年明けの報道番組で今回のコロナ禍について
「世の中が効率化ばかりを追い求めて余裕がなくなっている」
と指摘する学者がいた。
人類の歴史とは効率化の歴史であり、今後もその流れが変わることはないというのに、危機的状況になると突然逆の意見が登場したりする。
『大阪学』という本によると大阪の路上駐車は東京と比較にならないのだという。数もさることながら、「捕まったら損した。捕まらんかったら得した」という感覚で路上駐車をしていて、道義的に悪いと感じていない。
歩行者信号も「事故らんかったらええんやろ」という感覚で見ているので、車が来なければそのまま道路を横断する。
私も久しぶりに大阪へ行くとわりと驚くことだ。路上駐車は多いし(過去からはかなり減ったが)、早朝は信号無視当たり前(車は少ないし)。
もともと商人の街で、武士なんかは江戸時代には数百人しか住んでいなかったというから、お上を恐れない、それでいて実質的な利益を重視する文化が根付いたものと分析されている。
将棋の升田幸三は広島出身にもかかわらず大阪びいきである。
「買い物かごを提げた普通のおばちゃんが高級な商品をポンと買う」
格好にこだわらない。それでいて必要なものは買うし、見栄を張るのには金をかけない。
見栄を張るには金がいるのだが、張っても腹の足しにならない。大阪人の大好きな粉物もおかずと飯を分けて作る、食べる手間がないから選ばれるのであって、「食い倒れ」と言われるような贅沢をするためではないのである。
このあたりチーズバーガーをディナーにするアメリカ(映画「ミリオンダラーベイビー」でもクリント・イーストウッドがチーズバーガーを差し入れていた)とよく似ていて面白い。大阪実質主義はアメリカ資本主義と同じ根のような気がする。
戦後の復興を牽引した日本企業に大阪発祥の企業は多い。
パナソニック、日清食品、武田製薬などが挙げられるだろう。見た目より実を取る会社が多い気がする。
ところがこれらの企業も今や本社を東京に移し、日本の企業は全体的に均質化したような気がする。実利より体面を重んじるようになると企業は衰退に向かう。
現在、コロナ、コロナと危機感だけを煽る政策が大勢を占めているが、思いっきり実利ベースで考える打開法を考えるのも一つではないだろうか。
この際、煙草は止めてみんな心肺機能を鍛えるとか。ご飯はみんな丼物を一気に掻き込むとか。しゃべらずに丼に顔を付ければ感染拡大を防げるかも。
まあそんなこと政策にはできないだろうけど。