久しぶりに北八ヶ岳に行った。山に行くのは先月の北海道以来で、ちょうど1ヶ月ぶり。
まあその話はまた別に書きたい。
今回山に携えた本は先崎学『フフフの歩』というエッセイ集。
藤井聡太くんの活躍で今話題の将棋界ではあるが、先崎学と言ってもピンと来る人は少ないと思う。1970年生まれの将棋士で、羽生善治らと同じ年代。17歳で四段、2000年にA級八段、現在は九段。
A級というのは名人を除いて全棋士のトップ10名のリーグ(フリークラス棋士を除く)なので、平たく言えばトップ11人になった一流棋士である。先崎さんは棋士の中でも珍しい文筆やトークに堪能な人で、テントの中でゲラゲラ笑いながら過ごすことができた。
面白い本ではあるものの、これがただの爆笑本でないのは、ひとえに棋士という一か八かの人生を送る人が綴るところにある。
何が一か八かと言えば説明が長くなる。小学生くらいから神童、天才と呼ばれた少年たちが奨励会というプロ養成機関に入り、中には中卒で将棋に励むわけで、プロになり損ねれば、まだ若いと言えどもただの人。
その意味ではプロスポーツと変わらない、というか世間的には「ただ将棋の強い人」というのは肉体労働の面ではスポーツ選手にも劣ると言える。
一か八かの人生というのは、憧れがあるものの、本当にやるのは難しい。親や周囲は穏当に過ごす方を勧めるし、成功より失敗を取り上げたがるのがマスコミである。まあ堅実に堅実にが世の流れ、流れに逆らって生きるのには相当な勇気がいるものだ。
登山というのは実に健康的な趣味に思われがちだが、時として世間の逆風を浴びることになる。
分かりやすいのは遭難事故で、どんな言い訳も許してもらえない。登山者本人は一か八かなんて考えていなくても、やらない人からは「無謀」に見えてしまうのだろう。沢登りなんて一か八か、無謀の典型で、「溺れる」、「滑落する」、「落石遭う」なんてことがふんだんに盛り込まれている。
ただ、今回のコロナ騒動を見ても、生きているということは死ぬリスクを背負っていることをみんな忘れているのではないかと思ったりもする。コロナを恐れて引きこもっている時間も人生の一部であり、その間も徐々に死んでいる。"We are living."であることは同時に"We are dying"なのだ。
だから、危険な登山を容認せよというわけではない。
ただ、私は登山も将棋は、人生が一か八かを生きていることを時々思い出させるアクティビティだという点において共通しているような気がしている。