クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

和暦・西暦に混乱する

先日、生年月日をマークシートに入れろと言われて戸惑ってしまった。

西暦の下2桁をマークして、見直すと「生年月日(和暦)」とある。

「あれ、和暦だと何だっけ?」

と混乱し、ようやく思い出してマーク。同姓同名の区別のためだろうけど、昭和も平成も書いていないのだから乱暴だなと感じた。

 

正直に言うと、私は「平成」を即座に西暦に変換することができない。

「昭和20年は1945年で、昭和64年が平成元年だから1989年」

という過程を経て計算できる。

「平成21年は何年前でしょう?」という問いは"つるかめ算"以上の難問となってしまう。

「今は2022年で令和4年。平成31年が令和元年で...平成30年が2018年か。そうすると平成21年は2009年。13年前ということになる」

途中で面倒になって、西暦を検索したくなった。

昭和や平成の最終年などの起点を見失うともうダメで、登山中に目印を見失ったような心地がする。

野口悠紀雄のエッセイを読んだら、『平成9年版経済白書』にグローバルスタンダードに則った魅力のある市場」という記述があるという。

ローカルスタンダードのタイトルを冠してグローバルスタンダードを語るというのは皮肉な感じがする。その状況が令和になって変わったかというと、そんなことはなく、『令和4年版通商白書』にも「新たなグローバルスタンダード構築に注力している。」という記述があった。

私も一概に和暦を否定するつもりはない。ただ、「人口減少に備えて移民を増やさないと」などと言っていて官公庁の書類が和暦では矛盾している。これでは手続きもできない。和暦を知るくらい日本通でないといけないということだろうか。

令和になった時にようやく会社の文書が西暦表記になった。遅いとも言えるが、とにかく前進である。よかった、よかった。

ところが「何年入社かは和暦じゃないとわからない」ということを言い始め、会社の一部の文書には和暦が存在しているらしい。普段見ないのでよくわからないが、年数の計算とかうまくできるのだろうか。

明治、大正、昭和、平成、令和の年代を自在に操れる人がいれば、それはそれで凄い能力だ。しかし、頭の容量に限界のある凡人には到底追い付かない能力である。

今の学校ではどう教えているのだろう。少し気になるところだ。