私は幼少の時からゲーム、特にテレビゲームにほとんど親しんでいない。せいぜい友達の家に遊びに行ってやらせてもらうだけで、上手くもないしやらずに今に至る。
その意味で任天堂という会社は私にとって縁遠いところにあった。アメリカでNINTENDOという文字を見た時は、これはアメリカの会社に違いないと思ったくらいだ。京都に本社があると知った時は驚いたくらいだ。
こういう図式が多くの人の頭の中にあるわけだが、この横井軍平という人が最初に作ったのはマジックハンド。その後もいわゆるおもちゃを作っている。
ファミリーコンピュータには関与しているのだが、マリオを作ったのは宮本茂という開発者で、この横井氏はあまりテレビゲームそのものは好きではなかったようだ。
横井氏の最大のヒット作はゲームボーイで、ゲームボーイポケットを含めて世界で最も売れたゲームを作っている。
ファミコンとゲームボーイはわりと一緒くたにされる傾向にあるが、この2つは別なんだという。
ファミコンは一人遊びの道具で、ゲームボーイは外で友達と遊べるように作っている。通信ケーブルを差して遊べるようにしたのがそれだ。
2人で遊べるのと1人で遊ぶことの違いは何か。それは1人だとゲームを攻略するという1点に目的が集中することだろう。プレイヤーは開発者の考えた解法をなぞることが目的となってしまう。集中できる分、ゲーム好きはより高度で難しいものを求め、徐々に一部のマニアにしか支持されないゲームが量産されることになる。
実際、ファミコンはこの波に飲まれてしまった。プレイステーション、セガサターン、Xボックスと、高度でビジュアルに優れたハード機器が開発され、やがてPCゲームに取って代わられた。
本書では、遊びの原点を忘れて技術競争になったと指摘している。
ではゲームの本質とは、遊びの本質とは何か。
それは遊び手の創造性を刺激することだろう。解法がない、答えがない道を進む快感、自分で切り拓く感覚がなければすぐに飽きてしまう。
未知だから、先が見えないから面白い。それは私が登山に飽きてしまわないのと似ている。
知らないことがあるから世界は面白い。自分自身の人生そのものが未知なのだから。