クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

クレイジーになる幸せと不幸~『奇跡のリンゴ』を読む

奇跡のリンゴ』に関して雑感をもう一つ。

なぜ主人公の木村秋則は無農薬のリンゴに取り憑かれたのか。当人はバカだからという具合に笑い飛ばしているようだが、途中で自死も考えるくらいだから、本当にバカならできない。

バカというより狂っていた、「クレイジー」だったという方が正確かもしれない。

 

登山家・山野井泰史さんはテレビ番組のインタビューで

「登山と出会ってから、ずっと発狂状態」

 と語っている。

自らを危険に曝す行為を静に受け止めている一方で、マカルー西壁やジャヌー北壁に登れるなら命の引き換えにもとも著書に書いていて、まさにクレイジー。本当に登れるものなら登りたいという意思が伝わってくる。

奇跡のリンゴ』の木村氏が4つある農園をすべて無農薬にし、退路を断って取り組んだ。ある意味で下りることのできない山に登るのと共通しているように思える。

登れない山に登る。そこに駆り立てるものは一体何だったのだろうか。

f:id:yachanman:20210609074536j:plain

最近はめっきり行かなくなった「命がけ?」のバリエーション登山

'crazy'という言葉には狂っているという意味の他に夢中であるという意味もある。英語でこの相反する意味の言葉があるのは非常に面白い。

もともと『奇跡のリンゴ』はNHKの番組で取り上げて全国的に有名になったそうだ。NHKなのだから、無農薬の困難とその社会的な意義を番組の中で大きく取り上げたのは想像に難くない。

ただ、本を読むうちに「なぜそこまで」という疑問が付きまとってくる。

無農薬への挑戦でわかるのは、絶対に真似はできないということだ。すべての作物を無農薬で育てるためには、農地をすべて原始自然の状態に戻さなくてはならない。真似ができないということでは、社会的意義は極めて少ないと言える。

しかし、『奇跡のリンゴ』が人々の感動を誘ったのもまた事実である。何が感動を誘うのか。それは社会的には意味がなく、本人にしか意味がないことなのだろう。本人にだけしか意味がないことだから他人から見れば「狂っている」し、本人は「夢中」なのだ。