クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ヰヰヲンナ

本屋をぶらぶらしていると『紀州ドン・ファン』という本が平積みになっていて、「いい女を抱くためだけに、私は大金持ちになった」という帯が目に入った。テレビを見てないので一連の騒動は全然知らないのだが、「いい女」を求めて金持ちになるという夢を実現するのはなかなかである。何が”なかなか”かと言うと、「いい女」というかなり曖昧な幻想に向かって人生の舵を切るあたりがなかなかだなと思う。

ランナーが「夢は金メダリスト」と言えば目標としては具体的であるし、棋士なら名人、ゴルファーなら賞金王といった夢に向かって努力している。しかし、このドン・ファンさんは「いい女」という抽象的な幻想を目的に「大金持ち」というこれまた程度の分かりにくい目標を掲げて努力したのだからある意味すごい。井原西鶴好色一代男』の主人公はもともと富裕な商人だったのに対して、この人は金持ちになることからスタートしたわけだから、目的はともかくその情熱に頭が下がる。

では、彼にとって主目的たる「いい女」とはどんなものだっただろう。果たして人生を賭けて追い求めるものだったのだろうか。考えても埒が明かない疑問が浮かんでくるのである。

 

日本において美人の代名詞は小野小町ということになるだろう。随一の美貌で、歌人としても知られている。ただ、いかにも日本的なのは、通い婚だった当時、美しいと言われる本人をほとんど誰も見たことがないということだ。深草少将が恋い焦がれた話は有名だが、深草少将は99日も通ってのだが、肝心の小町に一度も会ったことはない。会ったこともない人に恋するのは詩的ではあるが、自ら描いた幻想に酔いしれただけのような気がする。しかし、彼がもうちょっと頑強な肉体の持ち主で、100日目も見事に通って小町の心を射止めたとして、めでたしめでたしとなったのだろうか。悲恋物語に終わっているが、彼は恋に恋した幸せな男かもしれない。

 

「傾国の美女」という言葉があるように、美人が人の生涯だけでなく国家レベルで影響を及ぼしてしまう例は中国に多い。

 古代中国の悪女と言えば、殷(商)の紂王の妻、妲己が挙がる。紂王は彼女の言うことなら何でも聞き、酒池肉林の宴を開いたり、諫言する家臣を火あぶりにしたという。紂王は美女にいいように振り回されることに喜びを感じていた幸せな男だったとも言えるし、ただ「いい女」の見込み違いをやって身を滅ぼした男とも言える。

 

しかし、やはり中国史上で傾国の美女と言えば楊貴妃だろう。唐・玄宗皇帝が息子から奪い取ってまで自分のものとしたというから余程の美人だったに違いないし、歌と舞踊に秀でていたというから現代で言えばアイドルである。50男がアイドルにドはまりしたと言ってしまうと実も蓋もないが、現代風に言えば実態はそんなところだろう。現代でもワンマン社長あたりがアイドルに熱中すれば社員は大いに迷惑するだろうが、国家元首がはまってしまうとどうなるかが如実に現れたことになる。楊貴妃本人を寵愛し、好物の茘枝を早馬で届けさせるくらいの逸話にはかわいげがある。しかし、中国史ではよくある話だが、楊貴妃の眷属までが皇帝の寵を受けようとするからタチが悪い。最終的に、楊貴妃の従弟にあたる楊国忠が宰相になったことから安禄山の反乱につながり、唐という国を大きく傾けることになるのだから、アイドルマニアも大概にしないといけない。'idol'の原義は「偶像」であるように、深草少将のように姿も見ずに妄想の中で恋い焦がれているくらいがちょうどいいのかもしれない。中国の権力者は「いい女」をなまじ手に入れられる立場いるから国をめちゃくちゃにするまで惑溺してしまったのだろう。

 

「いい女」の定義は、古今東西いろいろ、個人によっても差異はあるかもしれないが、おおよそ①美人(加えてスタイルがいい)、②歌がうまい、③(男が僻まない程度の)教養があるといったところか。

 先に挙げた人物は1人の女にハマるところを見ると、わりと純愛である。これが浮気性なら命を落としたり、国を傾けたりはしない。

紀州ドン・ファン氏は4000人に貢いでいたらしい(ネット情報)。そんなに相手したら昨日の女と今日の女の区別もつかなくなりそうだが、1人にどハマりしない分、大金持ちになることにも精を出せそうだ。

駄文を並べたが、夢中になるのも大概にしないと思う反面、何かに夢中になれる人生にも憧れる矛盾が人生の面白さかもしれない。