クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

'90アメリカ滞在記・7歳の見た異国ー南の楽園

アメリカ滞在中の真打ちは何と言ってもフロリダである。西・北・東と書いてきて、南を残していたのはここを書くためだ。

フロリダに行ったのは1990年も末、クリスマスの頃。とにかく向こうでは遊びまくっていたわけだが、滞在期間も最後にぱーっと遊ぼうということで、日本人3家族で出かけることになった。

 

飛行機を降りるとフロリダは常夏だった。常夏という言葉も当時は知らなかったのにトコナツを体験してしまった。

12月はと言えば当時住んでいたケンタッキー州は日本と同じくらいのイメージで冬となる。関西や関東とそんなに変わらないではないだろうか。寒ければ息が白くなり、芝生から霜柱が立つこともあるし、雪も降る。

それが飛行機を降りると、ヤシの木、があったか定かではないが、夏の青空が広がっていて、人々は半袖・短パンだ。

早速海に行き、ささやかな海水浴。なんとなく贅沢。冬に海水浴というのはなんだか温水プールに行っているみたいで、貧乏性の日本人としては気が引けてしまう。その時はわりと早い時間だったためかわれわれ以外に海に入る人はいなかった。

 

2日目からが本当の目的地である。フロリダと言えばウォールト・ディズニーワールド。東京はディズニーランドとなっているのに対して、ワールドはまさに「世界」で、ディズニーランドが数個入るくらいの規模がある。

その最初の洗礼は駐車場だった。われわれ日本人3家族は前日は早々に引き揚げ、朝早くディズニーワールドの駐車場に車を入れた。広い、広すぎる。駐車場で野球ができる。しかも広々どこでも駐車できる。日本みたいに駐車スペースを探してウロウロもない。

ただ、広すぎるので入場までが大変である。わが父親はまだ元気だったが、駐車場を渡り、階段を上がるとすでに疲れてしまった父さん方がいて、宿泊先のモーテルに帰るときはどこに車を止めたかわからなくなり(車がいっぱいになると来た時と景色がまったく違っていて)、またも走り回って疲れてしまうお父様方が多かった。

 

ここから夢の「世界」でいかに遊んだかを書き連ねても良いのだが、もう30年近く前のアトラクションをだらだらと書いても情報として役に立たないし、ただの自慢話になるので止しておく。以下印象的な風景をスケッチしてみた。

まずは人である。アメリカ人といえばすごい肥満の白人を思い浮かべる人も多いだろう。まさにその通りで、日本では到底お見かけできない縦にも横にも大きい人がゴロゴロいる。その巨体をゆっくりと揺らしながらのんびり歩く。手にはケンタッキーフライドチキンのバケツくらいあるポップコーンがあり、それをポリポリかじりながら彼らは歩くのだ。ポップコーンにはたっぷりとバターがかかっていて、陽の光を浴びてテラテラと光っている。

後年、東京ディズニーランドに行ったら、園内に入るやダッシュする人がいて、まるで運動会が始まったようだった。

 

園内はディズニーのキャラクターの溢れるマジックキングダムの他、カンボジアアンコールワットや日本の五重塔を模したもの、ジャングルや深海探検のアトラクションなど、世界旅行を楽しむようなものもある。当時から「インディー・ジョーンズ」のファンだった私にはこれが一番楽しかった。

ディズニーワールドについて強く思うは「大人が本気になって遊ぶ」ということだ。日本の多くの遊園地は「子ども目線」で作られているような気がする。

規模ばかりが注目されるディズニーだが、決して「子どもだまし」ではないのは「スペースシップ・アース」を見ても明らかだった。見た目、巨大なゴルフボールみたいな建造物で、名称はバックミンスター・フラーに因むものらしい。

内部は近未来をイメージした内容になっていて、宇宙旅行や未来都市のイメージが再現されている。詳しい展示内容は忘れてしまったが、日本の博物館みたいな余計な蘊蓄もなく、ひたすら楽しませることに終始していたことは覚えている。

 

当時、"A Little World"ができたばかりで、ほとんど行列というものを見ない園内で、唯一と言っていい行列ができていた。今では東京ディズニーランドで最も退屈なアトラクションとされてしまっているが、私がアメリカで見た時はそれなりに感動した。

「何が?」と訊かれると難しい。ただ、世界の子どもたちが同じ場所に仲良く集うという想像上の世界が実現したらどうなるかということを素直に体現してしまったことに驚いた。当時7歳の私がそんな高尚なことを考えていたというわけではないが、誰かの頭の中をそのまま表現してしまうということには妙に感心させられた。

もっとも父親は「日本の遊園地とかで同じものやったら何個かは『故障中』っていうのが出てくるんやけど、全部ちゃんと動いてるんやもんなぁ」と妙なところに感心していたのだが。

 

最終日はパレードを見たり(背が低いのでわれわれ日本人グループはなかなか見えなかった)して、最後には「見れるかな」と話していた花火を見ることができて大満足のうちに南の楽園を後にした。

「ケンタッキーの我が家」に帰って来ると、路上や車にはうっすらと雪が積もっていた。