クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

‘90アメリカ滞在記・7歳の見た異国ー帰国

意外と長々書いてしまったアメリカ滞在記だが、今回で最後にしたい。

 

フロリダで休日を満喫した私たちはケンタッキーに戻るとクリスマスを堪能した。なんだか遊んでばかりである。

アメリカでは、イースターには卵にペイントし、ハロウィンにはジャコランタンを作り、といろいろな行事に参加したが、クリスマスは別格という感じがする。日本のように企業の消費喚起という側面だけでなく、個人の気合の入れ方がまさに桁違いなのだ。

映画”Home Alone “を想像してもらうとわかりやすい。今では日本でも珍しくなくなったが、電飾を付けた個人宅がチラホラではなくいたるところにあって、夜空を煌々と照らしている。日本のような青色などのそっとした色ではなく、赤や白のギンギン・ギラギラ証明で、道が明るくなるくらいなのだ。LED照明が登場する前だから、すごい電力消費になっていたに違いない。

街に出ればおもちゃ屋さんなんかもすごいことになっている。日本進出前だったTOYSURSに入ると、とんでもない量のパッケージがうず高く積まれていて、日本なら地震が起きたら危険だとクレームが付きそうな具合なのだ。

まあ我が家はあくまで日本家庭なので、2mくらいのツリーを部屋に飾った他は他人の家のデコレーションを眺めては感心するという慎ましやかな楽しみしかしなかった。それに、年を明けてからは慌ただしく帰国することになっていた。

 

アメリカ行きの時は父親が先に行って、家やら車やら準備してから母親と私、妹が行くという段取りだったので、それほどバタバタしなかった(両親はしていたかもしれないが、私はあまり感じてない)。

帰りは全員一斉だったので、車や不要な家具を売り、職場・学校の手続きをし、と狂騒を極めることになる。そうこうしているうちに私が風邪を引き、と大変な帰国となった。

実は帰国に際して、私はほとんど記憶がない。出国時とはエラい違いだ。

風邪を引いてヘロヘロとなり、最終的に伊丹空港では車椅子を出してもらった。病気のおかげで税関はさっさと通れたものの、私は帰国してからしばらく入院する羽目になった。

 

わずか10ヵ月の滞在だったが、いろいろな価値観を学んだ、というか7歳児からすると価値観そのものを大きく変えられた気がする。

日本に帰ったからは普通に過ごし、ごくごく普通の小学生として暮らすことになる。ただ、ちょっと価値観を揺さぶられる体験を幼い日にしたのは非常に幸いだったように思える。

今、好きな言葉を挙げろと言われると結構迷うが、嫌いな言葉はいろいろ挙げられる。中でも嫌いなのは「常識」や「間違い」といった言葉である。最近では「KY(空気読まない)」なんていう言葉も嫌いだ。日本を一歩出ればすべてのカードが裏返ることだってあるのだ。また、アメリカだって日本同様に閉鎖的価値観の国に違いない。

これらの言葉に嵌って疲れたら価値観の軸を揺さぶりに外国に出かけるといいかもしれない。