールデンウイークに槍ヶ岳谷川岳で遭難事故があったらしい。槍ヶ岳の方は3人全員となっていた。かなり不安定な天候だったので、天気が急に変わったのだろう。

毎年、ゴールデンウイーク山行は遭難シーズンでもある。

明らかな悪天候の時は遭難事故は少なく、好天の時は滑落などのミスによるものが多い。今回は擬似好天に惑わされたのではないかと想像している。

 

5月の3000m峰はジャンルとして雪山登山となる。

ただ、日中は日差しがあるとシャツ1枚でもいいことがあって、ほとんど夏山と変わらない体感となる。暖かくていいところは、手袋が薄くて済むので、作業がいしやすい。夜はぬくぬくと眠れる。

7年前、ゴールデンウイークに上高地から奥穂高に登ったが、この時は1日目と2日目がポカポカで、稜線もほぼ無風。明け方は凍っていた斜面は昼にはグズグズに溶けて、転んでも痛くない。

おまけに下山したら、正面のテントのおじさんがビールをくれるという幸運にも見舞われ、パーフェクトな登山を楽しめた。

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残雪期の奥穂高山行

しかし、この暖かさが判断を誤る原因なのかもしれない。

厳冬期のキリリとした空気では考えられないミスを犯しがちになる。私も一昨年の蝶ヶ岳常念岳~大天井~燕岳では唯一、クランポンを着けていた下りでつまづいた。前爪が露出した岩に引っかかって膝をついたのだ。

転んで踏みとどまった時は今まで以上に冷たい風が吹いているような気がした。

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2年前の北アルプス縦走

 

雪山でポカポカ暖かい時は、雪崩の危険があるという。

しかし、本当に危ういのは登山者の緊張まで溶かせてしまうことだろう。特に4月、5月は天気が定期的に変わるので、休みの一部が悪天候の日と重なることがある。

全日程が荒天ならあきらめるだろうが、1日だけ良い。ピークハントの日だけ良いとなると行ってしまうのが自然だ。それに、ゴールデンウイークはそもそも忙しい企業が多いので、ゴールデンウイークに有休を付けて予備日にすることなどできない。厳冬期と違って、「万全を期する」より「行って、天気が良ければラッキー」という心境にもなる。

このあたりがゴールデンウイーク遭難の原因ではないだろうか。

 

今回、北アルプス谷川岳で何が起きたのか、正確にはわからない。ただ、いつ何時私が同じ立場になってもおかしくないということは言える。

富士山を眺める山へ〜百蔵山・扇山登山

百蔵山と扇山へ行ってきた。

いずれも山梨県の1000mほどの山で、百蔵山は大月市、扇山は大月市上野原市の境に位置している。特長のない低山と言えば大変失礼だが、特に険しいところもないあたりが、人気の山である。

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この何とはない山が人気なのは富士山の展望が良いところで、秀麗富嶽十二景に選ばれている。

今回は大月の1つ東京側、猿橋駅で降りて、百蔵山から攻めることにした。

そう言っても大して書くことはない。駅から「名勝猿橋」と「百蔵山」という標識を追えば、集落を抜けて登山道に入ることができる。登山道は林業用の作業道という具合なので、歩きやすい。ハイキングにはもってこいだ。

 

駅から百蔵山までは登山道に入るまでが40分程。そこから百蔵山頂上までは2時間程度だろうか。道は悪くはないが、やや急坂の部分もある。

百蔵山頂上は富士山側、南面が開けていて、気持ちのよい芝生が広がっている。基本的に展望が開けているのは百蔵山頂上と扇山頂上のみであとは樹林帯が広がっている。

まだ8時半くらいだったので、百蔵山からやや急な斜面を下りて扇山に向かう。

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朴の木の犬

森林浴という言葉がある。なかなか秀逸な表現と言っていい。新緑を透して浴びる陽光は何かを洗い流してくれる気がする。

朴の木、ゼンマイなどが豊かな緑をたたえている。

かなり早い時間から登り始めたためだろう。人気コースにもかかわらず静かな山行を楽しめた。

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森林浴の道


百蔵山から扇山まではのんびり歩いて2時間あまり。百蔵山からの下りはやや急だが、扇山への登りは広いところも多くてなだらか。

扇山の頂上に出ると、またしても南面に富士山。丸太のベンチが置いてあって快適そのものだ。

 

コーヒーを飲み、早い昼食をの楽しんでいると、10人くらいの中高年の団体が来た。

「密になる」

などと言っているが、結局は3、4人くらいずつで固まって座り、姦しくしゃべりながら昼食を取っている。

ゴールデンウイークだというのに遠出もしにくいので、ここに来たという感じだ。山岳会の集まりだろうか。

休みなのに5日も1週間も「ステイ・ホーム」できるわけがない。

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シャクナゲ群生地


扇山からは鳥沢駅に下りた。

途中、シャクナゲの群生地があり、もう萎れかけていた。

非常に暑い日だったせいか、セミが鳴き始め、ヘビはにょろにょろと這い、カエルが鳴いている。

集落に下りると、山間から富士山が見える。

「こんなところに住みたいなあ」

「でも本当に住んだら大変だろうね。近所づきあいとか」

相方とそんな話をした。

Patagonia アセンジョニスト30を今さらレビューしてみる

ゴールデンウィークと言いながら、休みは2日間。まあ去年は1日だったしいいかと言ったら相方に叱られた。

「あんたの会社、どうなってんの!」

まあ返す言葉もない。その通りだ。

それはともかく軽くハイキングくらいはしたい。

というわけで、アセンジョニスト30で出かけることにした。


アセンジョニストは45Lと30Lを持っている。

45Lはアセンジョニストの初代モデルで、他に25Lと35Lがラインナップされていた。そのうちリニューアルされていて、20、30、40に。45Lは泊まり用として私は日帰り用に30Lを後から購入した。

ちなみに買ったのは2018年で、すでにアウトレット品になっていたことを考えると、発売されて6年くらいは経っているので、今同じものが手に入るかは保証できない。

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①初代より丈夫だねぇ

生地は初代が不安になるくらい薄かった。特に最軽量の25Lなんかはアタックザックと見まごうばかりだ。

この30Lになってかなり耐久性は上がっているし、雨にも多少強そうだ。

ちょっと重くなった気もするけど、これくらいの耐久性はむしろはほしかった。


②締め紐は初代の方がいいかな

雨蓋がないのは初代と同じ。

その下は片手でも閉められるように工夫された紐となっているが、初代とはちょっと位置が違う。

30Lでは紐が背中側にあり、初代は手前側にある(写真下)。


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好みもあるけど、私は初代型が好き。

手探り状態では手前にある方が掴みやすい気がする。

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③ストックホルダーの質はもう少し上げてほしい

変わったのがストックホルダーが付いたこと。

初代は「アイスアックスしか使いません。クライマー専用です」とばかりに何も付いてなかった背面にストックホルダーが付いた。

ただ、文句を言ってナンだけど、1年くらいするとマジックテープが剥がれてきた。どうもこの手の細かいパーツの質に問題がありそうだ。


ちなみに私はストックを着ける場合はブラブラするので好みではない。

むしろ側面に着けたいのだが、このアセンジョニスト30は側面のナイロンテープが省略されているので、必要あらば自分で着ける必要かある。


④ダブルジッパーはいらない

トップは縦にジッパーが入っている。

これは初代とともにgoodなポイント。物が落ちにくい。

あとジッパーの紐は丈夫になった。これも寒い時期はありがたいと。


ただ、またしても文句になるけど、ダブルにする意味はないでしょ。

どっちにジッパーの先があるか手探りでわかりにくいし。

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ずいぶん文句が多くなってしまった。

いずれにしても、買ってしまった以上はボロボロになるまで使う所存である。

不自然な自然保護

 今、休日出勤までして作っている冊子にはこのような印字がある。

「ミックス 責任ある木質資源を使用した紙」

「VEGITABLE OIL INK」

「UD FONT」

UD FONTには「見やすく読みまちがえにくいユニバーサルデザインフォントを採用しています。」との注書きがある。日本語の時点でユニバーサルではないのだが、それは置いておいて問題は前の2つである。

両者とも主張の意味はわかりにくい。ただ、自然保護に努めているということは伝わる。しかし、こんな冊子作らなければいいんじゃないか意地の悪いことを思ったりする。

 

そもそも自然に優しい人間生活はない。

 さる農業に携わる企業の方が言っていた。

「今、市場に出回っている野菜で農業をまったく使っていないものはありません」

農作物は栄養が多い。栄養の多いものには虫が付く。肥料をやれば土の栄養価が上がる。そこには作物以外の草が当然生えやすくなる。

農業とは自然環境のなかに不自然な環境を生み出す行為である。その帳尻を合わせるには農薬を使うしかないということらしい。

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植林の中の観音様

植林も同様。

杉や檜は虫が付かないがゆえに材木として珍重され、郊外に植えられた。虫が付かないのだから、広葉樹のような植生にはならない。これまた不自然な自然を形成することになる。

 

農業や林業を批判しようという気はまったくない。

ただ、都会生活をしている人間が観念的に自然保護を訴えるのは究極の不自然に見えてしまうのだ。

今はCO2削減が大義のように言われている。これも違和感だらけだ。CO2削減を訴える会議ではエアコンをつけてはならないではないかと思うのだが、そんな意地悪は誰も言わない。とにかく削減目標だとか自然エネルギーの活用とかを議論している。

誰も川に飛び込んだり、岩に登って遊ぼうとは言わない。

われわれ死んだらみんなCO2を排出して焼かれるのだから、生きている間にもっと自然を楽しむことが先決のように思える。

花が咲いたら出かけたい

ツツジの季節になった。

去年は梅が咲いてから、桜、ツツジ、バラ、紫陽花が気がついたら咲いて散っていて、いつの間にかアサガオの季節になっていた。

去年よりか花愛でる余裕があると言える。

 

好きな花はツツジヒガンバナ

漢字で書くと躑躅彼岸花ヒガンバナはまたの名を曼珠沙華。おどろおどろしい印象だが、薔薇のような高貴ではなく、気さくな感じがして好きなのだ。

この2つは実際には経験していないある種の郷愁を感じさせるからかもしれない。田んぼのあぜ道に咲くヒガンバナや山間に咲くヤマツツジ

アメリカ人が川を横断する外輪船にノスタルジーを感じるように、日本人はそっと咲く赤い色に日本を感じるのだろう。

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あの世の対岸に咲くと言われる彼岸花

躑躅ヶ崎と言えば甲州・武田氏の居城である。

ツツジが多く咲いていたのだろうか。5月に山梨へ登山に行くとヤマツツジがきれいだ。ヤマツツジは平地のツツジより色が薄い。

シャクナゲにしてもそうだが、山の花は色が淡い。平地のように栄養過多でない分、色が薄まるのだろうか。

その淡い色に魅せられて、5月になると出かけたくなる。

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シャクナゲも可憐

 

「琴線に触れる」と「癇に障る」、「推敲する」と「推敲を重ねる」

時折気になる間違いがある。

「この言葉が彼の『琴線に触れた』んだよね」

文脈から察するに「怒りに触れる」という意味。「癇に障る」か「逆鱗に触れる」が正しいだろう。

「キン」という語感の鋭さからから間違いやすいものと察せられる。

琴線は文字通り琴の糸。触れると繊細な音を奏でることから、心の細やかな情感に訴えることを言う。

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ハーケンとカラビナ(文とは無関係)

また、時々迷うのが「推敲する」という表現。

推敲は語源は「推す」と「敲く」の組み合わせ。唐の賈島という詩人が「僧は推す月下の門」と「僧は敲く月下の門」という句で迷った際に、「おす」と「たたく」を身振りで試しながら考えた。

夢中になって押して叩いてを繰り返したため、韓愈の行列にぶつかってしまう。通常ならひどい目に遭ってしまうところだが、同じく詩人である韓愈はわけを聞き、

「それならば『敲く』の方が良い」

とアドレスした。

 

戻って「推敲する」で何を迷うのか。

「推敲」は重ねる方がいいのかなと思ったりするのだ。一度推して敲く程度では韓愈に行列にぶつかったりはしない。

物事、夢中になれば新たな出会いがあるということを本当は指しているのではないだろうか。

もしも遺産が入ったら

ネット記事で「紀州ドンファン」がまた話題になっていた。

ゴシップ記事はまったく見ないので、詳細は不明なのだが3年前に怪死した資産家の元妻が逮捕されたとか。

遺産目当てに殺害した疑いというなら非常にわかりやすい。

 

しかし、私が興味を持つのは遺産をもらって一体何に使うのかということだ。

大前研一さんが言うところの「低欲望社会」に入っている日本で、金がある日入ったらどんな風に使うのか。豪邸を買うのか、店中の服を買うのか、クルージング、ホームパーティー

どうも金を使うのも疲れそうだ。

豪邸を買うと、隅々まで歩き回らないといけない。「あっ、リビングにスマートフォン忘れた」などとなって何百メートルも歩くとなると煩わしい。服が何着もあるとその日の服装選びに困る。クルージングもホームパーティーもたまにやるから楽しいのであって、常日頃やるものではない。

粋な金の使い方というものがあれば聞いてみたい。

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以前、宝くじに当たったらという記事を書いた。

yachanman.hatenablog.com

宝くじはある種の自助努力。自分が買ったから当たったという因果関係がある。それが遺産となると完全なる他力本願。こういうものが手に入るとどうなるのだろう。

まずは働かなくていいということになる。

しかし、どうだろう。働かないプレミア度というのは昔より落ちているのではないだろうか。働いて一財産を築いた人は大抵は再び働きだす。

働いている方が幸せか、辞めた方が幸せか。これは永遠のテーマなのだが、働いている時は辞めたくなり、辞めたら働きたくなるのかもしれない。

所詮、隣の芝は常に青いのだ。

 

 ここのところ仕事が忙しくて食も進まなくなっている。

これまで食への執念を書き連ねておいてなんだが、忙しくなればなるほど食も物欲も減る。そして収入は増えるのに金を使うことがなくなる。暇になればおおよそ逆のことが起きる。

坂本九の歌「九ちゃん音頭に」に「金があるときゃ暇がない、暇があるときゃ金がない」とあるがまさにその通り。

ある日ふと多額の遺産が入ったら私はどうするだろう。