クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

お金に頼らず生きるには

服部文祥『お金に頼らず生きたい君へ』を読んだ。

サブタイトルに(14歳の世渡り術)とあるとおり、中学生でもわかるくらいの平易な言葉で書かれている。

内容は廃村の古民家を手に入れた著者ができるだけお金を使わずに生活をできるかに挑戦する話だ。そうは言っても結局、お金はかかっている。古民家を買い取り、中の廃品を業者に引き取らせ、水を引いてカマドを据える。最終的にはテレワークのためとはいえ、ソーラーパネルで電気も使っている。

アラスカに住むブッシュマンと呼ばれる、文明社会から隔絶された生活を送る人とはまた異なる生活。まあ、最初から適当なところで折り合いを付けた趣味、遊びと言えなくはない。

ただ、相変わらず鋭いと思うのは、生きるということへの根源的な問いだ。

生きるためには衣食住がいる。衣食住を確保するのにお金がいる。お金を稼ぐために仕事をする。仕事をするために生きる。

多くの人が自分の尾を飲む蛇のような循環式に飲み込まれている。それでは何のために生きるのか、名だたる哲学者が悩んだ答えは未だ出ていない。

お金は生きるための手段だ。仕事をするのも生きるための手段だ。しかし、ほとんどの人はお金や仕事が目的化した状態で日々を暮らすことになる。

そのことに疑問を覚えつつも解決する力も術も持たない「14歳の君」を対象に本書は書かれている。

 

お金は一般的に価値の交換、保存のためにあると言われる。

古人のように365日食料探しや水の確保やらで忙殺されず、時々廃村暮らしを楽しむことができるのも、実はお金による恩恵だ。

ただ、本質的にはお金に経済的な価値はない。お金を齧って生きることはできないからだ。人生において主は自分自身でありお金を利用して生きている。

その主と従を時々意識しなければ生きる意味を見失う時代になっているのかもしれない。