クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

釣り師の短気と山屋の気長

私は人さまからは「温厚」と言われることが多い。

本当に温厚かと言われると当人としても怪しい。ただ温厚という言葉に悪い意味はないので、笑ってごまかしている。

「短気は損気」と言われるが、釣り師は短気が合うらしい。本当だろうか?

釣りはどんどん改良を重ねた方がいいらしい。

釣る場所、仕掛け、諸々を変えながら試行錯誤する。同じ方法に固執しても上手くならない。釣れなければ気を短く対応する方が上達の秘訣だと言う。

一方、山はどうだろう。

長いアプローチ。単調な道を歩いて、結局、上に行っても展望は得られずとなれば気が滅入る。それでも下りてくるとまた懲りずに行く。

一見してかなり気の長い趣味に見える。

しかし、山をやる私はその実短気だったりする。父も山好きではあるが、やはり短気だ。山友も決して気の長い人は多くない気がする。

山屋は気長という図式はごく身近なサンプルに過ぎないが、どうやら当てはまらない。

 

それでは釣り師と山屋の違いは何か。

釣り師は魚に怒ることはあるだろう。山屋は山を相手に怒ることはない。ただ、釣り師だって魚に怒っているわけではなく、釣れない自分に怒っている。山屋も思うように登れない自分には怒る。

自然を相手にする趣味はいかに自分に怒りをぶつけ、自分が返せるかの勝負である。自分に対して真摯に向き合えるかがアウトドア普遍の資質のような気がする。