相方が私立小学校に勤めだして、公立と私立の違いについていろいろ話を聞くことが多い。大きな違いは、定例の会議や報告会がなく、連絡事項はオンラインにしていることだ。学校でもようやく業務効率やIT化が意識されてきたようだ。
最近、授業でプログラミングをやる学校が増えているので、ITと英語は小学校から学習することになる。正直羨ましい。
ただ、本当に役に立つのか疑問に思えるのも事実だ。プログラミングは何か目的があるからプログラムを組む。
「こんなゲームを作りたい」とか「こういう架空の街を作りたい」とかあって初めて身に付く技術だ。教科書で教わるものじゃない気がするのだが。
それはさておき、7歳から12歳は一生の大事。小学生の必須科目は一体何だろう?
まずは国語。
数学者の藤原正彦さんは「一に国語、二に国語、三、四はなくて五に国語」と書いていた。私はそれほどまででなくても、言語は大切だと思う。
最近、仕事の中で「当社は、設備を建設し、販売を開始した」みたいな文を見たりする。言っていることはわからなくはない。ただ、ハッキリしないので確認してみると、「得意先が新しい設備を設置したので、当社は設備を動かす材料の販売と供給を始めることができた」という意味だったりして驚いたりする。
書いた本人に確認して、すぐにわかればいい。ところが本人が事実をわかっていないこともある。いや、「わからない」ことも「わかっていない」という方が正確だろうか。
これは言語能力の問題ではない。単に考える力だ。
別に日本語にこだわる必要はないと思う。英語をベースにするならそれもヨシだ。ただ、思考の基本となる言語は絶対に必要だ。
2つ目に挙げるのは歴史。
実学として最も役に立たないように思われるが、この年にして最重要科目じゃないかと思う。
そもそも社会科学のすべては歴史的な発見の集大成である。経済学なんて人類400万年の歴史のうち、100年くらいの事象を研究したものに過ぎない。そう考えると経済学も物理化学も工学も情報科学も広義の歴史学だ。
そう。歴史学を学べばすべての学問を網羅できる。
それでも現に歴史が軽んじられるのは、丸暗記学問と化しているからである。「倭の五王は讃、珍、斉、興、武だ」なんて覚えても意味がない。しかし、京都に来た外国人に「南禅寺は京都五山の最高位に位置する禅寺です」と紹介する意味はある。
単に知識だけでなく、「ローマ帝国の衰退と唐の衰退の共通項を探す」なんていう壮大なテーマならかなり思考力も鍛えられるだろう。
そういうわけで歴史から社会科学、自然科学まで学んでしまえばいいんじゃないかと思う。
あと3つ目は何か。
それは体験する学習だろう。ごっこ遊びでも構わない。公害問題を論じているのに、きれいな川と汚い川の区別がつかないのでは話にならない。水に触れ、嗅ぎ、それで初めてこれが公害だとわかるのだ。
バーチャルの発展した時代だからこそリアルな体験は必須科目となる。
とりあえず以上、3つ。
あとはこの世界に興味を持てば自然と学ぶようになるから何とかなる。
こう書いてみたものの、小学生より大人の方が学ぶ必要が多い気がする今日この頃だ。