クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

'90アメリカ滞在記・7歳の見た異国ー自由の国

7歳は日本では小学校1年生にあたる。日本の小学生は毎朝、上級生に引き連れられてぞろぞろと通学する。帰る時はどうするのだろう。私の時は帰る時は自由だった。

私が日本に戻ってきてから通った小学校では夏は白いハット、冬は男子のみ黒のツバ付制帽だった。冬帽は『サザエさん』でカツオがかぶっていた帽子を黒くしたイメージだ。服装は私服だったものの、男子は半ズボン、女子はスカートで、冬もマフラー禁止。長ズボンを履く時は親が連絡帳に「風邪を引いているので長ズボンを履かせます」と書いて先生に見せなくてはならなかった。


私はその小学校に入学していないものの、アメリカの学校へは最初半ズボンで行った。母親としてはそれが当然と思っていたわけだが、「日本人はなんてpoorなんだ。長ズボンを買えないから半ズボンを履かせているのか~」と勘違いされて、お古のジーンズをもらったりした。そんなわけで当時は半ズボンをやめて基本はジーンズにトレーナーという格好が多い。

向こうの子はやはり自由だった。ジーンズにシャツというラフな服装が多かったが、毎日シンデレラドレスのような服装の子もいた。

当時の母親によると、ディズニーの『シンデレラ』に出てきたようなラクダのコブみたいなドレスだけは禁止だそうな。それ以外ならOKとのこと。

そりゃそうだ、あれじゃ何もできん。


自由の国ではあったものの、子どもというのは半人前扱いなのでそれなりに大変さだった。

まず、州法によって子どもだけの留守番は禁止である。ちょっとした買い物も子どもを連れて出なくてはならない。うちの母親は、ほんの数分の場合のみ、われわれに声を立てるな、姿を外に見せるなと指示を出して近所で所用を済ませていたが、半人前がいると大人は困る。

一方で十何歳かになればベビーシッターとして金銭を得ることもできる。


もっとも子どもの側も困ることがあって、7歳だろうが一人前に見なされることで往生することもあった。

アメリカに行って半年くらいだろうか。母親がデイキャンプに行かないと言う。バスに乗って、アウトドアフィールドで、カヌーやらなんやらを体験できるらしい。わけはわからんが、せっかくアメリカまで来たわけなので参加することにした。妹は渋々だったようだ。

デイキャンプは10人くらいの班に分かれてアーチェリーをしたり馬に乗ったり、1アクティビティを1時間くらいやって、次へ行く方式だった。アーチェリーをやっても馬に乗っても、向こうの奴らは身体もゴツくて上手くやっていた。私はアーチェリーをやれば満足に引けず、馬に乗ればなぜか暴走し(おそらく食事中に呼ばれて機嫌が悪かった)、であまり良い思い出がない。


ある日、アーチェリーの後に不意に私は尿意を催した。今日いっぱいもたないことを悟った幼い私はリーダーに”Can I go to the toilet?”と訊いた。”Sure.”という言葉を聞くやトイレに駆け込んだ私が、戻ると誰もいなかった。

「うそやろ」である。ふらっとトイレに行けばその可能性もあったので、わざわざ告げて行ったのに。

その日、私は見失ったチームを探すのに、広いフィールドを半日がかりで駆け巡り、やっと探したらみんなは池でのんびりカヌーをしていた。

リーダーに配慮が足りないのか、それが当たり前なのかは未だにわからないが、その時私は「自由は重たいものだなぁ」と身をもって感じたのである。