クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ブロガー

ブログのアクセス数を増やすコツを検索してみた。それによっては我がブログもそれによる経営方針を大いに転換するかもしれない。そもそも誰も注目してないだろうが、勝手に自己分析を行って盛り上がってみよう。

 

1 テーマを絞る

本ブログはテーマなし。勝手気儘気分の赴くままに書き散らかしている。まずは失格だ。当初はもっと絞るつもりだった。登山とかランニングに特化してもよかったし、それの方が閲覧者が増えるだろう。ただ、登山をテーマにしたブログに対して、私には複雑な思いがある。

10年ほど前に夏の八ヶ岳登山に行った時のこと、始発列車から乗り継いで中央線に乗り込んで窓の外を眺めていたら、向かいに座ったオヤジが話しかけてきた。

「1人かい?」

「ええ」

「どこへ行くの?」

八ヶ岳へ」

北八ヶ岳かい?」

「いえ、南です。硫黄岳から横岳を回ろうかと」

「南は険しいよ。北はなだらかだけど」

「そうですか」

「1人だと危ないよ。ちょっと滑落すると見えなくなる。登山道のちょっと脇でも木に隠れると全然見えない。山岳会で遭難者を探しに行ったことがあるけど全く見つからなかった」

「へー。怖いですね」

「1人はいけないよ」

今更そう言われてもこっちは1人で来てしまっているのだ。山の先輩としての忠告か。それともただ怖がらせているのだろうか。私は何も言えず黙っていた。オヤジは大月近辺で自分の下車駅が近づくとこう言った。

「自分はブログやっているんだけど、『◯◯さんの山日記』で検索すれば出てくるから見て」

私はなんとも言えない心境で「ええ」とだけ言い、年季の入ったザックを背負ったオヤジの背中を見送った。その後、一応義理でブログは覗いてみたが、よくある山行を写真で紹介しているだけで、さほど珍しいとも面白いとも思わなかった。

登山と言ってもルート紹介なんかはヤマレコなどにも溢れている。それに登山はそもそも個人的な行為であって共有できるものではない。私には登山のhow toを伝えるほどの実績も能力もないし、ヒマラヤや海外遠征といった珍しい体験もない。そしてなにより中央線で出会ったこのオヤジのように自分が得々と読者を説教している姿を思い浮かべると、おいそれと登山やらランニングについて書くことができないのだ。

 

2 毎日更新する

当初は1日1個くらい書いてもいいなと思っていたが、毎日書くネタはない。ある日はいくつもあるが、書く時間や手間もある。仕事じゃないし、また仕事ならなおのこと毎日更新したくない。 SNSでも毎日の日常を投稿する人がいるが、大変なことだと思う。

確かに不定期で更新されると読み手は困るだろう。 ただネタもないのに無理に更新するのもどうかと悩んでしまう。

昨年屋久島に行った3日目、私は宮之浦岳から下山して夜は小料理屋のカウンター席で独り飯を食べていた。右隣に座った40代くらいの男性はついさっきバスで会ったばかりの人で、その人も関東から屋久島へ登山目的で来ていた。話は弾んだのだが、その方は疲れていたようで、自分の定食を平らげると早々に宿へ引き上げてしまった。残された私はしばらく屋久島名物の首折れ鯖を肴に焼酎・三岳を飲んでいた。その店は外国人観光客が多く賑わっていた。

男性が去ってすぐ私の左隣に中国人と思しき若い女性2人が座った。2人は定食を頼むとすぐにiPhoneでインスタグラムか何かを開いて互いに見せ合っていた。地元の友達に自慢しているのだろうか。いかにも日本的な小料理屋の風情には目もくれず、仲睦まじく声高に話している。少しして定食が運ばれてくると、早速2人はiPhoneで本日のディナーの撮影に入った。彼女たちの夕食はトンカツ定食をだった。

まあ、私だって海外に行ってテンションが上がればこういうことはしかねない。それに彼女たちは魚が苦手で、屋久島へ来たと言っても鯖や飛び魚を食べようといった気などさらさらなかったかもしれない。しかし、彼女たちのその時最大の関心事は旅ではなくインスタであったことは間違いない。

何が言いたいかというと、毎日更新しようとするあまりに行為そのものより表現が目的になりはしないかという懸念を感じるのだ。旅をすることより旅を記述することが目的になると、主役たる旅の味を失いかねない。一人旅をしていて面白い出来事があると、「これは人に話したい」と思わなくはない。ただ、ブログで伝えるためだけに設定した旅を私はしたいと思わない。

 

3 尖った個性がある

先に挙げた1にも共通するらしい。読む人は自分にとって役に立つか、興味があって面白いネタを読むが、それには際立った特長が必要だ。今のところ本ブログの特徴は文字が多いことくらいで、多彩な機能を全く利用していない。個人的には文字ばかりのブログを読むのは好きだが世間は活字離れなのだ。ただ、ここで方針転換すると完全に特徴がなくなってしまう。そういうわけで、ただ文字ばかりを綴るという特長のみを持つブログとして続けるしかなさそうだ。

 

その他人気ブログへの道は色々ある。キーワードがどうだ、投稿するタイミングが、見出しが…。

だんだん面倒くさくなってきた。

そもそもどのくらいアクセスがあればよいのか。1日あたり50アクセスくらいあれば上位なんだと。1日に50人もの人々が見るとは恐ろしい。誤字脱字やら日本語の間違いを発見されたり、曖昧な記憶で書いたものの正誤を検証されてしまう。

だいたい今は何でもかんでもGoogle先生尋ねることができるから厄介だ。例えば「因幡の白兎のように鮫に乗って海を渡ったのだろう」と書いたとする。

「白兎が鮫を利用したというのは通説である。『古事記』の原文にはワニという記載がある。日本に鰐はいないから鮫だろうと推測されているに過ぎない」

 「白兎海岸でシュモクザメが泳いでいる姿が観測されたことがある」

「鮫は本来臆病な生物だから兎を襲ったりしない」

それで一体何の話だっけ、という事態になりそうだ。これ自体がネット住人達に対する大いなる偏見に基づいて勝手に戦慄を覚えているだけだが。 

 

多分、写真ももっと増やしてキーワードを増やして、テーマを自分の趣味に焦点を合わせればもっとアクセスを増やせるのだろう。

結局のところ、当初から決めていたことだがブログは宣伝しない。その分書きたいことを書こうと心に誓った。