クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

結婚、決闘

先週は珍しいメンバーで飲み会をした。
いずれも社内で、年の順に今年40になる先輩、私、29の後輩2人。29のうち1人は男、1人は女という構成。
年頃というにはもう40の先輩や私は過ぎているが、話題はどうしても結婚ということになる。

飲み会の紅一点は30の鐘を聴く前に少し焦り出したのだそうだ。
「私、そんなに高望みしませんよぉ。年も上は15までならOKです」
とおっとり話す。結構広いねぇ。それならたくさん候補は出そうだ。
「年収は私より上ならいいです」
まあね。金銭的に頼られるのはちょっとと思う気持ちが働くのだろう。
「太ってる人は嫌です」
彼女自身は美容意識が高いから、付き合う相手もデブは嫌なんだろうな。
「あと身長は172cm以上で」
彼女は164cmと言うから、ヒールを履いても彼の方が高くなるにはそれくらいは必要か。ほぼ平均くらいではあるね。
「それと私を好きでいてくれる人」
追いかけるより追われる方がいいらしい。女性は追われる方が好きなのかも。
バツイチは…うーん、やっぱり嫌かな」
そうなんだぁ。そんなもんかな。

それぞれの条件は確かに厳しくはない。
ちなみに彼女の容姿については、入社当時社内で少し話題になったくらいなので、結構点数は高いし、仕事も一生懸命だ。
それならこの条件に合致する男を見つければ万事解決するわけなのだが、そうは簡単に事が進まないので困っているわけである。
「なんでこうなっちゃうの」と感じているのは本人が一番だろう。

その場にいた私を含めた男たちが感じたのは簡単なようで見つけるのは難しそうだということだ。
そもそも条件が複数ある中で、全てが「または」ではなく「かつ」になっている。
まず相手は未婚じゃないといけないが、三十代なら40%くらい。
身長172cmは平均よりわずかに上。30歳前後なら50%くらいかな。
年収は平均ちょいくらいあればいい。ただ、年収を条件に挙げる段階で、前年実績があてにならない不安定な職業は望んでないので、もうちょっと絞られる。40%くらいとしておこうか。
それと、年収という条件は年下には厳しいから年上になってしまう。
ただし、三十代の平均体重は68kgくらいだけど、これだと小太りなのでちょっと探すのは手間かも。
これだけで5%は割りそうだ。さらに性格や容姿、金銭感覚なんかを織り交ぜると天文学的数字になるだろう。

「今、パーティー・パーティーというサイトでいろいろ見てます」
という彼女に男3人はそれぞれ、
「社内を含めて身近なところから考えてみたら?」
「合コン・街コンはあまり成果が上がらない」
「趣味仲間を当たってみたら?」
とアドバイスした。
中島みゆきの歌に「結婚」という歌がある。子どもが「結婚」と「決闘」という言葉を取り違えるというところから歌が始まる。最後は結婚と決闘は同じこもあるという話で終わる。ちょっと解しかねるオチだ。
ただ、結婚に悩むその29の女子には条件との折り合い、「決闘」が必要なんじゃないかと、同じく未婚の私は思ったのだった。

迷惑な贈り物

本社が移転して、移転祝いにたくさんの花が届いた。

こういう場合の花は胡蝶蘭が大半となるのはどういうことだろう。私は別にこの花が好きではないので毎度不思議に思う。

贈り主もこの花が本当に好きなのだろうか。金額がそこそこ高い、花弁が散らないので掃除の必要がないくらいでこの花を贈るなら胡蝶蘭に申し訳ない。

そんなことを考えていると、総務の二十代の女性がお祝い品と見られる博多人形を運んできた。

 

花は贈り物としてちょうど良い。

何がちょうど良いかと言えば、散って枯れればなくなる。なまじ形あるものほどタチが悪い。

実家ではほぼ新品の紅茶セットやマトリョーシカ、陶器の巨大ビールジョッキ、凱旋門の形をした酒のボトルなどが所狭しと食器棚の中に飾られている。

祖母の家に行くと、アフリカだかメキシコだかの奇っ怪なお面が扉の上に飾られてあって、私たち孫、今はさらに曽孫を怖がらせている。

日本の応接間にモノが溢れるのは、その家の主が自ら購入するより、捨てにくい贈り物をして家中をモノだらけにする贈りお化けがいるからだろう。

困るのはこのお化けは完全なる善意を持ってやっていて、受け手も善意はありがたく受け取るからである。ただし、その善意の品は必ずしもその対価通り報われるとは限らない。

早い話が高い贈り物ほど捨てられず、もらうほど困惑するのだ。

 

友人の出産祝いに何か送ろうと言ったら、返ってきた答えは「ベビー服」だった。服、特に赤ちゃんの服など親の趣味である。そこに赤の他人が贈るのはちょっとプレッシャーだ。

贈ったはいいが、お気に召さず、そしてこちらが訪問した時だけ気を使って子どもに着せたりしないだろうか。もともと服選びにセンスを持たない人間はこういう時に苦労する。

いや、贈られる方はその苦労もわからないだろう。

そんなことを考えつつも先方の要請なので、無難なものを見繕って贈っている。


さて、件の博多人形を総務の女性が両手に抱えて私の脇を通り抜けて行った。人形は能楽の翁でニッカりり笑った顔で右手に扇を高々と掲げている。

やれやれこんなものはどこに飾るのだろう。

次の瞬間、「あっ!」という声とともにガチャっと音がした。

彼女は人形のケースの両側面を持って運んでいたのだが、ケースは枠にガラスと底板をただはめ込んでいただけで、運ぶ途中で底板が抜けたのだった。

ふと見ると、翁の顔が笑ったまま床に転がっていた。

公園アスリート

休みの日に公園を探しに出かけた。

いい大人が公園で遊ぼうなど、ちょっと頭がおかしいと思われるだろう。

ほっといてください。

懸垂ができる公園がないかと走り回ったものの、最近の公園は遊具が少ない。わりと広い公園が近所にあったので、行ってみたらワイヤーロープウェーしかなかった。こんなもん2回か3回やったら飽きるだろうな。

もう1つ見つけたが、何もない広場に「ボール遊び禁止」と書いてある。ボール遊びを禁じたら鬼ごっこくらいしかできない。

とぼとぼと駅の方に向かって歩くと、屋内のフットサル場やフィットネスジムが見えた。

 

2年前、唐突に映画「ロッキー」を見た。沢木耕太郎『一瞬の夏』に映画「ロッキー」とモハメド・アリとの関連性について書かれており、興味が沸いたからだ。

「ロッキー」に登場する無敵のチャンピオン・アポロは楽なタイトルマッチを盛り上げるために「チャンピオン・アポロが無名の若者にチャンスを与える」と銘打ち、実績のないボクサーを挑戦者に指名する。そして指名されるのが主演・監督のシルベスタ・スタローン演じるロッキーなのだが、これには実在のモデルがおり、相対するチャンピオンこそがアリだった。

映画の筋としてはシンプルそのもので、冴えないヘビー級ボクサーのロッキーがこの千載一遇のチャンスに奮起し、絶対優位と見られるチャンピオンに挑むわけだ。その途中に喧嘩あり、ロマンスがありがいかにもアメリカ映画らしい。

ただ、この映画の最も印象的なシーンはロマンスでも、字幕なしでは何を言っているかわかりにくいロッキーの言葉ではなく、挑戦者となって街中でトレーニングに励むロッキーの影ではないだろうか。

「パパーパー、パパーパー」とテーマ曲が流れ、朝日をバックにロッキーが街中を走り回る。やっているトレーニングは格好良いものではない。

しかし、ウェイトトレーニングなどのトレーニング器具を使用するものはない。それがいかにも徒手空拳、何も手にしていない若者が何者かになるために挑む姿は大変美しい。

 

「ジムに行かないと」

と言って、29歳の後輩が黒い手提げ袋を持って席を立った。

彼はジムでしか走らないという埼玉出身のシティボーイである。私は走るなら動いていないと体力の浪費みたいで嫌なのだが、彼はむやみやたらに街中を走る方が嫌らしい。

「俺がジムに行き出した頃、そんな奴はあまりいなかった。『ネズミみたいに動かない機械に乗って』って言われたけどさ。今はどこのジムもいっぱいでしょ!」

テリー伊藤が確かラジオでそんなことを言っていた。

そう、私がジムに複雑な思いを抱くのは「なんかネズミみたい」と思えるランニングマシンや機械に挟まれたコッペパンのような姿はとても鍛えているように見えないからだ。

野茂英雄アメリカ挑戦の際は「マシンによるトレーニングは怪我の原因になる」という評論家が多かった。野茂自身、NPB時代に「投手は投げ込み、走り込みが基本」と主張する鈴木監督(当時の近鉄監督)と言い争ったらしい。

しかし、つい先日引退を表明したイチロー選手が20年くらい前に「初動負荷理論」でマシンを使用しているというあたりから「マシンも適正に使えばよい」となった気がする。

清原和博が「肉体改造」と言って筋力増強した後、怪我に泣かされた時は「やはりマシンで鍛えた体は弱い」となり、金本知憲が40歳で4番を張った時は100kgを超えるバーベルを上げる姿がしばしばシーズンオフに見られた。

報道や評論は勝手なものだ。

 

 あらゆるアスリートが器具やマシンを使って最先端のトレーニングをする中で、格闘技の選手というのは案外原始的なトレーニングをする。

 格闘技イベント「PRIDE」で頂点を極めたエメリア・エンコ・ヒョードルは鉄槌でタイヤを叩いていた。

ボクシングの井上尚弥は車を引っ張ったり腕だけで綱を登ったりしていた。同じくボクシングの亀田兄弟はピンポン球を避ける練習をしていた。

柔道やレスリングの選手も綱登りなどの自重を使ったトレーニングが多いという。

格闘技は人と人のぶつかり合いである。人を殴る、持ち上げる練習はマシンではない方がよいのかもしれない。


ロッキーは冷凍牛肉の塊を殴っていた。私は冬に凍った山に行く。

人を含めた自然に相対するには公園あたりで自然なトレーニングをするくらいがちょうどいのかもしれない。

ぜいたく税

ラジオも何かにつけて「平成最後の」を付けるようになってきた。本屋の新刊にも「平成とは」とか「平成の総括」といった内容が増え、一つの時代が終わることを強調したものが多い。

ただ、平成が終わることで何かが変わるわけではない。普段われわれは今が何時代なのか意識すらしないのだ。そして、次の元号に変わったからといって、今の政権が交代するわけでも、革命が起きるわけでもなく、今までの日々が続くと信じている。

 

当面、今年変わることが決まっているのは元号とともに消費税である。

民主党政権時代に10%への引き上げが表明され、自民党へ政権が戻ってから8%に、そして今年10%に引き上げられる。政権が変わってもゴールは変わらないのだから、全ては財務省が描いた既成路線なのだろう。

今回はただ増税というだけでなく、軽減税率というものが設けられた。食品や新聞は8%に税率が据え置かれる。新聞がなぜという議論はさて置き、食品が据え置かれるのは弱者配慮であろう。消費税が上がって食べられなくなるようでは寝覚めが悪いと思ったのか、消費税導入以来初めての試みとなる。

 

しかし、今回の軽減税率で中途半端なのは持ち帰りの食品は8%、外食は10%としたことだ。つまり、「外食は贅沢だから増税してもよい。持ち帰りの食品はセーフ」。

ちなみに酒や医薬品は10%となる。健康食品は医薬品指定を受けてなければ食品扱いなので8%。医薬品の方が生きる上で重要な気もするのだが。

 

それはさて置き、この税制を見て思い出したのは団鬼六のエッセイ『牛丼屋にて』である。これは大崎善生編『棋士という人生ー傑作将棋アンソロジーー』に所収されていた。

一時離れていた作家業を再開した団鬼六は、これまでのようなホテルのバーではなく、吉野家での晩酌へ頻繁に繰り出すようになる。誰と話すでもなく12時という制限時間まで、チビリチビリ酒を飲みながら、人々の食欲を眺める。

そんなある日、夜の11時過ぎに四十代の親子連れが目の前にいることに気づく。親子は父親と10歳にもならない子ども3人。団は妻に逃げられた男が子どもに食事をさせるため、深夜に子どもを牛丼屋に連れ出していると想像する。そして偶然その日にもらったクッキーに詰め合わせを子どもたちに差し出す。

団鬼六の本は読んだことがないが、さすがは作家だなと思わせる。ただ吉野家という食事を提供するだけのシンプルな場所で人々を眺めながらその人の境遇や将来にまで思いを巡らせている。生活臭さが溢れる場所だからなおさら想像にも妙な生々しさがあった。

 

さて、この牛丼屋のような店も10月からは軽減税率は適用されず、税率は10%となる。ただしテイクアウトは8%。同じものでも、場所を提供するかしないかで税率が変わる。

税制を作った側はいろいろなことに腐心したに違いない。ただ、先のエッセイに出たような親子には「ぜいたく税」が課せられるといった格好だ。

税法は決して万人に公平なものにはできないし、個別の事情に配慮することはできない。税制が年々複雑化するのは絶えず不公平が指摘されるからである。

しかし外食が贅沢で、内食が質素だというのは制度設計者のずいぶんな決め打ちだなと感じる。贅沢な内食だって、質素な外食だってあるのだ。外食に頼らざるを得ない事情だってあるのだ。

 

どうも税制を見ていると、夫婦や家族のあり方に特定の設定があるとしか思えない。夫は日中働き、妻は専業主婦かパートで子どもは2人くらい。

共稼ぎなら収入に余裕があるはずだから、配慮の必要はなし。今1番多いのは単身世帯だが、単身なら支出は多くないだろうから大丈夫。子だくさんなら少子化対策に貢献しているだろうから、軽減税率の恩恵を受けてください。

では、「吉野家の親子」(境遇はあくまで団の想像だが)のように離婚して子どもを引き取った場合はと言うと、離婚は自己責任とされてしまう。

 

軽減税率によって消費税はさらに複雑化する。同じ8%でも増税前の8%と軽減税率の8%では国税地方税の内訳が異なり、区別が必要となる。食品を扱う企業はシステムなどを対応させなくてはならない。

さらに「食べられるもの」か「食べられないもの」かも利用者側の意図とは別に判断していかなくてはならない。

例えば、重曹は食べられるが、食べる以外の用途にも使える。この場合、食べられるなら8%となる。

そもそもこの軽減税率は企業の生産性を落としてまでやるべき価値が果たしてあるのだろうか。いっそのこと、全部10%にした方が煩雑にならずによい気がする。

 

私はこの軽減税率に反対だというより、設計者の価値観を押し付けられる感じがして嫌だ。

従来の夫婦観、家族観、生活観。新しい時代が来るのを拒む価値観。

何より団鬼六が牛丼屋で親子の境遇に巡らせたような想像力が税制設計者の頭にはないことは確実なのだ。

最近、運動不足なので自宅から新宿まで走ってみた。事前にGoogleマップで確認すると23kmあるらしい。

中央線沿いに走ると三鷹とか吉祥寺とか聞いた名前はあるものの、駅前に近づかなかったので、町としての印象は特にない。というか日本の町には本当の意味で個性はない。作られた街並みか、取り残された街並みがあるだけだ。

杉並区、中野区と23区に入ると、ますます個性のない建物が増えてきた。途中で迷って距離が伸びたせいか、運動不足のせいか、中野で走るのをあきらめ、歩いて新宿を目指す。

「新宿区」という看板が出ると、たちまち周囲はビルに囲まれた。空が極度に狭くなった。

JRの高架をくぐると3つの毛布が横たわっていた。毛布の傍らには赤い漆器の器が置かれていて、汚れてピンクから灰色に変色した毛布の主はいるのかいないのかわからない。

最初、漆器を置いている意味がわからなかったが、中をのぞいてようやく意味を悟った。赤い器の口の中には10円や100円が何枚か転がっていた。

 

独り暮らしを始めた時、食器は実家で使っていないもの、余っていたものを何枚か拝借していった。1人ではそんなにたくさんの器を必要としない。

その後、古くなって割れたり、うっかり落下させて割ったりして数はどんどん減った結果、らーめん鉢1つですべてをまかなうようになった。

朝はご飯に野菜炒めを載せたり、前日の汁の残りをかけて食べる。夜も大差はない。おかずとご飯を一緒に盛って食べる。刺身などの時だけ平皿を出す。

器は1つあれば食うことはできる。しかし1つもなければ食うのに大変不便だということは私が生活していくうちにわかった1つの真理である。。

 

日本の歴史は約1万年前の旧石器時代から始まったとされる。

しかし、日本を日本たらしめるのは土器の登場だろう。衣類や金属の登場に比べて日本における土器の登場は早い。その後も遺跡で発見されるのは土器や陶器、瓦などの焼き物が多く、日本の歴史はすなわち土器の歴史と言い換えてもよい。

数年前に熊野古道小辺路を歩いた時、昔の茶屋跡で幕営をしたら、あちこちに茶器の破片が転がっていた。

地図ではここに水場があるということだったが、その日の夕方さんざん探しても見つからない。茶屋があったのだから水場もあるはずだ。結局、見つかったのは使えそうな白い陶器だけで、肝心の水は伏流でもしてしまったのか見つからず、同じ場所に幕営した男性に少し分けてもらった。

水で苦労している中で水をすくう器が妙に印象的だった。茶屋で使っていた器だろうか。それともそこを通る旅人が持参したものだろうか。

いずれにせよ、水とともにその器も旅人をいくらか支えていたに違いない。

 

その高架下の3人のうち、器を出していたのは1人だけだった。なぜ他の2人は器を出していないのかはわからない。

その赤い器が高架下に横たわるその主の生命をいくらか支えているのだろうか。

敗退の山

気が付いたらもう2ヶ月も山に行っていない。

「まだ登山やってるの?」と訊かれると「やってますよぉ」と応えるものの、現在は開店休業中といった具合だ。そろそろ行かないと登れなくなりそうで怖いのでとりあえず通勤時に駅まで駆け足をして運動不足を補っている。

ただ体力とかもそうだが行かないと免疫がなくなる気がする。体が山に負けるのだ。

 

登山を完遂せずに途中で引き上げることを「敗退」と呼ぶ。これは登山を始めてから知った。

山と戦うわけでもないのに「敗退」と呼ぶのは、ヨーロッパにおいて登山が軍事的な意義を持っていたことに由来するからである。ハンニバルもナポレオンも山越えを成功させることで戦略的な優位を築いた。古来から戦争はポジションの奪い合い、つまり移動能力が勝負の鍵となっている。山のような場所で素早く移動することはそのまま勝ちにつながるポイントだと言える。

 

日本は山がちな地形であるにもかかわらず、ヨーロッパのような近代登山は勃興しなかった。山は主に杣人や猟師の生活空間であったり、修験者の修行の場であった。山城は古来から防衛拠点としてあるものの、里から生活物資を送るなど最低限の利便性を確保した、いわゆる里山に限られている。

山越えで有名なのは厳冬期の北アルプスを横断したという佐々成政だ。これは織田信長が本能寺で斃れた後、豊臣秀吉に攻められた成政が徳川家康に救援を求めるために北陸から静岡へ赴いた。移動距離からすると、トランス・アルプス・ジャパン並の驚異的な行動であるものの、これは「お遣い」であって軍事行動とは言えない。

軍事行動という意味では源義経鵯越の逆落としが有名であるもののあまり例を見ない。日本の山は樹木が多くて大人数で移動しにくいからかもしれない。

日本の近代登山は明治時代に入ってからウォルター・ウェストンなどのイギリス人によるものが大きい。ヨーロッパの登山用語が流入したことで、日本の登山もこれまでの信仰や生活から「戦い」へと変わった。

 

私も登山に行って何度か「敗退」している。

一番印象的な敗退は7年前の夏に行った山行で、上高地から槍ヶ岳へ登り、大キレットを経由して奥穂高岳まで縦走するのが当初の予定だった。

キレット槍ヶ岳穂高岳をつなぐ尾根で、一般ルートの中では最高難度が付けられている。最高難度と言っても、落ちたら死ぬという話だけで、難所にはボルトや梯子がかけられているので極端な身体能力は必要としない。ただ、ルートが長いので悪天候に捕まると危険が高まる。大キレット縦走の成否は天候と体調によるところが大きい。

8月のお盆休み真っ盛りの時期に初めて上高地に足を踏み入れた。人の多さに驚く。

1日目は昼ごろに上高地をスタートしたので、梓川沿いを歩いて横尾で1泊。2日目は槍沢から晴天の中で鈴なりに人が並ぶ槍ヶ岳に登った。頂上に立ったころから少しずつ雲が沸き始めたものの、2時には大キレットの端部となる南岳小屋でテントを張ることができた。

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槍ヶ岳頂上より穂高岳、大キレット方面を望む

 

天気予報では3日目の午後から天気が崩れ、雨が降り出すとなっている。当初は早朝に出発し、核心部を抜ければギリギリこの大キレットを縦走が達せられると考えていた。しかし、夜中から風が強く吹き、昨日までの好天は何だったのかと思えるくらいに空は不機嫌な表情となっていた。

時間との勝負だ。顔を引き締めて南岳小屋から下降を始める。下降を始めてわずか20分くらいだったと思う。冷たい風が吹きあがってきた。

「うっ!」

と声が出た。夏とは思えないヒヤリとした風。風の冷たさより背筋が寒くなる感覚があった。

次の瞬間、サーッと細かい雨が降り注いだ。

「これはダメだ」

瞬時にそう悟り、慌ててレインウェアを着るとガレた道からの撤退を始めた。南岳小屋に引き返すと身体は芯から冷え切り、しばらく小屋の入口で休憩せざるを得なかった。

その日は結局南岳から天狗原経由で横尾、徳沢へ下山し、徳沢にテントを張ったものの、随分時間を持て余した。もう上高地から下山もできたのだが、帰りのバスは翌日に予約していたので、停滞せざるを得なかったのだ。

 

はっきり言ってこれは大した山行ではない。夏の一番良い時期に北アルプスに行って、予想より少し早く悪天候が訪れたので諦めて撤退しただけだ。

では、なぜこの山行を取り上げたかと言えば「敗退」が印象的だったからだ。この時まで私は山ではっきりとした敗退を決意したことがなかった。なんとなく無理かなと思って引き返したことはあるものの、「決断」と言えるようなはっきりとしたものではなかった。

しかし、この時は敗退して雨が降りしきる中で下降を続けていくうちに、今回の「敗退」は間違いではないと感じるようになっていた。雨が激しくなり、身体が振られるような風が吹く中では「敗退」は正解であり、。あのまま突っ込んでいたら大キレットの核心部で振り落とされただろう。

敗退にかかわらず感じた充実感がなぜか忘れられなかった。

それはこの「敗退」という決断の時に初めて山そのものを感じ、山には勝てないことを悟ったからかもしれない。

所詮、人は山に勝てないのだ。

社長室の扉

社長室の扉の話をしたい。抽象的な社長と社員のつながりとか、会話という話ではなく、物理的な扉の話である。

社長と言ってもいろいろあって、1万人を超える社員を率いる社長とか、従業員が1人しかいない社長、オーナー社長にサラリーマン社長、雇われ社長。どんな社長であっても会社組織のトップに違いない。トップだから社長室なんかもあったりして(ない会社ももちろんあるけど)、扉もちょっと他と違っていたりするのである。

なんとか室と名のつく部屋で私たちが初めて意識するのは「校長室」だろう。校長は学校組織の社長みたいなものだから、大抵別室が用意されていて、そこだけ別格の雰囲気を備えている。

私の高校生時代、悪さをすると(と言っても早弁したとか煙草を吸ったとかのかわいい悪さ)、「校長室への呼び出し」があった。悪さをするのも本当のワルではないので、まず校長室の扉にビビることになる。そしてその重い扉を開いて校長先生に会い、自らの行いを悔い改めるわけだ。

同級生に学校にエロ本だかエロDVDを持ってきたことが発覚した奴がいる。当時、少年のナイフによる犯罪が世間を騒がせており、学校ではとりあえずの持ち物検査を行った際、見つかったという運のないものだ。しかも形だけの検査だったのにもかかわらず、隣の同級生が

「あいつ何か持ってますよ」

とチクったのが直接的な要因で、当人も「おいやめろよぉ!」

などと本気になって抵抗したが最後、御用となった。

ちなみに、そうやって検査をして見つかったナイフは全校で1本もなく、エログッズ所持の奴だけが憂き目に遭ったのだった。

それはともかく、彼はこの「事件」により初めて緊張の校長室の扉を開き、学校長の前で2日間にわたって写経をし、心を清めて再び扉を出た、かどうかはわからないが、校長室の木の扉の重さを実感したのだった。

 

 私は校長室の扉を開くことなく卒業した。そして会社員として社長室の扉を開いたのは過去2度ほど。社長の対外的な挨拶文の原稿を書いて上司に出したところ、「これを書いたのは誰だ?」となって呼ばれた。何を言われるかと思ったら、

「ここの"オリンピック"は"オリンピック・パラリンピック"にした方がいんじゃないか!?」

昨今はパラリンピックはオリンピックと同等であるという世論があるのでその通りだ。

「ここの語尾は"です"に変えた方がいいんじゃないか!?」

趣味の問題だが、しゃべる人が変えたいなら変えた方がよい。

とまあ、3・4箇所を変更して、社長に原稿を再送付するというだけの簡単な話だった。話は簡単だったものの、初めて社長室に入ると、高級そうな木の大きなテーブル、腰高の棚には液晶テレビと地球儀(海外取引が多い会社ではないのだ)、その前に大きな社長用の椅子にデスク。

ザ・社長室という風情で、なんだかわからんが偉いのだろう。

ただ、ここで仕事をしたいかと言われると「うーん。別に」。

 

なぜこんなことを書いているかというと、社長室の什器類の精算をしていると、扉1枚が50万円くらいして、「たかが扉が偉そうに」と感じたからだ。そんなに高いと足で閉めることもできないではないか。

しかし、日本の建築というのは(日本にかかわらないかもしれない)扉を過剰に意識するところがある。「門戸を叩く」というように、扉は家の象徴であり、江戸時代の蟄居閉門という罰は文字通り門が開かないように釘を打ったという。

門が立派なのは偉い(または偉そうな)ことの証であるわけだが、マイホーム・マイカーには興味を示さない私を含めた今の世代にはとんと響かない。建具や什器にこだわるのもいい加減にしたらと思ったりする。

会社の場所や社長室の装飾にやたらとこだわる経営者は、そのうち「ぬりかべ」に押しつぶされるだろう。