クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

愛はお金で買えるか~お金とは何だろう?②

スピッツの「運命の人」という歌にこんな歌詞がある。

愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ

不思議な言葉だと思う。草野さんの透明感のある声でさらっと聞き流してしまうが、何を言わんとしているか考えてしまう。

一方でThe Beatlesには"Can't Buy Me Love"(ぼくの愛は買えない)という歌がある。これは当然という気もするが、愛以外はお金で買えるということも意味している。

実際の問題として結婚に際して重視するポイントというアンケートを取ると1位は「経済力」なのだそうだ。結婚がすなわち愛でない。ただ、愛とお金はセットで機能することを示している。

よく有名女優がベンチャー企業の社長と結婚なんていう報道を聞いたりする。なんだかお金で愛を買ったように聞こえるが、本人たちはそういうつもりはないだろう。
しかしながら、経済力あってこその結婚であったことは否定しがたい。有名女優ともなれば本人の稼ぎも相当なものだ。それに対して夫が常に節約を気にして、電気の消し忘れやスーパーの特売を気にするようでは家庭生活もギクシャクしかねない。

経済力と様々な価値観はリンクするから、愛は買えるかはともかく「相性」はお金と深くつながっていると言える。逆に言うとお金は愛の絶対条件でなくとも必要条件なのだ。

 

夏目漱石吾輩は猫である』の中で、苦沙弥先生の細君と姪(雪江さん)が言い合うシーンがある。

「それじゃ雪江さんなんぞはそのかたのように御化粧をすれば金田さんの倍くらい美しくなるでしょう」
「あらいやだ。よくってよ。知らないわ。だけど、あのかたは全くつくり過ぎるのね。なんぼ御金があったって――」
「つくり過ぎても御金のある方がいいじゃありませんか」
「それもそうだけれども――あのかたこそ、少し馬鹿竹になった方がいいでしょう。無暗むやみに威張るんですもの。この間もなんとか云う詩人が新体詩集を捧げたって、みんなに吹聴ふいちょうしているんですもの」

お金はあった方がいいという細君に対して、まだ若い姪の方は金の力に頼むことに生理的な嫌悪感があるようだ。

このような議論は明治の世も今も変わらないのかもしれない。

お金は信じることから始まる~お金とは何だろう?①

随分前にラジオで百田尚樹がこんなこと言っていた。

「俺はきれいなおねえちゃんに振り回されてきた。『きれい』って何なんやろということでこの本を書いたんです」

この本というのは美容整形をテーマにした『モンスター』という小説だという。

人の一生を狂わせるものというのはいろいろある。私はその点でいくと「お金」というものが時折不思議でならなくなる。人を振り回し、狂わせ、時に救いを与える。

いったいお金とは何だろう?

いろいろ本を読む中で野口悠紀雄『マネーの魔術史』というものがあった。経済学者によるマネーにまつわる物語が描かれている。

その中で「お金」にまつわる原理原則というものがあった。「お金というものはそれそのものに価値はない。人々が信用してはじめて価値が生まれる」というものだ。

歴史を紐解くとお金が信用を失うことはごまんとある。

有名なのは第一次世界大戦後のドイツ。インフレが加速しコーヒー1杯を飲むにはトランク1杯分の札束が必要という事態になった。さる男が1杯飲んだ後、コーヒーをさらにもう1杯ほしいと注文すると店から「ただいまよりコーヒー1杯はトランク2杯分となりました」と告げられたという。最初のコーヒーを飲む間に2倍のインフレになったのだ。

こうなるとお金は信用できなくなる。今の1万円札も原価は2円だというから、信用を失うと文字通りの紙切れとなるわけだ。それを「壱萬円」として信用するも信用しないも人次第。

これはある種の宗教に似ている。しかし、宗教だとすると三大宗教より古い最古のものだろう。これほど長きにわたって信じられているものはない。

これこそお金の魔力である。その魔力に囚われ多くの人が振り回されたのだ。

 

これまでもお金についてはいろいろ書き散らかしたが、再びお金について考察してみたい。

植村冒険館に行ってきた

蒸し暑い週末、板橋区にある植村冒険館に行ってきた。

植村直己の記念館は兵庫県豊岡市と東京都板橋区にある。私にとって少々恨みなのが、15年前に板橋の冒険館に行ったら、展示物入替中とやらでほとんど何も見れなかったことだ。さらに、その翌年に豊岡の植村直己冒険館に行ったら休館日だった。

以来、憧憬の冒険館である。

 

行ってみると前回、15年前と大きく違う気がする。場所も違う。

1階にプールやスポーツジムがあるきれいな建物で、3階が冒険館。どうやら去年新築した区の建物に移転してきたらしい。

展示物は多くない。おそらく豊岡の冒険館に大半があり、板橋は一部の私物や周囲から寄付されたものだけなのだろう。ただ、映像は妙に凝ったものもあって楽しかった。

植村直己は冒険家である。冒険家という職業や肩書は正式にはないが、この肩書に合う人物はこの人しかいない。

その真骨頂を示す冒険を挙げるとすれば、アマゾン川を筏で下った旅と、北極圏1万2000kmの犬橇の旅だ。

アマゾン川の旅はほとんど思い付きとしか言いようのない旅で、文字通りアマゾン川を筏で下っている。『青春を山に賭けて』では金がないなどの動機を書いてあるが、金がないなら帰国して働いた方がいい。本当の理由は「なんとなく面白そう」だったからではないか。

北極圏1万2000kmは北極点到達に隠れて目立たない冒険だが、2回も越冬し、1年半も北極圏を犬橇で移動している。角幡唯介さんに言わせると、2度も極夜の暗闇を過ごすのは「人格破綻者」らしい。

2つの冒険の特徴は「意味がなさそうだけど凄い」ことだ。逆に意味があれば凄くないと言えるかもしれない。

意味なく夢中になる力。これが植村直己の真骨頂だと言えるかもしれない。

新幹線の旅冊子の愉しみ

盛岡へ行った帰りは東北新幹線で帰った。

毎度のことながら帰りは少し切ない。行きの高揚感もなく、わずか3時間ほどで日常へとリセットされる。

帰りの時間が短くなってしまうのは新幹線のせい、というかお陰だ。盛岡からトンネルをどんどん潜って東北を突っ切ってしまう。

私にとって新幹線は貴族の乗り物にあたる。

飛行機は王族、新幹線は貴族、特急はブルジョワ普通列車は庶民という具合のランク付け。その他に高速バスという庶民の中でもやや下級というかリーズナブルな乗り物もあって、今回も往路に利用した。

それでいくと、タクシーは成金の乗り物で、私のような庶民の身分では。救急車の次に緊急時にしか乗れない。ただ、今回は盛岡駅から登山口まで行くのに、時間がもったいないので使ってしまった。

 

何の話をしてるんだっけ?ああ、新幹線だ。

帰りの新幹線、緑の流線形の車両に乗り込む私の愉しみは前の座席ポケットにある。東北新幹線だと『トランヴェール』という旅冊子が入っていて、9月は新潟特集だった。

新幹線、特急、飛行機には大抵この手の冊子があり、巻頭には筆力のある作家が、サラサラと書いたコラムがあったりして旅の余韻を楽しませてくれる。

以前、剱岳から下山して、信濃大町から特急あずさ号で帰ろうとしたところ、中央本線が山梨で不通になって立ち往生したことがある。松本からあずさ号は出ないというので、松本から長野へ迂回し、北陸新幹線で東京に戻ることとなった。

北陸新幹線にある冊子は旅のコラムが充実していてよかった。筆力のある作家、確か沢木耕太郎なんかが入っていたと思う、が書いていて、ボリュームも多い。「ご自由にお持ちください。」とあるので持って帰ろうか迷ったほどだ。

 

数年前に一関から東京まで東北新幹線で帰った時も冊子を開いた記憶がある。この時は内容を覚えていないところをみると、東北より北陸の方が面白かったのだろう。

東海道新幹線は帰省などで頻繁に使うが、そういった冊子はない。東海道はビジネス路線であり、移動中もPCで仕事をする人が多い。余計な誘惑は排除するということか。

それでいくと九州新幹線は座席のおしゃれ度もさることながら、旅冊子も充実していた記憶がある。もうずいぶん乗っていないけど、今度行ったら確認しよう。

 

あの手の冊子は本来時間つぶしに作られたのかもしれない。

しかし、旅行に出ると私はついつい手に取ってしまう。そして旅に来たことを実感し、また旅に出たくなるのだ。

盛岡観光するならば

岩手山登山の続き。岩手山から下山したわれわれは偶然来た盛岡駅行きのバスに飛び乗ることができた。午前中は10時台に1本。次のバスは14時40分ということだったので、本当に奇跡的タイミングだった。

さて、ちょうど正午に駅に着き、腹が減ったのでトンカツを食べ、ホテルに荷物を置き、盛岡で何をしようということになった。

そこで頼るのはやはりインターネット。北上川沿いに下ると鉈屋町というところに古い町家があるらしい。

詳しいことはわからないのだけど、もりおか町家物語館というのがあってなかなか面白い。何があるというわけではないけど、古い町家で中を見学することができる。

順番が前後したけど、あと御蔵下町資料館というところにも行った。ボランティアの方が熱心に盛岡について語ってくれた。盛岡は南部氏の拠点で、江戸時代は東廻り航路の起点となる。盛岡から川を下って石巻に物資が送られ、江戸に回された。それによって盛岡の豪商が栄え、今日の発展につながったという。

ところが戊辰戦争では奥州越列藩同盟に入ったことで、賊軍の汚名を着ることとなり、いろいろ苦労した末、5名もの総理大臣を輩出することとなった。郷土愛のやや薄いわれわれには少し羨ましい熱を感じる。

さて、大慈寺には総理大臣原敬の墓がある。東京駅で暗殺されるという最期を遂げたわけだが、死んで叙勲などは受けないという遺書があったらしい。盛岡の英雄となっている。

さて、最後に町家の近くには「あさ開」という醸造所があり、直売所で「熟麗」という銘柄の吟醸酒を買った。久しぶりにこれが当たりで、旅行先で飲んだ中では過去一番だったかもしれない。

とりとめのない盛岡紹介だったが、よければお試しあれ。

台風の前に岩手山に登る③

岩手山2日目。

結論を言うともう下山しただけなので書かなくてもいいくらいだが、コースとしては面白かったのでご紹介。

平笠不動避難小屋に泊まったわれわれは再びお花畑に戻り、七滝コースを下山した。このコースは砂の稜線を下り、大地獄谷という硫化水素が噴き出すエリアの脇を通り、いくつもの滝川沿いを下りる。

最初の関門は砂の稜線。難しくもないが、細いルートでスリルがある。途中、硫黄が溜まっていてヌルヌルして歩きにくい。

そこを下ると大地獄谷。小さな立て札にはわざわざOJIGOKUDANIとルビが振っている。立山の地獄谷ほどの規模感はないが、噴煙の近くを歩くスリルがここでもある。

この日は1500m以下は雲に覆われていて、下るほどに霧が濃くなっていた。ただ、懸念されていた台風は来ず、頂上付近は晴れと曇りを繰り返していた。こうなると下山はやや悔しい。

そうは言っても下ると決めたら仕方ない。

川沿いを慎重に下ると滝をいくつか見ることができる。七滝と言うから7個くらいはあるのだろう。立派な滝がいくつも眺めながらの下山になる。

ただ、硫黄が採掘された川だけにあって、魚の気配はない。

後で知ったが、この辺りに明治期に硫黄の採掘場があった。下の松尾鉱山では硫黄の精製を行っており、それによって鉱毒が川に流出。北上川は一時死の川となっている。現在は中和作業が進み、水質が回復したそうだ。

下山途中に木からどんぐりが大量に落下してきた。頭に当たると結構痛い。栗のでかいのかと思ったら栃の実もあった。

東北の秋はもう始まっているようだった。

台風の前に岩手山に登る②

さて、今回の計画だが、岩手山から八幡平に至る裏岩手縦走路を歩くつもりだった。距離はそこそこあり、2泊3日で行くケースが多い。

休みは3日しかないので、できれば短縮して1泊2日。下山して盛岡でのんびりして帰れればベストと考えていた。

初日は6時に登山口をスタートし、岩手山登頂は11時半。不動平に下りた時は12時になっていた。

初日の目標は三ツ石山荘なのだが、正直厳しいと感じた。

ここから手元の「山と高原地図」を見ると6時間半くらい後半はペースが落ちるから暗くなって小屋に着くことになる。着いても翌日に疲れが残るし、2日目以降は雨の予報。相方は登山前日に軽く捻挫したと言っている。

最終的にお花畑コースを下り、再び平笠不動に戻ることにした。そこの小屋が最も近い。

岩稜帯の鬼ヶ城コースを歩けなかったのはやや未練である。

「天気もどうせ悪くなるし」と消化不良には蓋をして、お花畑に下り、再び平笠不動へ登り返す。意外と坂が急で疲れる。結局岩手山をぐるりと周回して平笠不動避難小屋へ。

1人の先客、後から4人。最終的に7人がこの日は泊まることとなった。

小屋の中は非常にきれい。窓は東北らしく二重になっていて暑いくらいだった。持ってきた米を炊いて1つ400円くらいの少し贅沢なレトルトカレーを食べるとあっという間に眠りに就いてしまった。