クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

テントと大雨の思い出

キャンプに行こうとしているが、天気予報はサイトによっては雨。結局、タープは買ったけど、大丈夫だろうか。

最近、ゲリラ豪雨がすごくてこの年になって驚くことが多い。昔、「ちびまる子ちゃん」で洪水の後におじいちゃんと水に浸かった景色を見に出かけるというシュールな回があったが、今はニュースが深刻に伝えるばかりである。

過去にも雨のキャンプは経験しているし、雨も楽しまなければいけないのかもしれない。

悪天候だった夏の槍ヶ岳

過去、大雨で思い出すのが、学生時代に自転車で北海道へ行った時だ。

旭川で真っ暗闇の中、ようやくテントを張ったら夜中に大雨になった。テントは父親のダンロップテントで、フライシートがテントの半分しか覆っていないタイプだった。今のテントと比べると雨対策が大甘だったので、ときどき天井から水が滴る。

その日は疲れていたので、大雨の中でそのまま寝てしまったが、翌日聞けば観測史上初の雨だったらしい。

 

まあ、大雨と言っても出水に流されたこともないし、命の危険を感じるようなこともなかった。

そうであれば、雨もそれなりに楽しめるかもしれない。

ここにいることの幸せを感じること

暑い日が続いていて、もう外に出るのも嫌になっている。

早いところ高い山か北海道に逃避したいところだけど、炎天下でお仕事している方々を考えると文句も言ってられない。

相方も一昨日、炎天下で車誘導をしたらすぐにクラクラしたと言っていた。

 

唐突だけど、かつて野茂英雄トークイベントで「メジャーの堅くなかった?」と訊かれて、「いや、そんなこと考えなかった。嬉しくて」と答えていた。

くーっ!そうなんだよな。夢の舞台に立った時にいつもと違ってやりにくいとか考えないもんだよなと感動した記憶がある。

それでは自分が「ここにいることの幸せ」を感じたのはいつだろうと翻って考えてみた。学生時代に北海道へ自転車で行った時は、ただ先に伸びる直線の一本道に感動した。

あと、黒部の下ノ廊下でぽっかり割れた渓谷から青空を眺めた時もなんとも言えない気分になった。

夏の縦走路で自分が辿って来た道を眺めるのもそれなりに感動する。

ところが映画で見たのと同じ景色というのも感動することはするのだけど、これは意外と「幸せ」とまでは感じない。あることのわかっているものの確認という気がする。特に観光地ではこのパターンが多い

その意味では私の場合、自力で辿り着いたということに幸せを感じる。
野茂英雄の場合も、マウンドという場所というより「自力で」辿り着いたという感動が大きかったのだと思う。

いやはや、これから先、どのくらいの場所に自力で辿り着いて「幸せ」を感じることができるだろうか。

キャンプと物欲と資本主義

週末、キャンプに行くことになっているけど、どうも天気が怪しい。これまで雨の日のキャンプはテントに引きこもって本でも読んでいたが、久しぶりに友人と会うのでそうもいくまい。

タープを買って雨除けにするか検討中である。

 

急に話が変わるけど、今マルクスの『資本論』を読んでいる。資本主義や市場主義と言いつつ、言われてみれば本質を理解していないなあと感じたからだ。

その『資本論』を読んでいると「資本主義の中では必要な物も余計な物も買わせるようになる」とあった。図書館で借りて読んでいるので、少々読み方が粗いし、岩波文庫のまだ1巻なんだけど、まあその通りだと思う。われわれは生きるのには余計な物を買い集めるために余計に働いているのだ。

マルクスは労働者の視点に立って書いているようだが、どうやら労働そのものは嫌いらしい。いっぱい働いて、いっぱい遊ぶのもいい人もいるけど、資本主義に踊らされると、余計な物を買わされて苦しむことになると指摘している。

なかなか慧眼。その軛から逃れていないのが現代人である。

 

それにしてもタープは余計な買い物だろうか。

それを考えて余計に悩んでしまう。

夏のキャンプに行こう

それにしても暑いし、スコールみたいな雨も多い。小学生の頃に「日本は温帯で、沖縄のみ亜熱帯です」と教わったのが、全体が亜熱帯か熱帯になっているのかもしれない。

今週末は少し涼しいところでキャンプを予定しているのだが、暑いのとスコールみたいなのが襲って来ないか少し怖い。

今まで登山か自転車ツーリングの延長でしかキャンプをしていない。

いわゆるオートキャンプというのは無縁。車すらないので、悪天候には強いものの、周囲がラグジュアリーなことをしていて、独り質素なキャンプというのは恐れるところだったりする。

今一番悩んでいるのはタープで、雨が降ると焚き火もできないので、「どないしょー」という感じなのだ。

今までタープなんて使わなかったしなあ。安物で済ませるか、ちゃんとした物を買うか。はたまた100均のレジャーシートで代用するか。

夏のキャンプは悩ましい。

人はどこから来てどこに行くのか

週末、暑いから高い山にでもと思っていたけど、結局は雨予報で行けていない。

実際、家の近辺では大雨が降ったし行かなくて良かったのか、それとも行っていたら行動時間中は降らないということになったのか。結果論なのについつい考えてしまう。

そんなわけで暑いし、週末は本ばかり読んでいた。

ユヴァル・ノア・ハラリ『ホモ・デウス』を読む。

大ヒット作となった『サピエンス全史』の謂わば続編という作品である。

『サピエンス全史』が人はどこから来たのかをわかりやすく描いていた。それに対して『ホモ・デウス』では飢餓・疫病・戦争という困難を克服した人類はどこに行くのかについて論じている。

人はどうにもならない理不尽に対して宗教に救いを求めた。それが現代はこれらの理不尽はほぼ克服されたという。なるほど、新型コロナも結局は人類を滅ぼすほどの脅威にはならなかった。それに、新型コロナに対して寺社では「疫病退散」を掲げていたが、おそらく多くの人は神ではなくウイルス学者やワクチンに救いを求めただろう。

人類は21世紀になり、長い長い夏休みに入ったのだという。

この休みに何をすべきか。まだ全部読み終わってないけど、時にはこういう本を読みながら考えるのもいいなと感じている。

 

もう一度行きたい山温泉

昨日、温泉の話を書いたら妙に行きたくなってきた。

宮田珠己さんと同じく私もあまり風呂にこだわりはない。汗さえ流せればいいので、暑い日など水シャワーにしてるくらいだ。暑い日に熱い湯につかるなんてしたくない。

しかし、シャワーくらいなら毎日したいし、汗をかく登山なんかの後にゆっくり湯舟につかるのは、それはそれは気持ちがいい。

阿曾原温泉の湯船

まあ、そんなわけでもう一度行きたい山のいで湯を紹介したい。

まずは北アルプスの阿曾原温泉。トロッコ列車宇奈月温泉から欅平駅まで行き、そこから水平歩道を3、4時間の道のりという秘境温泉だ。

9月ごろに黒部川下ノ廊下が開通するとすごい人になるのが少し難点で、最盛期は湯舟が芋洗い状態になるらしい。

九重の法華院温泉

お次に一昨年行った九重の法華院温泉

こちらは真冬に行ったら、全然人がいなくて驚いた。窓の外に雪山が見えて、関東近辺なら大人気だろう。こちらは登山口から3時間くらいで、自炊部屋もあるし、ビールも買えるしで、もう一度行きたい快適温泉。

北アルプス最奥の高天原温泉

湯舟だけ写すとどこやらわからないけど、北アルプス最奥の高天原温泉は行きづらい。

行きづらいだけにまた行きたい。

北アルプスの秘境と呼ばれる雲ノ平のさらに奥で、ほとんど行き止まりみたいなところにある。

高天原温泉からは周囲の山がドドーンと見える

高天原温泉にはテント場はなく、小屋泊のみ。われわれは雲ノ平にテントを張って往復したけど、今度は泊まってのんびりしたいな。

 

今日も暑くなりそう。

早く帰ってシャワーで汗を流したい。

温泉のある旅

どうも不安定な天気が続いているし、相方も咳が止まらないとかで遠出することができない。こういう時になんとなく旅の本を手に取ってしまう。

 

宮田珠己『四次元温泉日記』を読む。

筆者は温泉好きではなく、温泉旅館の持つ迷路みたいな構造が好きで全国あちこちを旅する話だ。確かに温泉旅館は川の上に廊下があったり、建て増しを続けたような構造だったりでよくわからない構造が多い気がする。

本書でも取り上げられている那須北温泉旅館なんかは私も普通に温泉に入って玄関に出るのにも迷ってしまった。

察するに温泉旅館は河原の近くに多く、人気が出ると限られたスペースで建て増しをして複雑な構造になるように思える。

宮田珠己さんと私の違いは、私の場合、温泉旅館が目的なんてことはなくて、登山のついでに行っていることが多いので、たいていテントかビジネスホテル泊まりということ。

温泉も行くけど、私にとってはあくまでオプションである。

そうは言っても、もういい年だし、温泉メインの旅行なんていうのも今後はあるのかな。