クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

引退

「早よ引退して仕事やめたいわ」

ファミレスで、ある友人がコーヒーを手にしながら呟いた。彼女の目下の趣味はマラソン。大会に備えて平日は会社から自宅まで走ると言うから恐れ入る。学生時代はソフトボールのピッチャーをやっていたというガッチリ体形で、今鍛えているのは退職しても遊び続ける体力が必要だからという。アクティブで大変よろしい。

きっと仕事を辞めたら地の果てまで走り尽くすに違いない。

 

 元・大阪近鉄バファローズの最後の4番バッター中村紀洋が「生涯現役」を標榜していた。しかし、2014年を最後にプロとして契約はしていない。「現役」の解釈の仕方にもよるが、プロアスリートで生涯現役は夭逝しない限り難しい。

将棋界では大山十五世名人みたいに死ぬまで現役の人もいたが、大棋士ほどキリの良いところで辞めている。将棋は相撲などと同じでプロは日本にしかなく、さらに協会も一つしかないから、そこでプロ資格をなくしたら自動的に引退となる。これも一種のスポーツみたいなものだから生涯現役は難しい。


では一般、市井の人はどうだろう。

現代日本のように65歳まで働き、下手をすると70歳まで働かされる社会では徐々に引退が許されなくなってきている。「引退して悠々自適=社会に貢献しない不届き者」という図式になってきた。「働き方改革」も「日本の人口がどんどん減るから、みんな健康で長期間働こうね。高齢者も女性も働けるようにするから」ということだろう。これまでのように「20代から50代までは仕事に励め。楽しみは引退してからだ」ではなくなり、死ぬまで現役を強制する流れになってきている。有給をもっと取ろうも柔軟な勤務時間もすべては国民皆兵状態、全員生産人にして人口減少に対応しようという魂胆らしい。

私は働くのは嫌いじゃないが、働けと言われるのは嫌いである。働くのはいいが、自分の意志で働きたい。しかし、「国民全員を動かすにはそんな甘いことは言ってられん!」とばかりに年金の支給年齢を上げて強制的に労働させられる未来が待っている。まあ年金制度そのものが破綻状態だし、今後年金は働けなくなった時の生活保護くらいに考えなくてはならないかもしれない。

 

 「引退したら毎日裏の山に登って、食事は一汁一菜。仙人のような生活をする」と宣言していたのは我が父だが、結局は六十代半ばでも引退せず、腹周りも俗人たるままだ。「今の会社では自分が一番英語ができる」と威張っていて、それなりに意欲的に仕事をやっているのは結構なことである。

しかしながら、みんながそんなに働きたいのだろうか。最初に書いた友人のように適当に引退して金のかからない趣味に没頭したい人もいるだろうに。

 

 「人生楽ありゃ苦もあるさ」

 どう考えてもドラマの水戸黄門様は楽そうだ。ご隠居で好きに旅行して、危ない目に遭えば助さん角さんが助け、いざとなったら必殺の印籠がある。スリルを味わうための漫遊記といったところか。多くの人は引退しても、水戸黄門になりきれず、職務を全うする助さん角さんにならざるを得ない。

私はどちらになるだろうか。