クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

スマホないない記と『砂の女』

9月某日、某所に愛用のiPhone5s君を置き忘れてしまった。もう4年以上使っていて、電池の減りも早くなっており、充電させてもらっていてそのまま忘れてしまったのだ。電車に乗って、隣の女性がせわしなくスマホを操作するのを見て気づいた。

それまで文庫本で安部公房の『砂の女』を読んでいたが、iPhone君と離れると少し落ち着かなくなる。朝夕の食や仕事には差支えないが、親戚・友人知人には連絡が取れなくなる。iPhone君なしに諳んじることのできる電話番号は実家・職場・iPhone君本人だけで何の役にも立たない。なにより置き忘れたところに連絡が取れないのでは回収もままならないので困った。「コマッタ、コマッタ」と言っているといつの間にか身の丈3寸くらいの電子機器に束縛されてしまっている自分に気づいた。つい数日前に中高生のスマホ依存という記事を見て嗤っていたが、自分自身もその一味となっているようで何とも言えず悔しい。悔しいのでいったんiPhone君の回収方法は考えないことにした。いざ手放すとスマホを使っている人の動きが妙に気になるようになった。

 

今は電車に乗ると、大概スマホを使っている人と寝ている人、本・新聞を読んでいる人、知人としゃべっている人のどれかに該当する。休日は電車に乗って座席に座るや否や、早抜きガンマンのようにスマホが滑り出し、撃鉄を引くように起動して何かを始める。見るも鮮やか。最近はiPhoneも大型画面になっているが、よく片手で操作できるものだ。私は5s君でも片手操作は無理だ。その調子で鍛錬を続ければみんなマギー司郎くらいにはなれるだろう。

では素早く取り出したスマホで何をするかというと、大抵がネット記事を読む、ファッションアイテムを調べる、知人とチャットをする、音楽を聞く、ゲームをするといったところだろう。どれも不要不急の用事ではないが、スマホを触っていないと落ち着かないようだ。

文庫本の中では男が新聞が欲しいと言っている。

 

新宿駅に降り立ち紀伊国屋に向かった。地上から行ったことはあるが、地下から行くのは初めてなので、今一つ方向がわからない。現在地がわからなくなったのでiPhone君に頼もうと思うが、忘れてきたことに気付く。仕方がないので観光客と見られるザックを背負った欧米人のでかい背中の隙間から壁に掲示されている地図を見る。何となく方向はあっているようなのでそのまま進む。

何とか無事に紀伊国屋を見つけて文庫本を一冊買い、今度はJRの改札を探す。標識の指示に従って、飲食店や百貨店の入口を見ながら右へ左へ行くと、人だかりがしている広場があって、その先が改札口だった。横浜方面の電車は5分後で、その次はさらに15分後だ。スマホがなくても都心では何とかなるものだ。

 

電車に乗ると今度はスマホを振りかざす人が少なかった。考えてみるとあの数万円もする電子機器を一人一台持っているのだから恐ろしい。新入社員なら手取り給料の半分以上には当たるし、食費だけなら3ヶ月分以上に相当するだろう。

座席に座り、再び『砂の女』を読み始める。男は砂の窪地にある家に閉じ込められ何とか脱出を試みている。砂しかない地獄。男に求められているのはひたすら押し寄せる砂を掻いて部落が砂に埋没するのを防ぐだけ。砂を掻かなければ水も与えられないが、逆に砂を掻けば食料も水も配給され、最低限生きることはできる。男は新聞を手に入れたようだが、記事の見出しを見てどれを欠いても問題ないと悟り、結局は読まなくなった。

 

地下鉄につながる通路を下りていると、ついさっき電車が着いたらしく、たくさんの人が上がってきた。短いエスカレーターに乗っている人のうち、10人に5人はスマホを手にしている。このわずか10秒程度に何を見ているのだろう。自分の手元にないだけに他人が当たり前のように液晶を覗き込む姿は余計に奇異に思えてくる。

地下鉄に乗り込み再び『砂の女』。男は短期的な砂地からの脱出をあきらめ長期的な計画を考えるようになった。ただ、脱出してから何をするのかの考えはないようだ。一緒にいる女はただ当たり前にように砂を掻き、内職仕事でラジオと鏡を買うことを夢見ている。男は脱出するためにラジオを買うことに協力を始める。

今やチベットの奥地でも携帯電話が普及しているという。物語の舞台が現代ならスマホを買うことになるのだろうか。

 

自宅に着いてさらに続きを読む。最初は男が砂の部落に閉じ込められ、脱出を試みるのに対して読んでいるこちらも力が入ったが、徐々に脱出する必要があるのだろうかと思い始めた。この男はこの砂の地獄から脱出して自由を手にしてもその自由をどう使うかわからないのだ。確かに砂しかない世界に閉じ込められているが、外に出ても何も希望らしいものがない。やがて男は脱出のために烏を捉える罠を作り、それを「希望」と名付けるが、脱出することそのものが「希望」であって、特に脱出後の未来に希望がないように思える。

男が砂以外に何も「ない」ことに不満があるとすれば、女はラジオと鏡が「ある」ことを望んでいる。物語の最後に男は思いがけず脱出するチャンスを手にするが、脱出を放棄する。誤読かもしれないが、男は砂地でも清水を得ることのできる独自の溜水装置を開発し、部落の人々を驚かせるという些細な希望を手にし、何も「ない」外界への執着が薄れてしまったと私は解釈した。現代の都市生活者は今「ある」ものがなくなることに強烈な不安感を持つが、実際には砂地の昆虫のように何も「ない」ことには徐々に適用できる。そして、何かを手に入れたいという「ある」状態に対する方が強い欲求として生まれてくる。

結局iPhone君は無事救出してもらい、置き忘れから40時間ほどで帰還した。手元にわずかの間だけiPhone君がいなくなって、何かが「ない」不満と若干の不安を味わったわけだが、起動してみると、実家から姪のかわいい画像が送られてきていただけで、不要不急の用などなかった。

【Amazon.co.jp限定】 砂の女 (特典:新潮文庫の100冊キュンタ 壁紙ダウンロード)

【Amazon.co.jp限定】 砂の女 (特典:新潮文庫の100冊キュンタ 壁紙ダウンロード)