クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

来週休みます

映画「釣りバカ日誌」で浜ちゃん役・西田敏行の台詞。

「俺はなぁ!実の兄貴を殺してまで来たんだぞ!」

忌引きを理由に釣りの誘いに駆けつけたわけだ。今有給休暇5日以上の取得を義務付けるという法案が提出されているが、休むを悪徳とみなすのが日本企業の長年の習いである。有休を5日取る人よりきっと5日以上サービス出勤する人の方が多いに違いない。

このシーンを見たとき、爆笑したのと同時に会社員は親族が死ななければ休むこともできないのかと少し悲しい気持ちになった記憶がある。

 

日本人の勤勉性とよく言われるが、スピーチなどで演者に恍惚とした表情で言われると鼻白むところがある。「本当かい?」と。

各国の労働時間を見ても日本が特別長いわけではない。OEDC統計で2017年実績を見てみると、年間労働時間で

1位:メキシコ2,257時間

2位:コスタリカ2,179時間

3位:韓国2,024時間

     ・

15位:アメリカ1,780時間

22位:日本1,710時間

38位:ドイツ1,356時間

だそうだ。日本はお隣の韓国と比べるとかなり少ない。1日8時間と仮定すると40日も少ない計算になる。1位のメキシコと比べると68日分にもなって「ホンマかいな」と思いたくなる。

メキシコとドイツの差になると112日分にもなってしまい、ドイツ人はメキシコ人の半分ちょっとしか働いていないという結論になってしまう。「アリとキリギリス」で言えばドイツ人がアリでメキシコ人がキリギリスになりそう(あくまで気候とかからのイメージ)だが、労働時間の実態は逆と言うことになる。

これを見る限り勤勉な日本人というのは幻想のような気がする。

 

私は経済学者でも労務の専門でもないので何とも言えないが、大学の「マクロ経済学」という講義で聞いた内容はこんな感じだった。

昔のサラリーマン夫婦で夫が会社員、妻が専業主婦という形態が多かった。企業とすれば、会社内で目一杯働いてくれればそれでいいわけで、家事は妻にやってもらえということになる。それに高度経済成長期は企業の業績も月給も右肩上がりだった。多少労働時間が長くても年功序列で月給が上がることが見えている以上は頑張ることができる。

結果、夫は早朝出勤、深夜帰宅の熱血サラリーマン、妻は家事のスペシャリストという夫婦が誕生する。ただし、互いにこの役割を交換することはできない。

ところが、経済成長期が終わると簡単に月給が上がらないのみならず、ボーナスカットやらリストラやらの不穏な状況が生まれてきた。そうなると共稼ぎにしてリスクをヘッジしようという発想になってくる。共稼ぎだから家事も当然分担しなくてはならない。しかし、昔の熱血サラリーマンたちが上司を務める会社では「家事なんか女にやらせればいい」みたいな発想がまかり通っているので、狭間の世代が四苦八苦している。

担当の教授は共働きをできる体制を官民総出で立ち上げなくてはならないと主張していたと思う。

 

私は一時期、1日14時間くらい働いていた。午前7時30分前後に出社し、退社するのは22時過ぎ。昼休みも30分くらいしか取ってなかった。仕事が終わったからではなく、「あー、これ以上働いたら疲れて次の日に差し支えるから帰ろう」くらいで、業務は泉のように沸いて果てることがない。当時の上司からは「お前が出社したところも退社したところも見たことがない」と言われた。こんな芸当はただの体力技で、全員ができるとは思わないし、私自身も60歳近くなってこんなことができるとは露ほども考えていない。

共稼ぎで2人が計16時間働けたら私1人の14時間より長い時間働くことができる。「働き方改革」の発想のもとはこのあたりだろう。人口減で経済が破綻するくらいなら国民皆兵で労働時間を増やさなくてはならない。これまで黙認していた「グレーゾーン労働」みたいなものを廃止しなければ、老若男女全員が働き続けられないと言っているのだ。

 

ただ、「働き方改革」はお役所的な発想にとらわれて、時間の確保ばかりが注目されているような気がする。

日本の風土として「生産性」という概念が乏しい。労働時間は数値化できるが、生産性の数値化は難しく、生産性を上げてもどうせ評価されないというのもある。それに夜遅くまで残っていると頑張っているように思われる。

私が14時間働いていたのは単に非効率な仕組みだったからである。出てくる稟議書の誤字脱字から投資回収期間の算定根拠やその他申請書のチェック。その後、同じ業務を8時間くらいで終えるように改良を加えた。しかし、こうなると周囲は「最近は楽になったんだね」くらいにしか見てもらえなかった。

長時間我慢して働いているからエラいというスポ魂的な発想がまかり通ているからこそ、労働時間に固執するのだろう。確かに労働は人生の有限な時間を切り売りしている行為に他ならないので時間という基軸は確かに重要だ。しかし、どう効率化したか、生産性を上げたかという視点がない限り、永遠に社会は進歩しない。

日本人が勤勉であるということは客観的に証明できない。しかし、「勤勉にあらねばならない」という強迫観念だけはかなりの割合で持っている。そして勤勉はすなわち労働時間だという考えもかなり残っている。これが生産性という考えを浸透させるのに悪影響を及ぼしているのことは間違いない。

 

私が「来週休ませてください」と上司に告げると、「なぜ?」と聞かれた。有給休暇の取得に対して理由を告げる義務はない。「は?」という表情をすると、上司は「まだ監査も続いているし相当の理由がなければいけない」としたり顔で言う。

どう答えたかここには書かないが、西田敏行のセリフが頭にあったことだけは事実である。