クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ゴルフ圧への抵抗

ここのところゴルフ圧が高まっている。ゴルフ熱ではなくゴルフ圧と呼ぶのは「ゴルフやれよー」というプレッシャーという意味である。7月に異動した部署では法務などとともに必修科目なのだそうだ。

以前、ゴルフについての記事を書いたことがあるが、またしてものゴルフ危機である。


ベストセラーになったマイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』でゴルフについてのテーマがあった。

大まかに言うと、歩行に少し難のあるゴルファーがカートの利用を申し出たところ、協会が拒否した。そのゴルファーは裁判所に不当な処置として提訴し、「ゴルフとは何か?」というテーマを司法が判断しなくてはならないという事態となった。最終的に司法は個々のスポーツを定義するべきではという判決となるわけだが、「ゴルフとは何か?」が裁判沙汰になったというのは興味深かった。

私も一度だけコースに出た時、「相当歩くぞ」と脅されたのだが、登山、走り、歩きを趣味にして人間にすればなんでもなかった。というかこんなもんで「今日はよく運動した」と言ってジョッキを傾けている場合ではないんでないかい?、これはスポーツなんかい?という疑問すら湧いてきた。

こんなことを書いていると、すでに期待もしていない出世の道も彼方に消えそうだ。

ただ、乏しいゴルフ体験から言えるのは、(その過程での努力や結果は別にして)ゴルフコース1ラウンド回ることはサッカーをフル出場するとかフルマラソンを走るより楽である。

そして、それでもなお緑の中を歩くことはなにがしかのアウトドアスポーツをやっている感覚に浸ることができるということも同時に言える。これは野田知佑さんも著者で、アウトドアをやらない者がちょっとアウトドア体験をした感じがすると書いていたが、まさにその通りだ。


大前研一さんの本を読むと、かつてサラリーマンの必須科目は「ゴルフ・麻雀・カラオケ」と言われたが、世界に通用するビジネスマンの教養にはならないのだという。

いろいろな国籍や信教の人が集まる中での話題は難しい。私がキャバクラなどで女の子を盛り上げることが困難なように、世界規模で話せる話題など少ないのだ。政治と宗教の話題は危険過ぎる。一方で博物館や美術館などの話題などは歴史問題に触れなければ無難らしい。音楽なんかもいいという。

スポーツも毒にも薬にもならないという点では良さそうだが、それぞれの文化によって盛んなものが変わるので難しいのだろう。ゴルフなどは発祥の地、イギリスとアメリカ、日本の人くらいしかしないらしい。トランプ大統領と安倍首相がゴルフをやっている映像が出たりしていたが、大前研一さんに言わせればゴルフをやるのは「教養のないトランプ大統領」くらいだという。


ゴルフをやれと言われても私の週末は忙しい。山へ行くか、ボルダリングジムでトレーニングに励むか、またはランニングをしてマラソン自己記録更新にも努めなくてはならない。別に誰に頼まれているわけでもないが、ゴルフをやっていては持久力不足で山で死んでしまう可能性がある。

それに山を破壊するゴルフ場運営を容認するわけにいかんのだ。


写真はゴルフと何も関係ない。夏の立山である。

ゴルフに行くくらいなら山歩きをしたい。

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