クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

'90アメリカ滞在記・7歳の見た異国ー西部へ行く

アメリカを含む欧米の学校は概ね6月から8月は夏休みとなる。4月に入学した私はたった2か月で長期休みに入ってしまった。月曜から金曜はアメリカの学校で、土曜日は日本人学校に行っていたので、3か月まるまるの休みというわけではなかったが、それでも日本では考えられないくらいの長期休みを手にしたのだ。

今でも元気だが、もっと元気だった我が父は家族を連れてアメリカのあちこちを旅行した。わずかな滞在期間だったのにもかかわらず、今からするとよく出かけたものだと感心するやら呆れるやらである。

その中で、アメリカ西部に行った時のことを書きたい。

 

アメリカ西部で行ったのはアリゾナなどの砂漠地帯である。飛行機で飛び、飛行場でレンタカーを借りて旅行した。行ったのはモニュメントバレーやグランドキャニオン、最後にラスベガスということで、観光旅行では定番メニューである。

飛行場に着き、レンタカーに乗り込むとすぐにあたりは赤茶けた砂漠に変わった。後年、映画「駅馬車」を見たが、あのままの風景である。ただ、砂漠を楽しむにはそれなりの歴史の知識や教養が必要となる。早い話が砂漠は何もないエリアなので、すぐに飽きてしまったのだ。

基本は砂漠地帯なので地平線の先まで何もない。日本なら道と道には電柱が立っているが、そんなものもない。青い空があって茶色い地面があり、舗装路がひたすら一直線に伸びている。父親はひたすら「西部劇の世界や」とか言って感動していたが、7歳にそんな感動は通じず、ずっと手元にあるバットマンのポケットゲームをしていた。

地平線の先を見つめると、何か人工物が目に入った。砂漠にほとほと飽きていたので、目を凝らす。徐々にその人工物が近づいてくる。「なんだなんだ」と少し身を乗り出すと、それはマクドナルドの店舗だった。

砂漠の真ん中にマクドナルド?それが私の最も印象的な光景であった。

 

正直な話、モニュメントバレーはあまり感動しなかった。砂漠に突き出た巨大な岩であって、特に面白いものではない。何しろ遠くにあるので、当時の私にはその大きさを感じないのだ。

それ以上に面白かったのはグランドキャニオンで、渓谷の中を流れる白い流れを見ていると、この谷の中には何があるのかと想像が膨らんで楽しかった。

こういった名所の他に、父親は恐竜の足跡を見に行くというイベントも用意してくれた。おそらく子どもたちが退屈しているのを見て取ったのだろう。日本にいた時から私はヒサクニヒコさんの恐竜の本が好きで、講演を聞きに行ったこともあった。砂漠に飽きていた私にはこの旅行最大のイベントとなった。

カーナビなんかはまだなかったので、「足跡」までは地図を広げて向かう。日本のように「恐竜の足跡 この先20km」とかいう看板は立っていない。周りは相変わらずの砂漠で、こんなところでガス欠になったらと考えると恐ろしくなる。

地図に従って道を進むと、舗装道路が切れてダートになる。「ほんまにこっちか?」と父親も少し不安になったようだ。それもで夕暮れ迫る中、車を進めるとなんだか小さな看板が立っていて、「何の標識だ?」と見るとそこが恐竜の足跡のあるところだった。

「恐竜の足跡」と言って何を想像するだろう。おそらく三本指の鶏の足跡の大きなものや、子どもなら中に入ることができるくらいの窪みだろうか。

そこあったもの。それは砂漠に空いたちょっとした穴だった。昨日雨がふって陥没したと言ってもわからないくらいのただの穴。しかも薄汚れた板切れに何か書いてあるだけで、どんな恐竜かもわからない。

日本ならたちまち博物館ができて、足跡は保存するためのガラスケースに入れられ、生きていたころの姿を再現した模型やその恐竜が食べていたであろう食物の解説が詳細に書かれ、果ては恐竜饅頭に恐竜手拭いが発売されそうなところだが、こういうところがアメリカである。

「どこが?」などと訊かないでほしい。こういうところである。

 

西部最後の観光はラスベガスだった。正直な話、何泊の旅行だったかも覚えていないが、ラスベガスが最後だった。

ラスベガスに着いたのは夜で、今まで街灯もない真っ暗闇を走っていた車を突然光の渦が取り囲んだ。夢のようなというより、何か異様な感じがした。さっきまで車のライト以外は漆黒と言っても良いくらいの闇だったのだ。

高いビルが立ち並び、車道の脇には巨大なネオンの看板が並んでいる。中でもピエロの看板が妙に印象的で、異様さを一層増しているような気がした。

後に何かの文章で、ラスベガスの明かりは漆黒の闇に押しつぶされないように光を放ち続けているというような記述を見て、大いに納得した。この街の明かりは、辺りを闇に包まれないように、燃え続ける星のような感じがする。

当時はラスベガスがカジノの街だなんて知らないし、知っていても子どもがカジノに行けるわけがない。「最後の晩はちょっと贅沢しようか」などと話していた両親だったが、着いた時刻も遅く、ほとんど客のいないレストランでピザとパスタを食べてモーテルに入るとすぐに寝てしまった。

 

 もし20歳を過ぎて同じ旅行をしたら、モニュメントバレーにジョン・ウェインの姿を重ねて、もっと感動したかもしれない。ラスベガスではスロットでもやろうかという気になったかもしれない。

ただ、マクドナルドに感動したり、グランドキャニオンの谷底を想像したりはしないだろう。この年だったから感じたもの、考えたことがあったことは確かな気がする。