クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

魂の震える登山名文集②〜山野井泰史

御嶽山の噴火があった時、「あの日、山に行ってた?」と何人かに訊かれた。私がしょっちゅう山に行っていることを知ってのこと。御嶽山は遠目には美しい山だが、登って面白そうでもなかったので登る対象に入れたことはなかった。

ある人にはこう言われた。

「死ぬかもしれないとわかっていてなんで登るの?」

こういう質問は困る。なにしろ死ぬ覚悟で登ってなんかいないのだ。

私のレベルで行くルートで遭難したら、仕方ないということにならない。単に実力不足か不注意だ。

しかし、どんなに低山でも、整備されたルートでも落ちたら死ぬところは存在する。そこになぜ行くかと言われて答えられるはずがないではないか。

そんな質問をする人への答えを超一流クライマーが答えている。

 

「不死身だったら登らない。どうがんばっても自然には勝てないから登るのだ」

山野井泰史『垂直の記憶』

 

危ないから登る。安全なら登らない。

人間の本能たる自己保存に悖るのが冒険である。その当たり前を口にする人は少ない。

今年、ピオレドール生涯功労賞を受賞ということもあって、一般的にも偉人とされがちだが、少年時代から結構無茶なクライミングをしている。

中学生の時に丹沢・水無川本谷を登山靴で遡行。鋸山で墜落。高校生の時には冬の八ヶ岳で、落下してきた友人がぶつかり、前歯を欠損。

これくらいで並みの人なら十分な武勇伝なのだが、これらはあくまで序章で、高校卒業するやアメリカでクライミング、北極圏やパタゴニアでの登攀。日本でもフリーソロで岩場をガンガン登っている。

フリーソロで登っていたという谷川岳

しかし、最近見たBE-PALの記事では、山野井さん自身は「これは死ぬかも」とほとんど感じたことがないのだという。1つ挙げたのはマナスルで雪崩に遭って埋もれた話だけで、あとは大丈夫なんだそうだ。

もちろん先の文章にあるとおり、本人は不死身とは思ってはいない。ただ、山で死ぬことも想像はしないらしい。

一般的にはかなり不思議な感覚。

おそらく「生きる」ことを楽しみ過ぎているからに違いない。