クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

毎日がSpecial

実家に帰ったその日、母親が深刻な顔をして語った。

「おばあちゃん、私の誕生日忘れたって。自分の娘の誕生日を」

母は誕生日を忘れていたことより、ボケたのではないかと心配していた。

しかし、心配なのはわかるが、私は「80にもなれば誕生日くらい忘れるわな」と割と冷ややかに考えていた。少なくとも私が80になって何人もの誕生日を覚えていられる自信はない。

 

普通の人は何人くらいの誕生日を記憶しているのだろう。

私はざっと数えて10人くらいだ。両親、兄弟とその他数名。

ゾロ目とか連番とかならその人との親密度に関係なく覚えられる。ただ、月の真ん中で祝祭日とも離れていて、数字の並びに規則性がないとなると厳しい。メモ帳に印をし、カレンダーに赤丸を付け、携帯にアラーム設定でもしないと、過ぎ去った翌日くらいになって気づくという羽目になるだろう。

私にとって誕生日を覚えるのは歴史の年号を覚えるのと同じ感覚である。

 

誕生日などの個人にとっての記念日を祝うならまだわかる。

しかし、勤労感謝の日敬老の日・バレンタインデー・ホワイトデー・クリスマス・父の日・母の日まで加えると年中お祝いをしなければならない。

都会にいると、商業的に記念日をあおるし、マスコミも他に大したネタがなければ食いつく。

「母の日には母に花と温泉旅行をプレゼントしました」とか言えば、なんと孝行な娘(あるいは息子)と取り上げる。

一方で、「父の日や母の日って何ですか?何のいわれがあってお祝いをしなければならないのですか?」とか言うといかにも孝徳に悖る感じがする。

記念日に疑問を呈する段階で親不孝のレッテルを貼られてはたまらないから、商業的記念日に一役買うという人もかなりいるはずだ。

この調子でいろいろ商業目的の記念日が設定されて、毎日何かしらの記念日が存在している。

 

以前、ラジオで「父の日」の由来について聞いたことがある。うろ覚えだが、アメリカで父子家庭に育った娘が、「母の日」があるのだから「父の日」を制定したいと奔走した結果らしい。

かなり個人的事情である気もするが、その熱意が行政をも動かしてしまうあたりに「自由の国・アメリカ」という感じがする。おばあちゃん子やおじいちゃん子が熱心に運動すれば「祖母の日」や「祖父の日」もできたかもしれない。

 

「父の日」は私的な思いから公的な記念日となった。

基本的に日本の祝祭日は個人に由来するものはない。特に明治以降に制定されたものは、皇室関係が多く、それはすべて公的な祝日と言える(皇室は日本においては公的存在だと私は思う)。アメリカの「父の日」みたいに完全な私から公になるケースはない。

日本に「父の日」が輸入された段階では、公的記念日となっていた。そして公となった記念日を企業は大手を振って宣伝に活用するのだ。

私的記念日を公的記念日にするアメリカと、公的記念日であれば何でも受け入れる日本という姿は対照的といえる。

 

日本で最も新しい記念日(祝祭日)は「山の日」である。

2016年からだから今年で3周年ということになるが、最も歴史も由来のない祝日と言えるかもしれない。由来がない割に曜日による変更がない。日程も山の如しということだろうか。

休日を増やす目的のようだが、もともとお盆休みの時期なので、実質増えた企業が多いかは不明だ。公休にこだわるより、有給消化を促進した方がいい気もするが、公休でないと休みにくい人が多いのもまた事実である。

 

随分、誕生日の話から逸れてしまった。

私は、日本人ももっと公的記念日に振り回されず、誕生日のような私的記念日に精を出せばいいのにと思う。

例えば、誕生日は公休扱いにするなんていうのはどうだろうか。結婚記念日は、未婚者への差別とかいう議論になるのでやめておこう。

「Aさんはご在席でしょうか?」

「申し訳ありません。Aはアニベルセール(誕生日~フランス語)で出社しておりません」

なんていう企業は素敵でないだろうか。