クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

長い旅がしたい

3月になってスーツケースを引く人が増えた。旅行なのだろうか。非常に羨ましい。

私の場合、3月はなんとなく慌ただしくて旅行に行っていることが少なかった。むしろオフシーズンになりやすい2月の方が多いくらいだ。

とはいえ、勤め人にとって長い旅はせいぜい4日くらい。3連休に1日の有休をくっつけるくらい。「バカンス」とは名ばかりで旅もまた慌ただしいことが多いのだ。

今まで最長の旅は2週間。これは学生時代の北海道自転車旅で、小樽から知床に行き、襟裳岬経由で苫小牧まで横断した。

今から考えると荷物をよりコンパクトにして登山を組み合わせれば1ヶ月くらい楽しめたかもしれない。

しかし、2週間という期間は気持ちの上の区切りとしては非常に良かった。これ以上長いと旅に疲れてきたかもしれない。新鮮な気分を維持したままスパッと帰ったのは英断だったと言える。

 

社会人になってから最長は11日。1ヶ月以上、休みが取れたり取れなかったりを繰り返した後で、やけっぱちのように有休を取った。この時も北海道を登山旅しながらぶらぶらした。

11日間だと3日ごとにテーマを3つか4つ用意できる。この時は大雪山登山、網走監獄、知床縦走、阿寒湖観光という4つをはしごした。

うーむ。年明けは全然旅行に行っていないので、そろそろ「そぞろ神」がうずきだしている。

武蔵小金井公園で桜散歩

土曜日は天気がいいので武蔵小金井公園まで散歩に出かけた。

花粉症が酷いのでマスクで防御。もう汗ばむくらいの気温で、シャツ1枚で歩き、珍しくコンビニでアイスを買って食べてしまう。

ソメイヨシノにはまだ早く、早咲き桜が2本だけ咲いていた。

菜の花はもう咲いている。

私は桜より何気なく咲き乱れる菜の花畑を眺める方が好きかもしれない。

雪が降ったりしていたのにもう春。

季節は確実に進んでいる。

人生で印象に残る景色とは

先月ぶっ倒れてから遠出をしていない。

疲れを感じていると身体の回復を優先させるので、どうも早起きして始発に飛び乗るようなことができないでいるのだ。

このままじゃいかんなア。

 

ここはやはり「また見たい」と思える景色を見直すことから始めてみよう。

まずは北アルプスに初めて行った時から。槍ヶ岳から奥穂高岳方面を見たら、父親の持っている写真と全く同じ景色だった。当たり前だけど、人は変われど山という大きな単位ではそれほど変化がないことに妙に感心した。

お次は3人で行った剱岳

それまでは単独が多かったけど、ワイワイ行くのも楽しいものだと感じさせてくれた。景色も含めてパーフェクト。

こういう旅をまたできるだろうか。

最後に、自分としてはハードルの高かった。冬の黒戸尾根からの甲斐駒ヶ岳

「行けるかな。大丈夫かな」と思いながら進む登山をここしばらくしていない。まあ、やり過ぎるといつか遭難しそうなのではあるが。

先週は登山用品店を少し眺め、やや気持ちが上向いた(山に向かったという意味で)。

相方が春休みになったらどこか行こう。

春に行きたいところ

ここ何年か3月は遠出ができていない。

以前はというと期末決算前の静寂というか、一息というか、ぶらり旅に出かけて山に登って酒を飲んでということが多かった。

屋久島であられに降られたり、熊本川内で球磨焼酎をしこたま飲んだり、神津島で天ぷらをしたり。下は式根島での写真。今は整備されてなくて、キャンプができないそうだ。

今は3月が忙しくてなかなか休みが取れない。

春にまたやりたいのは島旅。本当は八丈島に行って八丈富士に登ったり、釣りをしたりできたらいいいのだけど。

あと18切符を使って北陸あたりに行きたい。新潟県村上市に興味がある。鮭の町らしい。登山と組み合わせて行けたらいいのだが。

暖かければしまなみ海道のサイクリングもいいかも。

妄想は膨らむが、なかなか時間と体力が取れないでいる。

春を探す、春を感じる

ちょっとお題に乗ってみよう。

「どんなところに春を感じる?」ということだが、まずは花粉症だったりする。それじゃつまらんと考え直すと近くの八百屋さんで山菜が出てくることかもしれない。



小さい頃は山菜なんぞ美味いと思わなかった。蕎麦屋のメニューに山菜そばがあっても選択の余地などない。ただの苦い草という印象だった。

それが年を取ると徐々に美味く感じるから不思議だ。子どもから大人になると舌が鈍感にになってくる。苦みに鈍感になるからだろうか。

ただ、今の時点で山菜の天ぷらが一番美味しい。できれば山に分け入って自分で探せればいいのだが。

相方がかつてバイトをしていた店で罠猟や山菜採りをする青年がいた。彼が曰く「油と砂糖が入れば何でも旨くなる」。つまり山菜を揚げるのはズルい手段らしい。

しかし、今の私には「こしあぶら」の天ぷらが最も春を感じる料理だったりする。

田内学『きみのお金は誰のため』を読んだ

田内学『きみのお金は誰のため』を読んだ。

FM横浜の番組「FUTURE SCAPE」で著者がゲスト出演していたので興味を持っていたら、相方が本屋で見つけるやすぐに買った。

帯には「経済教養小説」とあり、主人公の少年がボスと呼ばれる謎の老人からお金の本質を学ぶというものだ。小説をあまり読まない私には小説仕立ての部分が読みにくかったけど、内容については非常に納得いくものだった。

以前からお金について私も書き散らしているが、要はお金だけあっても役に立たないということだ。

お金で空腹を満たすことも寒さを凌ぐこともできない。「当たり前やないか」ということも大人になるとお金に幻惑されて気が付かなくなっている。それを小学生でもわかるように丁寧に説明している。

加えて、物事の主役は何かを生み出したり、サービスを提供したりといった実質であって、お金は人と人をつなぐ補助に過ぎない。「稼ぐ」ということに拘るあまり、われわれは「お金の奴隷」になっているらしい。

実は、私が著者の意見で最も感心したのは本よりラジオの方で「投資」について強調していたことだ。

今学校教育で「投資教育」が盛んにおこなわれていることは聞いていて、つい最近小学生に向けた動画の音声をたまたま聞いた。その結びとして「もっとお金に働いてもらいましょう」と言っていたが、私は非常に違和感を覚えていた。

それに対して田内さんがラジオで言っていた投資について「今若い世代が考えるべきことは投資をすることではなく、投資される側になることだ」という意見を述べていた。

なるほど私の違和感は「お金が働く前に自分が働かんかい」ということだったのだが、この意見には納得いった。お金には問題解決する力がないのだから、まずは自分が働いて投資される立場にならなくてはならない。

本書でも述べられており、これだけでも読む価値は十分ある本だった。

そんな奴は川に放り込め

最近、川づくりに寄附金を出すという稟議書が会社で上がった。

川に親しむという考えは大いに賛成だ。都会の川は汚くて水に入る気が起きないし、いたるところに「危険」という看板が立っていて川に親しむどころではない。水のきれいな川ならどんどん入って遊ぶといいだろう。

しかし、いざ稟議書の活動案というのを見た瞬間、私は急に呆れ返ってしまった。

パワーポイントで川づくりの活動案として掲載されている内容を眺めると、そのほぼすべてが河原の草木伐採と整備となっていた。要は草木があって水に近づけないから切ってしまえというわけだ。

そもそも水辺に草が生えるのは当たり前。草木に虫が棲み、その虫を魚が食って生きている。それが川の生態系である。

なぜ草木を切るのかと思えば「景観が悪い」のだという。荒々しい水流や渓谷を作り出したのが自然なら、草木が生えるのもまた自然のなすところだ。その景観を良いとか悪いとか言って破壊することは許されるのだろうか。

シャワークライミングの邪魔になるから倒木を撤去するというくだりを読むに至っては脱力感に襲われた。川はプールじゃないのだ。

 

野田知佑さんが生きていたら怒るだろうし、きっとこう言うだろう。

「そんな奴は川に放り込め!」