クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

節約家

道家華道家書道家、登山家と家が付く肩書きは数あるが、節約家というのはいかなる人だかよくわからない。しかしながら今もiPhoneの漢字変換で一発で出たので使う人はそれなりにいるらしい。

お金については本ブログでもいろいろ書き散らしたが、私にも一貫した考えがあるかというとかなり怪しい。そもそもお金を惜しむのが節約家だが、お金を貯めるのが好きな蓄財家やらお金を沢山持っている金満家が別にいて、みんな一体どれを目指しているのかわからなくなってしまう。金満家なら節約家にならなくてもいいが、金満家にも浪費家と蓄財家がいて何がなんやらわからない。普段100g200円の牛肉を買うのに迷いを生じ、98円の細切れ豚肉に飛びつくのに、時々居酒屋なんかで、一杯500円のビールの注文に躊躇のない自分は何だろうと思ったりする。ただ、1円でも安いものを求めて車で奔走する人は決して珍しくないので、この癖は自分だけではないと心を鎮めている。

 

お金に関して最も人に嫌われるのは慳貪である。しかも、金があってケチなパターン。お金がなくてケチなのは当然だからだ。

私が社会人になりたての頃は金銭感覚があまりなかった。これは浪費が酷かったのではなくその逆で、収入があるのにどのくらい使っていいかわからなかったのだ。結果、わけもなく苦学生のような生活を独り繰り広げていたのである。今でもその時とさほど変わったとは思わないが、少しその頃を思い出してみた。

 

その一 パンとピーナッツバター

会社に入社して最初の2ヶ月は同期の男と浦和にある2DKの部屋に押し込められた。短期間だからということで共同生活をさせられたのだが、この男と金銭感覚は全くと言っていい程合わなかった。毎日仕事が終わると、彼はパチンコに行き、定食屋で夕食を食べて帰ってきた。私は帰ってキッチンで米を炊き、野菜炒めなどを作ってもそもそ食べた。鍋や皿はあったので何も準備をする必要はなかった。

当時の私は自分がいくらもらっていていくらまで使ってよいのか全く分からなかった。朝食と昼食は節約のため食パンにピーナッツバターを付けて食べていた。それだけでは栄養失調になりそうなので、夜だけは野菜や肉も食べた。これを見て同室の男は「俺たちちゃんと給料もらってるんだよ!」と口酸っぱく忠告した。それでも頑固に食パン生活を続ける私を見て途中で諦めたのだろう。やがて何も言わなくなった。

結局この生活は2ヶ月くらいで終わり、2人ばらばらの赴任地に移った。その10年後に同室の彼はギャンブルに大いに祟られ、「今は君が正しかったと思うよ」という言葉を私にかけるのだが、本当に正しかったのかは今をもってわからない。

 

その二 エアコン

昨今は、猛暑日を記録するたびに「適切なエアコンの利用」とアナウンスされるようになった。かつては公立の学校でエアコンがなく、「クーラー病」になると言って暑さを我慢するように子どもたちに強制していたのは何だったのだろう。

浦和の共同生活が終わり、最初に赴任したには広島だった。3LDK駐車場付で月額5万6千円也。1人で暮らすには無駄に広く、その代りエアコンはなかった。赴任したのは7月だったが、いつまで住むわからない部屋に業者を呼んで工事をする気になれないのでそのままにしていた。幸か不幸か仕事が忙しく、日中は部屋にいない。炎天下での現場仕事もあったので、夜帰って窓を開ければ十分に涼しく感じられた。

平日はいいのだが、休日を乗り切る方が困難だった。当時の仕事には緊急出動のための当番というものがあり、連絡から30分以内に顧客宅へ駆けつけるため、休日にもかかわらず遠出ができないという日があった。休日なので会社には出たくないが、部屋は猛烈に暑い。水を飲んで水浴びをして凌いだ。

 

その三 米

小学校の授業では必ず「コメの消費量低下」というものを取り上げる。そして「日本の食料自給率が...」と話が続くが、結局どう教育したいのかわからない。もっと米を食えということか。食料自給率を下げるパンや麺類を食べるなということか。「はっきりせい!」と思うが、はっきり言うと製粉業界などから抗議が来そうなのでごにょごにょと誤魔化しているのだろう。

閑話休題。1人暮らしを始めると米を食べるのが最も経済的だとわかった。5㎏で2000円程度だが炊くと2倍以上になる。炊くのにかかる時間だけがネックだが、少量の場合は炊飯器ではなく鍋で炊けば30分以内に炊き上がる。スカスカのパンに比べれば腹持ちもいい。

当初はパン-ピーナッツバター生活をやっていたが、広島では米生活に切り替えた。そしてその米もできるだけ安いものを選ぶようになった。近所にあった大型スーパーは安売りを目玉にしており、いつもごった返していた。いつも人でごった返していて、客層も安売りに見合った貧層な顔つきであり、私もその一員として亡者の群れのように列に連なっていた。

米は10㎏で買っていた。当然5㎏で買うより安いからだ。2000円少々だったと思う。とんでもなく安いのだが、炊いた翌日には安さの理由を思い知ることになる。臭いのだ。米がこんな臭いを放つとは知らなかった。新米の時期になっても新米の文字が入らないところを見ると古米か古古米が入っているらしい。価格には理由があることをその時悟った。

ちなみにそのスーパーではステーキ用牛肉が100g98円だった。5%の税込みで98円だ。今となっては何の肉だったのか知るのが怖い。

 

テレビや雑誌の話題でいつの時代も尽きないのは健康と節約の話題だ。こんな私だが、節約に関するテレビ番組は正直見たくない。自分の至らなさを指摘されるようだし、あまりにみみっちい節約術を紹介されると、「まずはテレビを消さんかい!」と突っ込みたくなるからだ。

私の節約について書いたのはただ愚かな自己満足を嗤うためであって、「こんなに節約しているからこんなに貯金があるのです」と誇るためではない。そう、節約家の節約は所詮自己満足に過ぎないのだ。