クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

タフでなければ~映画「シェーン」~

雨が続いて大変である。

まず、洗濯物が乾かない。そして遊びに行けない。仕事だけをしていると生きている意味とか、自分の存在意義とか、人生とかが頭をよぎって精神衛生上よろしくないし、身体も弱ってしまう。

仕方がないので再び映画でも見ようとなり、TSUTAYAで「シェーン」を借りてきた。

 シェーン(字幕版)

シェーン(字幕版)

  • メディア: Prime Video


舞台は荒野広がる西部で、前に見た「駅馬車」のようだが、少し違う。遠くには白く輝く山があり、時代は南北戦争後。「駅馬車」のようにインディアンとの抗争はない。以下、町山智浩さんの解説を見てわかったストーリーである。

荒野を耕し、牧畜を営む親子3人の前に突然現れたのが馬に乗ったシェーン。謎の男に一家はたじろぐが、町への買い物を買って出るなど、すぐに打ち解けていく。しかし、この一帯は農業従事者と牧場主との間で抗争が繰り広げられていた。

牧場主と書いたが、彼らは牧場を所有してはいない。彼らはかつてスペイン人が残し、自生している牛を捕まえて生計を立てていた。その中で、西部開拓を進める合衆国政府は農民の移住を進める。農民移住のために、合衆国は「5年土地を占有したらその土地を所有することを認める」という法律を出し、土地を持たない移民たちが流れ込むことになった。

それに驚いたのが、気ままに牛を捕まえていた牧場主たちである。有刺鉄線で土地を囲われていけば彼らの居場所はなくなる。牧場主たちは実力行使で農民移住を食い止めようとする。


牧場主も最初は柵を壊したり、畑を荒らしたりといったものだが、海を渡ってきた農民たちも追い出されては行き場がないのでしぶとい。ついに牧場主たちは殺し屋を雇って勝負を挑ませ、農民を射殺するに至る。

これに至っては農民側でも動揺が広がり、土地を去ろうとする者、徹底的に対決を挑む者と方針が分かれてしまう。

シェーンが居候する一家の主は返討ち覚悟で立ち向かうが、シェーンはそれを銃の台座で殴りつけて制止し、代わりに殺し屋の待つ酒場に向かう。


ストーリーはというと西部版「座頭市」みたいな感じだ。銃の達人と剣の達人という違いがあるものの、居候が悪役たちを退治して去っていくところも同じ。

では何が違うかと考えると、座頭市が盲人の按摩なのに対して、シェーンは五体満足、筋骨隆々の男である。

アメリカにいた時に見たプロレス中継では必ず大きくて強い(強そうな)が勝っていた。日本では小兵のレスラーにも一定数のファンがいて、時には勝つものが、アメリカでは大きい方が圧倒的に人気だ。小柄なアジア人レスラーがボカボカ殴られるのを観客は興奮して見ている。


「シェーン」でも冒頭の方で、シェーンとカウボーイたちが酒場で喧嘩をするシーンがある。多少のボクシングみたいな駆け引きがあるものの、あとは顔面の殴り合いとなる。シェーンも殴るが、同じくらい殴られる。

ところが乱闘が止まったところで、カウボーイは鼻血で顔が染まっているのに対して、シェーンは髪が少し乱れているくらいなのだ。

現実にあれだけ殴られれば腫れ上がる。その前にどちらかが失神KOか。


いずれにせよシェーンはタフなのだ。強い男は殴りつけるだけでなく、殴りつけられても強くなくてはならない。

「タフでなければ生きてゆけない。優しくなければ生きている意味がない」はレイモンド・チャンドラー『プレイ・バック』の中の台詞である。

日本人なら優しい方にウェイトを置いてこの言葉を聞くだろうが、アメリカ人ならタフでないといけない方に重点を置いて聞くのだろう。