映画「ショーシャンクの空に」を見た。
若くして銀行の副頭取となった主人公が、妻と愛人殺しで終身刑を言い渡される。突然の理不尽な刑務所に戸惑うものの、明晰な頭脳と銀行員としての能力で少しずつ仲間を持つようになる。
やがて、その能力は所長の不正に利用されることになるが...
正直、ストーリーはそれほど感動しなかった。
理不尽な出来事と心温まる出来事が交互に起きる刑務所という無間地獄の中で、主人公のアンディーはささやかな夢を抱きながら耐え続けるのだ。ささやかな夢とは南の海辺でボートに客を乗せるビジネスをすることで、終身刑を言い渡されている彼にとってはかなうはずものなかった。
それを収監されて20を経て叶えるというのがこの物語の主眼だ。
ただ、冷めた見方をすると、結末の「脱獄」というのが成功したはあくまで僥倖に過ぎない感じがして、どうも感動がない。それに無実の罪で20年という重みがありすぎて、爽快感もない。
20年経っても登場人物はみんなあまり変わってないし。
それよりも印象的だったのは、長い服役生活を経て仮出所を果たした囚人たちである。
50年とか40年という年月を刑務所で過ごすと、仮出所できても都会に馴染めなくなっている。牢獄とシャバが裏返しになり、唐突に収監された時とは逆に都会という異次元に戸惑うことになるのだ。
「犯罪を犯せば刑務所に戻れる」
という心境はなかなかリアルである。どんな過酷な地獄でも慣れてしまうとそこが日常になり、外の世界が怖くなるのだ。
そう考えると都会というのもある種の牢獄と言える。住民は檻や鎖の代わりに金銭で縛られている。都会を出て金銭を稼ぐ手段を簡単に見つかられる者は少ない。
そして、なにより秩序立っているので考える必要がない。
モーガン・フリーマン演じるレッドが職場で「トイレに行かせてくれ」と言うシーンがある。店主は「小便するのにいちいち許可を取らなくていい」と突き放したように言う。
しかし、考えてみれば「トイレ」がなければ用も足せない都市民が囚人を笑うことはできない。軽重はあれども法で縛られ、それを犯す者は容赦なく叩かれるには違いないのだ。
違いがあるとすれば、都会での罰は看守に殴られることではない。重い罪はもちろん刑務所行きとなるわけだが、軽いものは周囲からの無視、敬遠という形で現れる。元囚人たちは、服役したとはいえ、常に罪を背負って生きていく。それに対する罰が肉体的でなく、精神的なものに代わり、死ぬまでの時間が重くのしかかっていく。
ただ、これは孤独を感じるすべての人に共通することだろう。
都会というのは牢獄を裏返しにしたものに過ぎないのだから。