宮古島グルメシリーズの第2弾。
③なぜか天丼、なぜ天丼?
宮古島2日目。われわれは昼食に困っていた。
朝から池間島に行き、そこから南下したのだが、景色の良いさとうきび畑が広がるばかりで商店らしいものは全くない。牛舎があって黒毛の牛はいるのだけど。
結局、行動食のかりんとう、相方の作ったケーキを食べて市街地へ急ぐ。市街地で1軒の小料理屋を見つけて入った。ところが「もうお昼の分は終わっちゃったんです」とのこと。時刻は1時半。2時にはランチが終わるからやむを得ない。
仕方ないのでフラフラと進むと「天丼」という大きな文字が目に入った。
宮古島で天丼屋とは変わっている。
1日目から揚げ物祭りだったが、沖縄天ぷらはサクサクというより、衣が厚くてややベットリ。天丼に向く気がしない。
しかも店のお品書きを見ると天丼1650円。ずいぶんと強気な値段設定だ。車海老と書いてあり、店員さんのTシャツには車海老のイラスト。
車海老が有名だとは知らなかった。
出てきた天丼はお洒落でかなり深い丼に大きな車海老が3本。こう書いては失礼ながら、沖縄らしいB級グルメ感はない。
食べてみると、東京風のサクサクした天ぷらで、味付けもやはり東京風。
なんで?という感じだ。
こういう時に相方は声を大にして「美味い!」と言う。こういう素直な行動は非常に羨ましい。店員さんも気を良くして話が弾むからだ。
この時も白髪交じりのダンディな店主が何かれと話しかけてくれた。そして唐突に
「モリスエシンジがいますよ」
と言う。
「なんだ、モリスエってあの森末慎二か?」と言っても私も体操現役時代は見てないので、バラエティ番組に出ている陽気なおじさんということでしか知らない。
確か作家・原田宗典のエッセイに登場した記憶はある。それも高校時代の話で、深夜に悪友と歩いていたら、偶然会ったらしい。その悪友(エッセイ内ではGとあった)と森末慎二は幼馴染だったのだ。
原田宗典の評する森末慎二は、身体はアーノルド・シュワルツェネッガーのようにムキムキなのに、丸渕のメガネをかけて、顔は「まるでダメ男」みたいと書いてあった。
ただ、彼らが出会った場所は岡山だ。なんで宮古島にいるのだろう。
「ほら!」
と店主が指す。指した先に車海老が染め抜かれた紺のTシャツを着た中肉中背の男がいた。のっそりと振り返った男はマスクをしていて顔がよくわからないが、愛嬌のある目つきをしている。それは30年近く前にテレビで見たまさにその目だった。
森末慎二さんは講演や何やを東京でこなし、宮古島に来たら天丼屋となるという二重生活をしているようで、この店のオーナーなのだそうだ。
後で知ったが、森末さんは1984年のロサンゼルス・オリンピックの後にすぐ引退。その後はタレントとしてバラエティ番組への出演や講演活動をこなしつつ好きな宮古島への移住し、好きな天丼屋を始めたようだ。
このような有名人の悠々自適なセカンドライフには反発を覚える人もいる。過去の貯金の利息だけで食っているような感じがするからかもしれない。しかし、私が抱いた印象は、好きなことに本気で取り組む中年の男の姿だった。
体操が好きだから体操を極め、宮古島が好きだから移住し、宮古島に美味しい天丼屋がないから作ってしまう。
店主が勧めるのに甘えて、店を出るとき一緒に写真を撮った。その笑顔は好きなことをやっているということを表していた。
店を出て遠くを海を眺める。朝から曇っていた空にぽっかり青空が開いていた。
「ここは天気予報が当たらないからね。道のこっちは雨であっちは晴れなんていうことがあるよ」
そう森末さんは言って遠くの青空を見やった。