クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

発達障害とギフテッド

発達障害の子どもが小学生で10.5%という記事が出ていた。

これを多いとみるか、少ないと見るかは人それぞれだ。障害と言っても目に見えないので、適当なところでラインを引いているだけで、ラインの位置が変われば割合も変化する。障害と言うより「傾向」と呼んだ方がいい気もする。

それにしてもこの結果を見ると昔の学校は乱暴だったように思える。特別支援学級にいたのは学年に1人いるかどうか。私の小学校では800人くらいの中で3人ほどだった。

10.5%だとすると85人くらいいるわけだから、80人以上が隠れていたことになるし、私もその1人だったかもしれない。

相方の勤めるフリースクールには知的に高い子、少し遅れている子、落ち着きのない子などいろいろ来るらしい。その中で時折「うちの子はギフテッドなんです」という親がいるそうだ。

ギフテッドとは「授かった」ということだ。神から特別な才能を授かりし子。一語で言えば天賦ということになる。

定量的にはIQ130以上を指すが、知的に高すぎるので周囲と馴染めない子も多く、アメリカではそういう子のための学校もある。

本の学校は誰も取り残さない方針なので、ギフテッドにとっては力も発揮できず居心地の悪いのをやり過ごすしかない。そんな状況もあって最近では孫正義がギフテッドのための学校を創ったことが知られている。

 

相方によると、親がギフテッドを申告した子を見ると知的に高い面もあるものの、多くは「普通」の領域を出ない。それでいて落ち着きがなかったり、コミュニケーションが苦手だったりと、発達障害の要素を持っているケースが多い。能力のバラつきが大きく、総合すれば普通なのだ。

親の願望としては「優れた子であってほしい、さもなくば普通でいてほしい」と望むから発達障害ではなくてギフテッドと申告するのだろう。

しかし、この願望に見え隠れするのは「発達障害は無能、ギフテッドなら有能。普通でないならせめて有能な方に」という極端な整理だ。「個性を伸ばそう。特技を伸ばそう」と言っている一方で、「わが子は決して発達障害ではない」という潜在的発達障害への偏見が見え隠れしている。

 

相方はギフテッドを主張する親が来るとこう返すらしい。

「子どもはみんなギフテッド(授かりもの)ですからね」