クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

引退後の人生プランは?

相方の父が仕事を引退するらしい。

現在は雇用延長で債権回収や法律関係の仕事をやっていたが、これで完全退職。次に何をするかと思ったら大学に通う、つまり大学生になって好きな歴史の勉強をするのだとか。

会社員から再び学生。人生を遡ったみたいだ。

 

正月、相方の母方の祖父の話。

「同じマンションにでっかい奴がいてな。その奥さんは知っていたんだが、この間エレベーターで一緒になった」

 このじいちゃん、昔から気安く人に声を掛ける。大関にまでなった相撲取りに「こんなとこで遊んどらんで稽古せい」とか平気で言う。言われた方も怒るより先にたじろぐ。

この時も同じマンションの住人とはいえさぞ驚いたに違いない。

「あんたデカいな。なんかやっとったんか?」

「野球を少々」

「へえ!」

少々というところが奥ゆかしい。お見合いで「お茶とお琴を少々」みたいだ。"少々"不思議に思ったじいちゃんはさらに訊いた。

「プロか?」

「ええ」

あとで奥さんに聞けば、その夫はかつて地元球団でエースとなった男だった。その後、他球団に移籍してそこでは往年の活躍はできず引退。それでもリーグ優勝を牽引した地元の雄には違いない。

今は野球関連ではなく地元企業に就職し、サラリーマンとなっている。そして少年たちに時々野球を教えているらしい。

人生いろいろである。

じいちゃんはなぜか「立派な男だ」と感心していた。

 

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学校を卒業してずっとサラリーマン人生。こんな人は多い。ただ、一生続くわけではなく、どこかで転機はある。

プロ野球選手も長くて20年くらい。残りの人生の方がよっぽど長い。

億単位で稼ぐ人が月給いくらの世界で暮らすようになると、マスコミはしばしばその落差を興味本位で取り上げる。「高給取りが堕ちてきた」と留飲を下げる人もいるかもしれない。

しかし、プロアスリートはプロを引退しても、後進に伝えるものを持っている。それがプロでなくて少年であっても、一生にわたって誰かと共有できる何かを持っているのは幸せではないかと思う。

引退してなお必要なものは他者と対話できる何かである。生涯黙って暮らせるほど人は強くない。

 

相方の父は今、古文書と日々格闘しているようだ。

引退して過去の人と対話を続けるのもまた幸せなことかもしれない。