クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

河野啓『デス・ゾーン』

河野啓『デス・ゾーン』を読んだ。

栗城史多のエベレスト劇場」というサブタイトルのあるとおり、2018年にエベレストで滑落死した栗城史多がテーマとなっている。

読後感はなんともザラりとしている。

栗城史多についても、本書についても至る所で評論されているので、ここでは私の素朴な感想を書きたい。

私が栗城史多という人物を知ったのは14年ほど前だろうか。NHKの番組でエベレスト登山をオンラインで生配信する登山者として取り上げられていた。番組内では「何度この動画を見たかわからない。引きこもっていたけど、勇気をもらった」と話す人もいて、比較的好意的な印象だった記憶がある。

しかし、その後に読んだ彼の著書『一歩を越える勇気』を読んで何とも言えない違和感を持った。前半は登山を始めるまでと六大陸最高峰までが描かれていたのが、後半は自己啓発本のような内容になっていたのだ。

『デス・ゾーン』ではディレクターであるの筆者と栗城史多の周囲、ネット上の意見などを交えて、栗城史多の「エベレスト劇場」を描いている。

正直、ネット上の書き込みまで入り混じると実像がかえってわからなくなる。読んでいて途中で投げ出したくなった。

ただ、最終盤、栗城史多が信頼したという占い師の話などは読みごたえがある。

 

私自身の所見を少し書きたい。

栗城史多は自分の弱み曝しだすことで、多くの人の共感を受けた。彼の欠点があたかも自分の欠点を埋め合わせてくれるように思えたはずだ。

しかし、彼はエベレストを使って観客を楽しませる演技を始めてしまう。そして、演技がエスカレートするにつれて、「ひ弱なニート登山家」というホームポジションにも戻れなくなったのではないだろうか。

動画内で「こわいよ~」と言っている程度の演技ならばよかったのが、いつの間にかエベレストの未踏ルートに挑むアルピニストになってしまった。

本書のザラりとしたと書いた読後感は、「死」という結末だけでなく、誰しもにある危うさが随所に滲み出ているからかもしれない。