クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

遊びをせんとや

アメリカ人ってのは、遊びの天才じゃぁなぁ」

広島にいた時、取引先の社長がそんなことを言っていた。彼は従業員10人くらいの会社の社長だ。奥さんが「肝っ玉かあちゃん」という感じの人で役職は専務。業務の大半はこの専務が行っている。社長はというと商品を自ら配送したりと、通常なら外部に委託するか下っ端にでもやらせそうな仕事をしている。

 

その社長から夏のある日、商店街主催の宮島キャンプに誘われて、担当セールスである先輩と待ち合わせの宮島対岸の港に向かった。私は当時24歳で見知らぬ土地で休日は車もないので暇ときていた。ちょうど良い日差しで海が青く見えた。

港に着くと背が低く、痩せた社長が顔をくちゃくちゃにした満面の笑みで迎えてくれた。失礼な話が陽気なサルのようなオヤジなのだ。

「宮島までどうやって行くんですか?」と私が訊くと、社長は「これで行くんじゃぁ、これで!」と言った。

中小企業とはいえさすがは社長だ。自家用ボートを持っている。われわれを荷物とともにボートに乗せると社長はエンジンを始動した。

私は先輩に「社長の言うことが半分もわかりません」とこっそり話しかけると、先輩は「俺なんか1割もわからないよー」と返ってきた。社長はあくまで陽気にハンドルを握り、ボートを出発させた。

 

ボートで宮島へと言ってもただ宮島に行くわけではない。そのあたりは社長なのだ。途中で社長夫人である専務と娘を乗せて、総勢5人になった。5人になったところで、ボートの後部に乗せていた巨大な浮き輪に乗れと言う。

浮き輪と言ってもドーナッツ型のあれではなく、バナナボートくらいの巨大なもので、ヘモグロビンみたいな形の黄色い物体だ。「若いの!お前から行けや!」と言われた。多分、この社長は私の名前を覚えていない。覚える気もないだろう。

この巨大浮き輪の遊び方はプレーヤーが浮き輪に乗り、ボートで浮き輪をロープ伝いに引っ張る。プレーヤーは浮き輪に付いている取っ手をつかんで落ちないようにするのだが、ただ乗っていればいいというわけではない。引っ張る方はボートを直進させるわけではなく、プレーヤーを振り落とそうとボートを右へ左へ旋回する。ボートを旋回すると浮き輪も右へ左に振り回されるのだが、裏返らないように身体の重心を傾けて浮き輪をコントロールする必要があるのだ。

一番手に指名されてそんなことは知らない私は死んでも取っ手を離さない所存で浮き輪に乗りエントリーした。

ボートが走り始める。意外と腕力が要る。ただ、当時は日常的に現場工事なんかをやっていたので多少の自信があった。ボートが右へ旋回する。

「やや、振り落とす気だな」

意地でも落ちまいと力がこもる。しかし、浮き輪を乗りこなすコツのわからない私はあっけなく裏返しになり、裏返しになった浮き輪にしがみついてしばらく引きずられた。身体が半分水中にいる状態で引っ張られるのは、すさまじく痛い。まるで縛り付けられて馬に引きずらせる中世の拷問みたいなものだ。最後は海パンが脱げてしまい、そこで諦めて手を放した。ライフジャケットを着けているので溺れることはない。

ボートで回収されるまで、ぷかりぷかりと青い海に浮かびながら、なんとか海パンを履いた。私の次に先輩がやったが、あえなく吹っ飛ばされてしまった。その次の社長令嬢のお姉さん。さすがに幼少から遊び慣れている。親父は振り落とそうとボートを右へ左へ操作するが、ついに落ちず。最後に社長夫人・肝っ玉かあちゃんまでやるのには驚いた。

 

社長は「がははは」と笑いながら言った、

アメリカ人ってのは、遊びの天才じゃぁなぁ!こんなもんは日本人じゃぁ考えられんのじゃけぇのぉ」

この浮き輪遊びをアメリカ人が考えたかどうかはわからないが、日本人が考えられないということには大いに肯んじるところだ。

 

山崎豊子の『華麗なる一族』を読んでいて妙に感心したのは芸者遊びの描写。官庁から派遣された銀行調査官を接待することで指摘をかいくぐる。面白かったのは、三味線に合わせて芸者たちが川を裾を捲って渡る真似をするというもの。川は徐々に深くなり、捲る裾も徐々に高くなる。謹直な調査官の目の色が変わる様子が目に浮かぶ。

いくら高学歴で、高級スーツで身を包んでも、「遊び」はあまりに低俗だ。

それに比べると、アメリカ人というのは大人が真剣に遊びを考えている気がする。フロリダにあるディズニーワールドなどは小さな遊びのための都市を築いたようなものだ。アメリカは国土が広いとかいう以前に遊びに対する姿勢の違いを感じさせられる。

今日本のテーマパークは東京ディズニーランド・シーとUSJ以外は軒並み低調だというが、そもそもアメリカと日本の遊びの実力のような気がする。企業とか国家とか人民のためというお題目を超えて、「大人が本気出して作った遊び場」なのだ。

 

「遊びをせんとや生まれけむ」は平安末期に後白河法皇が編纂したという当時の流行歌集『梁塵秘抄』の一部だ。これは「子どもが遊びするために生まれてきたのだろうか」ということらしいが、大人だって遊ぶために生まれてきているに違いない。

山での死について考える

『岳人』の12月号の特集は「山の事故から身を守る」だった。印象に残ったのは古澤早耶さんの記事で、実父が遭難死したことについて書かれていた。

私は幸いなことに本格的に遭難したことはないし友人・知人を山で失ったことはない。それでも雪山で滑落してクレバスに挟まって助かった友人とか、一緒に登っている途中の雪面トラバースで崖下に落ちそうになった友人とかはいる。知り合い以外では、崖下に墜落して重傷を負った人、雪面を滑落していった人を目撃したことはあるが、今のところ亡くなった人はいない。

山に行かない人は「なぜそんな危ないところに?」と言う。山岳雑誌や登山口のポスターには「山で死んではならない」と書いてある。それでも山に行く人は、「自分は遭難しないだろう」と思って行っているし、私もその一員だ。「遭難する可能性はある」と思っていても、はっきり「遭難するだろう」などと考えている人などいない。

 

今から3年ほど前に行方不明者捜索を依頼されてことがある。依頼してきたのは会社の先輩で、行方不明になったのはその人の義父にあたる人だ。

行方不明者は早朝に自家用車で山に向かい、そのまま帰って来ないため家族が捜索願を出した。場所は福島県の低山で、登山口近くに車が止めてあったが、その後の足取りはつかめていないという。

先輩によると、捜索願を出して1週間は県警と山の探索を行ったが、手掛かりはつかめていない。山岳警備隊でもない県警の警察官と行くと捜索以前に二重遭難になりそうだった。1週間も経つと生存の望みはほぼないが、捜索には山慣れた人の方がよいということで私に白羽の矢が立った。依頼された日は予定もなかったので引き受けたが、それから数日はなんとも言えない気持ちに襲われた。

 

これまで山での死を見たことはないが、「◯◯君 ここに眠る」という碑は幾度となく見ている。大阪金剛山で見た時は「なんでこんなところに!」と思った。標高1000mくらいで遭難碑が立っているのもなんともない小高い丘の上だった。

北アルプスにはさすがにあちらこちらにある。薬師岳の登山口にあたる折立には1963年愛知大学の学生大量遭難の慰霊塔があり、彼らが迷い込んだ東南稜のあたりには巨大なケルンがある。他にもワリモ岳のあたりにも鉄板に刻まれた慰霊碑があったりで、縦走すると必ず2つか3つは目にすることになる。

ただ、数々の死の痕跡を目にするうちに次第に自分の感覚が麻痺していくのもわかった。山の遭難は時代がここ10年くらいのものから数十年前のものが混在している。観光客が関ヶ原の古戦場に行ったからといって痛ましい気持ちならないように、山の遭難自体が過去の遺物として頭が処理するようになってくるからだ。

ここから落ちれば死ぬ。それは今も数十年前も変わらない事実のはずなのに、数々の遭難碑を見るにつれてここにリアルな死が存在したことを感じることができなくなっていた。

 

先輩の捜索依頼は赤の他人とはいえ、突然舞い込んだ「山での死」だった(まだ確定はしていないが生存はほぼ絶望的に見えた)。まだ見ぬ山に対して私の脳裏にはさまざまな想像が駆け巡った。

登山道から滑落?違う尾根を下った?それとも下山中に沢筋に入った?どこかに避難してそのまま?

結局、捜索は悪天候のために中止となった。しかし、私にとってはここ数年で山での遭難死を最もリアルに感じた数日だった。

遺体はその数ヶ月後、登山者によって偶然発見されたという。

 

私の場合は全く知らない人についてだが(しかも最終的に捜索に行かなかった)、『岳人』の記事ではなんと実父である。遺品を探す彼女の気持ちは如何ばかりだったかと思う。文章は感情的にならず淡々と綴られていた。

登山口などには「山岳遭難は他人事ではありません!」といたるところに大書されている。では、山に登るなということかというとそうは書いていない。とにかく気を付けろと。しかし、用心深い人がなんでもないところで亡くなるのが山だ。慰霊碑は大概「なぜ?」という場所にあることが多い。

登山者は、たくさんの他人がなぜか死んでしまった場所に淡々と通っている。遭難死の記事を見るにつけて思うのは、人は他人の死しか見ることができないことだ。

山の奇人変人

晴れた休日に山下公園に出かけると気候が良いせいかたくさんので溢れていた。そしてたくさんの「変な人」がいた。

銀杏をバックに写真を撮影している男女、女性は若いが男性はその父親くらいの年齢、がいた。雑誌か広告の撮影かと思ったが、カメラはプロ仕様とは言えないミラーレス一眼だった。ただ女性は妙に着飾っていたので、とりあえず仕事なのかと解釈した。もうちょっと色づいた銀杏の前で撮ればいいのに。

氷川丸の近くでは二十歳前後と思われる女性が踊っていた。何をしているのかと思ったら、一脚にセットしたスマホがあったので、動画を撮っているようだった。この日の山下公園は何かの撮影コンテストでもあるのだろうか。

山下公園を過ぎてみなとみらい方面に歩いていくと、一台のオフロードバイクがエンジンをふかしていた。ライダーはヘルメットにGoProを付けていて、信号が変わるや急発進してウィリーしたのだが、次の信号が赤なのですぐにまた止まった。ああいうことは街中でなくオフロードでやればいいと思う。

 

街中でも人が多いと奇人変人が多くなる。かく言う私も2時間も走って山下公園にたどり着いているのだから奇人変人の類である。

街中では100人か200人に1人くらいが「変な人」と見なされるのだが、山に入るとこの率が格段に高くなる気がする。思うに「変な人」は単に全体の中でのマイノリティーなのだから、山に行く段階でマイノリティーということですでに「変な人」なのだ。ただ山さらにの中でも奇人変人となると希少価値からいくと芸能人並みで、なかなか面白いことになる。

対象にした人には大変失礼極まりないのだが、私が出会った奇人変人について書いてみたい。

 

Ⅰ 水晶岳の自転車

去年、黒部湖から上高地まで北アルプスを縦走した。このコースの中でも黒部湖から水晶岳は読売新道と呼ばれる道で、これが通常7時間くらいかかるくらい長い。この道ではハセツネと呼ばれる大会を2度完走しているおじさんや、私が全くついていけないくらいのスピードで歩く50代のおじさんと出会った。ただ、これらのおじさんたちは体力的にすごいのであって、奇人変人というわけではない。本当に変な人に出会ったのはこれらの人たちと会った後だった。

私はハセツネおじさんと半日行動を共にし、水晶小屋でビールをご馳走になって別れた。その後、ほろ酔いで鷲羽岳に向かったが、すでにかなり疲労していた。時間は14時を過ぎていただろうか。「疲れたー」とひとりごちていると、一人の中年男性が坂を登ってきた。「こんにちはー」と声をかけたのだが、男性は息も絶え絶えという雰囲気だった。なぜこんなに疲れているのかと思ったが、すぐに謎は解けた。

その男性はなぜか自転車を担いで坂を登っていたのだ。自転車はマウンテンバイクで、Kleinという名門メーカーのものだった。

街中では危ない人として無視するであろう人だが、ここは山の中である。こんな変な人もいて何ら不思議ではない。というか私もその一派なのだ。

私「大変そうですね」

男性「ええ、はあはあ(あとは声にならず)」

私「自転車で下山するのですか?」

男性「いいえ」

私「それじゃ、アプローチに使ったのですか?」

男性「いいえ、こうやって担ぐのが好きなんです」

私「じゃあその自転車は乗らない?」

男性「ええ」

意味不明である。自転車は乗るためにあるのであって、担ぐために製造されたわけではない。自転車自身も乗られることを期待しているのであって、担がれるのは自転車の本分に悖るのではないと思うのだが、その男性は息を上げながら自転車を北アルプスの最奥に運び込んでいた。

その男性は「今日はどこまでいけるかなー。あとどのくらいありますか?」と私に訊いてきた。「あと1時間くらいで水晶小屋に着くと思いますが、今日はいっぱいでしょうね」と答えておいたが、10㎏前後はある自転車の前にビバーク装備を持ってきた方がいいのにと心中では思っていた。

まあ、わけわからん人という意味ではここ3年でナンバーワンだろう。他の山でであってFacebookのアカウントを交換した人も偶然同時期に北アルプスにいて、やはりこの人を目撃していたらしい。

 

Ⅱ ウルトラマラソンと橇

昨年6月に「いわて銀河チャレンジマラソン」の100kmの部に出た。地方マラソンは大抵が前日に受付をして、ゼッケンをもらう。このマラソンは前日北上市の体育館で受付を行い、翌朝4時に総合運動公園からスターという段取りだった。

大会前日は今にも泣きだしそうな曇天で、私は受付開始のかなり前に体育館に着いた。着いてすぐに空から大量の雨が落ちてきて、体育館の薄い屋根を容赦なく叩き始めた。「すげー」と外を眺めながら、他の早く着きすぎた参加者と顔を見合わせた。顔を合わせるうちに、自然と明日の大会についての会話が数人で始まっていた。

「私は今回初めてだし、参加するのは50kmなんです」

と小柄でおとなしそうな50くらいの上品な女性が話し始めた。

「みなさん100kmですか?」

私は「ええ」と言ったが、「私はこれまでフルマラソンも完走したことないです」と正直に告白した。「ええっ!」と周囲に驚かれる。それはそうだろう。我がことながらこれまでハーフマラソンしか完走したことのない人間が参加するのは狂気の沙汰だ。

1人の30くらいの眼鏡の男性が陽気に話し始めた。

「いや、大丈夫ですよ。私はこれで3回目ですけど暑くなければ完走できます。ただ途中のトンネルが寒いので注意した方がいいですね」

経験者のアドバイスはありがたい。私は会場にあらかじめ準備されていたビニール袋を取り、首を通す穴をあけて自分のザックにしまいこんだ。

そのお兄さんはさらに語る。

「この前はアラスカのレースに出ていました」

「へっ?アラスカでマラソンですか?」

「ええ。マラソンという感じでもないですが。橇を引いて歩くんです」

「変わったレースですね」

「途中で吹雪になったりすることもあって、レースというより遭難です」

ウルトラマラソンというのは実にいろいろな人、普通の競技で飽き足らない人が集まるものらしい。このお兄さんは私から見るとちょっとポッチャリしていて、あまりマラソン向きの体形には見えなかった。

「寒さ対策で太ったんです。まあ今回の100kmはリハビリですね」

リハビリで100kmを走るとは完全に頭の構造がおかしくなっている。

 

翌日、大会当日にもこのお兄さんとはまた会った。会ったのはゴール会場だ。10時間30分で完走した私はゴールテープを切った途端に、足に激痛が走った。もう足のどこがというではなく、全部が痛い。わずかな段差が辛い。体育館のシャワーを使ったが、パンツを脱ぐのも履くのも一苦労だった。

体育館を出て、昼食を取ろうと外に出るときに橇のお兄さんはいた。前日同様の晴れやかな顔で 座っている。「完走しました?」と訊いてみた。

「いや、なめとこ山のトンネルでリタイアしました」

「え?」

「やっぱりまだ体重が重くて。この先行っても完走はできないかなと思って回収されちゃいました」

私は心の中で「うーむ」とうなってしまった。レースのためにアラスカまでぶっ飛ぶ人なら東北の町に来てリタイアするくらいなんでもないのかもしれない。前日「仕事で北海道の山の中に1週間いました」とか平気で言っていたが、何を生業にしているのかついにわからなかった。

 

Ⅲ ハワイの空

6年前の2月に八ヶ岳・硫黄岳に山で知り合った友人たちと登った。まだ雪山初心者だったので、同レベルの人と出会って一緒に登ることになったのだ。1日目は赤岳鉱泉に泊まり、2日目に硫黄岳まで登るという特筆すべきことは何一つないコースだった。1日目の夜は赤岳鉱泉で1人が持ってきたすき焼きセットを堪能し、小屋の談話室でくつろいだ。

山、特に冬山は人の間隔が小さくなる気がする。山という同好の人が集う空間で、冬山というる程度のレベルの人間が集まると、自然に「同志」という意識が生まれる。たまたま隣にいた中年男性3人組の方々となんとなく話を始めた。単に雑談だったが、そのうち一人ののエピソードがすごかったので奇人変人の一員として紹介しようと思う。

彼は山もやるが、トライアスロンの大会にも参加する根っからのアスリートだ。トライアスロンはオリンピックでも正式種目になる競技で、ある種スポーツとして確立したものだが、その彼はさらに上の「アイアンマンレース」にも参加しているという。アイアンマンレースとは、swim3.5km、bike180km、run42.195kmを走破するレースである。通常のオリンピックのトライアスロンがswim1.5km、bike40km、run10kmであることを考えると差は歴然だ。その彼は数年前にハワイのアイアンマンレースに出場したいう。

「大会の1週間前に最後の追い込みやと思って自転車のトレーニングをやってたんやけど、車にはねられて気が付いたら病院のベッドに寝てた」 

事故に遭い救急車で搬送されたらしい。気が付いた時には病院のベッドで体はチューブや点滴でいっぱいだった。とっさに思ったのはこれからどうするかではなく、1週間後の大会だった。どうやったら大会に出られるか。今の自分の状態ではなく考えはそれ1点に集約されていた。考えを巡らすものの、病院でチューブだらけの体では何もできないのは明白である。どうしようと考えるが時間がただ過ぎるばかりだった。

「看護師さんにトイレ行きたいって言ったらアソコに管を入れるか、尿瓶を使うって言われた。『それは絶対に嫌やー』って言ったらなんとかトイレに行かせてくれた」

看護師も困っただろう。しかし、本当に困るのはこの後だ。

「点滴押してトイレに入ったら、体に付いてる点滴とか全部取って、窓から逃げた」

昭和の脱獄王さながらの逃走劇である。しかもやったのは囚人などではない重傷者なのだ。そして彼は歩いて家に帰ってしまったのだという。

 

帰ったのは無論、1週間後の大会に出るためである。車にはねられて病院から脱走する段階で奇人変人合格だが、さらに彼は翌週には予定通りハワイに飛び、念願のスタートラインについていた。最初はswimだ。

「泳ぎ始めて最初は良かったけど、途中から息継ぎが苦しくなってん。事故で口の中が切れていて、泳いでいるうちに内皮がはがれて、息がしにくくなっててん」

それでもswimを終え、bikeの時は調子が良かったらしい。これなら完走できるなと思ったという。ところが、事故と1週間の練習不足は最後のrunの時に効いてきた。

「走ってて、もう途中から記憶がなくなっってた」

「えっ!覚えてないんですか?」

「うん。完走せなとは思っててんけど、気が付いたら上向いて寝てた。『あかん、走らな』と思ったら、スタッフに"Comgratulashon"って言われた」

「えっ!」

「俺も途中で倒れたんやと思ったからなんでやと思ったんやけど、ふと気づくと胸に完走メダルがかかっててん」

「完走してから倒れたんですか?」

「多分。自分でも記憶ないからわからんのやけど」

すさまじい話である。

重傷の怪我人の完走。貴乃花武蔵丸との優勝決定戦とか古賀稔彦の金メダルとか、スポーツには怪我をおして出場し、栄光をつかんだ物語は数あるが、病院を脱走して出場して完走した例はそうないだろう。市井の人の物語にも面白いものがまだ星のように眠っているのだろう。

 

山に行くと、綺麗な景色や澄んだ空気も魅力なのだが、奇人変人に出会うのもまた大きな魅力である。私もそのうち、他者にとっての奇人変人になっていることを心のどこかで望んでいるところもある。

駅弁賛歌

自動車を使わない登山になると自然と鉄道の旅となる。翌日が仕事となると特急で早々と帰宅したいが、余裕があれば鉄道の旅を楽しむのも一興だ。1人でぼんやり外の山々を眺めながら車内の人間観察をするのも悪くはない。

鉄道旅の多少の問題は食事である。登山のたびにいろいろ乗ったが大糸線中央本線身延線電鉄富山などは一部が単線なのですれ違いのための停車が長い。停車が長いと途中で腹が減って難儀する。

都市の駅では多彩な駅弁が売られているのだが、ローカル駅ではキオスクくらいの売店で菓子類と飲み物を除けばパンかおにぎりくらいしかない。こちらは山から下りたばかりなので、行動食にしていた柿の種やクッキーは食い飽きている。時間があれば駅前で店屋を見つけて済ませるが、余程栄えている街でもないとラーメンかうどんくらいしかない。どうしても下山直後はタンパク質が欲しくなるのでカツ丼なんかを食べることが多いが、名物でもないもので腹を満たすのはなんとも無念である。

 

ローカル線の駅に土産物屋などが付いている場合、駅弁が売られている。乗車時間が長く、駅前で名物も見つからない時は駅弁を買って乗り込むことがある。値段は大概1000円くらいして決して安くないが、多少長い山行の後にどうしても何かを食べたい時は旅の贅沢に買うことがある。

さほど頻繁に買うこともないので、鉄道マニアや駅弁マニアに怒られそうだが、今回はちょっと駅弁について綴ってみたい。

 

Ⅰ 上高地

上高地からは新宿までの直通バスが出ている。一度夏に乗ったところ中央道の渋滞にはまり、思わぬ空腹を味わった。その時は隣の席のおばさんが「先は長い!」と言ってパーキングエリアでたこ焼きか何かを買ってくれて大いに助かった。そのおばさんとはなぜか会話が弾んで長い道中を5時間くらいしゃべっていたのだ。自分で買えよという気もする。

5年前のゴールデンウィークに涸沢にテント泊して奥穂高岳に登ったが、その時は以前の教訓から上高地で弁当を買ってバスの乗り込むことにした。バスターミナル至近の売店では14時になると弁当が半額になると前日聞いて、「今より半額!」の声を聞くや否や購入した。正確にはいくらか忘れたが、正規の価格は800円くらいで河童巻き2つ、おこわご飯、鮭の切り身、山賊焼き(鳥の胸肉の唐揚げ)と野菜の煮物が入っていた。絶品といかずとも、山から下りて魚や肉、野菜が食べられるのは嬉しい。もっともこれが正規の価格だったら購入したかは怪しい。ちなみに、この時はゴールデンウイークの大渋滞にはまり、3時発のバスが新宿に着いたのは夜11時を過ぎていて、この弁当がなければ途中で空腹のため動けなくなっていたかもしれない(サービスエリアで何も買わない前提)。

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その3ヶ月後、私は再び上高地に来ていた。その時は島々から徳本峠を経て霞沢岳に登り、上高地に下山するというクラシックルートに来ていた。上高地からの帰りのバスは前回と同様であり、再び半額弁当を狙うのも前回同様である。今回は前回と同じ弁当はなく、一つ上の高級グレード版にした。お重になっていて、ご飯とおかずが別々になっている。後から写真で見比べてみると、内容はほぼ変わらない。

・県内産豚リブロース

飛騨牛の河童巻き

・山賊焼き

・地採り山菜

・信州サーモン粕漬

という内容になっている。

豚や牛が高級グレードには入っていた。これは友人と2人帰る車中でのんびり食した。アツアツではないので感動するほどではないが、信州名物を帰りに食べるのは嬉しい。なんというか山を堪能し、食も堪能したと感じる。「信州を堪能しつくしたぞぉ!」という気持ちでいっぱいなのだ。

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Ⅱ 小淵沢

八ヶ岳は関東エリアに住む登山者には大変便利な山だ。早朝に出発して山中泊できるぎりぎりがこのあたりになる。八ヶ岳に登るには茅野駅を利用するのが便利なのだが、茅野には駅弁があまり売っていないのが少々の恨みである。結構立派な土産物屋なんかがあるのになぜか駅弁の種類はあまりない。一度「信州名物野沢菜入りかつサンド」を買って帰りのあずさ号で食べたのだが、これはカツの甘いソースと野沢菜の塩気と渋みでなんともフクザツな味になっていた。写真もあるのだがフクザツな思いをしたのでここには載せない。

 

代わりに小梅線と中央線の交流点となる小淵沢は駅前に丸政の直営店が出ていたりして多彩な駅弁を買うことができる。丸政は駅弁を出しているメーカーで、少々高いがネーミングセンスに惹かれて何度か買ったことがある。

八ヶ岳から下山して天むす弁当なるものを買ったことがある。天むすは名古屋名物なのだが、なぜか小淵沢にあった。信州名物でも入っているのかと期待して食べたら、おむすびの中身はやっぱり海老天で、なぜ小淵沢で売っているのかはついにわからなかった。小さなむすびで5つ入っていたが、すべて海老天なので最後は少々食べるのが辛くなった。味はまずまずといった感じ。


次に小淵沢駅を使ったのはその翌年2月に黒戸尾根から甲斐駒ヶ岳に登って下山した時だった。この時は十分に腹が減っていたので、満を持して「元気甲斐」という弁当にした。弁当の中身は知らなかったがこの名称だけは知っていた。原田宗典さんがエッセイの中で、コピーライターのアシスタントをしていた時にこの弁当のネーミングを「ボス」が依頼され、一緒に考えたことがあると書いていた。結局、原田さんや他のアシスタントもいろいろ考えたがロクなものを思いつかず、「ボス」が「元気甲斐」という名称を出した時は流石だと感じたという。「ボス」はさまざまなネーミングやコピーを生み出した岩永嘉弘だ。

さて、弁当の内容だが、これも二段構成のお重になっていて、お品書きまで付いていた。少々多いが書き出してみる。

一の重は、

・胡桃御飯

・蓮根の金平

・山女の甲州

・蕗と椎茸と人参の旨煮

・蒟蒻の味噌煮

・カリフラワーのレモン酢漬

・ぜんまいと揚げのごまあえ

・セロリの粕漬

二の重は、

・栗としめじのおこわ(銀杏・蓮根入り)

・鶏の柚子味噌あえ

・わかさぎの南蛮漬け

・山牛蒡の味噌漬け

・アスパラの豚肉巻

・沢庵

先程の上高地の弁当と比べると品数も多く、調理法も凝っている。ただ、彩りは人参を除くと白や茶、黒が多く少し見栄えはしないというのが正直な感想。食べると繊細で柔らかい味の和風弁当という感じで、それなりに美味しかった。

ただ、「それなり」というのは食するこちらの問題で、山で質素な食事に耐えていると、下山した時にはもっとジャンクな食べ物のほうが美味しく感じるからである。

この時の写真は食べるのを焦ったせいかピンボケしてしまっている。帰りのあずさ号で食べたが、お重型の弁当はテーブルのある特急列車でなければ食べることができない。時間さえあれば鈍行で帰ることもある私としては特急に乗って、駅弁とビールを買うのは最高級の贅沢に該当する。最高級の贅沢を前に手が震えるのは当然なのだ。

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Ⅲ 松本

松本駅に着くといつも気になるのが、「まつもとー、まつもとー」という女性の声のアナウンスだ。千葉マリンスタジアムの選手コールみたいに、奇を衒ったわけではないがどことない特徴がある。

松本は交通の要所なのだが、県庁所在地ではない。一度松本駅から長野駅へローカル線で向かったら、とんでもない路線だった。普通の路線なのだが、途中で列車がスイッチバックするのだ。スイッチバックとは列車が急勾配で一気に坂を登り切れない場合に、列車が一旦バックしてから登るようすることで、列車がZ字に動くことで、坂を登りきる。この分断された地方都市は高崎と前橋の関係にも似ているような気がするが、駅弁の話には全く関係はない。

松本駅は山登りをする人間にとっても要所なので、よく利用する。特に特急あずさの始発駅なので、駅弁を買って乗り込むには最適の場所だと言える。駅弁屋みたいな専門店が構内にあって、いろいろ買うことができる。

 

昨年北アルプスを4泊5日で縦走し、上高地から松本に降り立った。5日間の縦走は初めてだったので、下山すると無性に肉が食べたくなった。縦走時の食事はビールを除いて持参したのだが、ソフトクッキーやナッツ類はもう食べ飽きていたし、身体がタンパク質を要求していた。

駅のコンビニ兼土産物屋で物色し、「信州すき焼き弁当」というものにした。これまで松本では駅前で山賊焼きかたこ焼き(なぜか駅前に威勢の良いたこ焼き屋がある)とビールを買って乗り込んでいたが、この時は昼食時だったので、弁当をつまみ替わりにした。

味はというと「まあこんなもんだろう」という感じ。チェーン店の牛丼より上品だが、まずまず想像通りの味。ただ、山から下りて肉を食べてビールを注ぎ込む瞬間は至福である。中央線からは天気が良ければ左に八ヶ岳、右に甲斐駒ヶ岳が見える。

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駅弁についてダラダラ書き始めたら思いのほか長文になってしまった。最後はつい先日食べた駅弁について書いて締めくくりたい。

 11月はじめに黒部川・下ノ廊下へ行った。下ノ廊下は2度目だが今回は1人なのでもくもくと歩いていたら予定より1時間以上も早く黒四ダムに着いた。天気も雲が広がり時折小雨も降り出したのですぐに信濃大町まで下りた。信濃大町駅には13:05の定刻にバスは着き、駅にはすでに電車が停車していた。電車は10分後に出発するようだ。単線区間のローカル線なので次は1時間後になる。売店で土産の温泉まんじゅうだけ買うとすぐに電車に乗った。

当初は昼食に駅蕎麦を予定していたので食べそびれてしまった。行動食にしていたピーナッツやソフトクッキーはあるが、下山してしまうともう食べたくない。山で汲んだ水をガバガバ飲んで腹を誤魔化すことにした。

松本駅に着くころには電車はやけに混み始め、そのうち忘れていた空腹がもう一度騒ぎ出した。松本駅からの特急スーパーあずさ号は20分後だ。私は風のように階段を駆け上がると駅弁コーナーに向かった。

駅弁というのは改めて言うのもなんだが高い。立地の問題もあるが、料亭の出す仕出し弁当並の価格のものもある。それと高い弁当ほど上品でカロリーが低そうだ。これは高級弁当の購買層の年齢が比較的高いせいかもしれないが、空腹状態の私は低年齢向け低価格と思しき「鳥そぼろ弁当」にした。それでも870円した。

スーパーあずさ号が停車し扉が開くや私はザックを棚に載せ、座席に付いたテーブルを倒し弁当を置いた。何もそんなに切羽詰まらなくてもよいと思う。そう思いつつも迫る空腹に勝つにはこの弁当を平らげるしかない!ともはや腹が減って何を言っているのかわからない。

とにかく私は付属のお手拭で手を拭うのもそこそこに弁当の蓋を開けた。山から下りて肉肉しい感じが嬉しい。ゆっくり食べようとそっと左側の卵が載った部分から箸を入れる。味はというとほぼ予想通り。ホカ弁よりは味が優しく上品だ。サラダは醤油風味の和風ドレッシングをかけて食べるようだ。これが意外と美味しい。弁当に生野菜と言えばミニトマトくらいが相場だが、しっかりと葉物野菜が入っていてドレッシングの酸味がなんとも心地よい。真打鳥肉もまあ「こんなもんか」な味だが、なかなか分厚くて歯応えがあった。

結果的にはスーパーあずさが発車する前に食べ終わってしまった。

 

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 よくJRや百貨店が「駅弁祭り」と題して全国の駅弁食べ比べイベントを都内で開催している。地方に来た観光客に売るより東京のイベント会場で売った方が大量に売れるのだろう。

ただ、都内に居ながらにして食べる駅弁など美味しいのかと疑問に思う。駅弁は各地の業者が趣向を凝らして地元の食材を独自の調理法で製作しているのだが、どうしても冷めていて絶品とは言い難い。

私は地方に行った帰りなどにその土地の思い出を惜しむために駅弁を食べる。駅弁は土地土地の匂いとともに食さなければ味は半減してしまうのではないかと思ったりする。 

葷酒山門に入る

11月の初め黒部川・下の廊下を行くため、久しぶりにテント泊で山に入った。もう山中は寒くなってきて、後立山の峰々には雪が積もっていたが、山馬鹿はたくさんいて阿曽原のテント場は大盛況だった。

私が着いてから1時間くらいしてテント場に男女3人組のグループが到着して隣にテントを張っていた。3人組みだが、テントはそれぞれ個人用を持ってきたようだ。その中の男性がザックから緑の物体を取り出した。最初は何かと思ったがそれは日本酒の一升瓶だった。

 

山に酒はつきものという人は多い。一方で標高が高いと酒の回りが早いので飲まないという人もいる。一方は呑兵衛の、他方は下戸の理由であり、山はあまり関係ないのかもしれない。

私は呑兵衛側だが、登山を始めた当初はほとんど飲んでいない。用心のためと単に重い、または買うと高いためである。初めて飲んだのは2月の八ヶ岳赤岳鉱泉だった。一緒に行った友人が飲もうと言ったからだ。寒くてもその時飲んだビールは美味かった。

それ以降は抵抗感がなくなり、山でも飲むようになった。

 

山で飲む酒で相応しいのは何だろう。

山に限らず最初に飲む酒はビールと言う人が多い。日本人は世界一ビールが好きなのではないかと思う。アルコール度数が5%くらいなので、悪酔いすることもなく山の酒としては適当だ。

山小屋で聞いた話だが、ビールは山小屋では350cc缶で500円くらいだ。ただ、大きさのわりに重いのでヘリコプターで運ぶにしても料金が高い。ヘリは運ぶ重さで課金される仕組みになっている。普通の缶ビールが500円というと足元を見た商売のように思われるが、山小屋としてはほとんど利益にならないらしい。

私もビール好きなので、荷物が軽ければ山に持参してもよいと思っている。しかし、ビールの厄介なところはペットボトルなどはなくて、もっぱら缶になる。飲み終わると缶が邪魔になるのが嫌なところだ。

持参しても小屋で買っても到着してからの一杯は美味い。景色が良ければなおいいし、一緒に飲む仲間(別にたまたま居合わせた人でも)がいるとなおいい。これを経験すると職場の忘年会などば馬鹿馬鹿しくなってしまう。

4年前の9月に北アルプス・薬師沢小屋に泊まった際、3人で2Lのビールを飲んだ。その山小屋にはビールは350cc、500ccという通常缶とともに1L缶という珍しいものもあった。いくらかは忘れたが、こちらの方が割安なので3人で1缶買ってまずは乾杯。

薬師沢小屋はその名の通り沢に面した山小屋で、黒部川の本流と薬師沢の合流点にある。沢の音を聞きながら、小屋のテラスに車座になって座り、瞬く間に1缶は空になった。私以外の2人は小屋泊まりとあって、スルメやナッツなどのつまみも豊富に持ってきていて、ビールを飲むには最適の環境である。結局もう1缶買って、それも綺麗に飲み干す頃には日が暮れて冷たい風が谷間に吹いていた。

 

山と言えばスキットルにウィスキーというイメージが強い。おそらくアルコール度数が高いので、大量に持って行く必要がないためだろう。

水の美味しいエリアではウィスキーもいい。別に安物でもそれを割る水が最高級なのだから、飲む水割りは最高級品になる。3年ほど前の5月に鶏冠尾根から甲武信ヶ岳に行った時、甲武信小屋で会ったおばさんからウィスキーを頂戴した。なんでも信州の醸造会社の人からもらった特別品らしく、カッとしたアルコールの辛さの中にマイルドな甘みがあった。このおばさんは甲武信小屋では有名(?)な酒飲みで、若いころから小屋で泥酔しては誰かが背負って寝床まで運んでいたらしい。私も付き合って日本酒・焼酎・ウィスキーとちゃんぽんで飲んだところ、当日の記憶は今をもって曖昧なままとなった。おばさんからしきりに「ゆずのカッコいい方の人に似ている」とだけ言われたことを覚えている。

 

山は景色に関しては最高のロケーションなので、そこで最高の酒を飲みたいと思う人もいるだろう。ワインやウィスキーにはとてつもない金額がつくものもあるが、山でそれらを堪能する人がいるのだろうか。

甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根の途中にある七丈小屋には「白州ボトルキープできます」という札がかかっていた。白州は甲斐駒ヶ岳の麓にあるサントリーの工場で作られており、地元のお酒を山で堪能するのはなかなかアジな真似に見える。ただ、これがドンペリニヨンやロマネコンティになるとなんだか成金趣味に見えてしまう。ワイン類は輸送時に振られると良くないというのもある。やはり日本の山なら日本酒がサマになると思うのは私だけだろうか。

冒頭の一升瓶の人のような体力は持ち合わせていないので、日本酒はあまり山に持参しない。たまに寒い時期に小屋で熱燗を飲むだけだ。

3年前の6月だっただろうか。八ヶ岳・権現小屋に泊まった。権現岳から最高峰赤岳に向けてキレットを縦走するつもりだったが、2日目は雨になる見込みだった。とりあえずトレーニングと割り切って訪れた権現小屋は傾いていた。これは比喩ではなく本当に傾いており、寝床に丸いものを置くと勢いよく転がった。傾いてはいたが、小屋の中にはランプがつるされ、夜になるとなかなかいい雰囲気だった。

食事は出ないので、ラーメンか何かを作って食べた。宿泊者は雨の予報ということもあり5人ほどしかいない。食事の後でくつろいでいると小屋番のお兄さんが一升瓶を持ち出した。

「これ振る舞い酒なんでご自由にどうぞ」

そう言ってお兄さんは1度立ち上がった。「では」と言って1人のおじさんが自分のカップに注いだが、後が続かない。遠慮と見たか、お兄さんは「どうぞどうぞ、余ったらもったいないですから」と注ぎ始めた。私ももらった。味は今記憶にないところからすると、可もなく不可もなく。

メンバーが5人しかいないし、呑兵衛はそれほどいないのか、なかなか減らない。お兄さんは時々一升瓶を傾けていたが、結局4分の1も飲まなかった。

ドーンと飲んでくださいとなると案外飲めないようだ。それと、この時の小屋はやけに静かで宿泊者同士の会話も少なかった。山で飲むにも若干の喧騒があった方がいいのかもしれない。

 

冒頭の一升瓶の人は日本酒の他にロング缶のビール、酎ハイ類を6本も持っていた。合計すると酒類だけで5kgにはなるだろう。足場の悪いところもあるルートなので、酒の重みでふらついて遭難したら目も当てられないのだが、頑丈そうなその男性は75Lの大型ザックを満杯にして来たのだという。ここまでになると、呆れるというより、その執念に敬意を表したい。

2年前の3月屋久島に行った際、私は酒類を一切山に持ち込まなかった。楠川という海に面した集落から山に入り、最高峰の宮之浦岳を経由して再び海に下りるというルートを計画しており、距離が長いのでできるだけ快速で移動したかった。

1日目は屋久島名物の雨でずぶ濡れにされ、2日目は何とか降らないものの、空は時々青い部分を見せるが、概ね不機嫌そうな表情を浮かべていた。2日目は高松小屋に泊まった。地図では避難小屋となっているが、傾いていた権現小屋よりしっかりした作りで、立派な山小屋だった。私はわりと早い時間に着いたので、入口近くの2階にマットと寝袋を敷いた。3月のまだ寒い時期とはいえ、さすがに人気の屋久島だけあって、昼過ぎからはひっきりなしに登山者が到着して、見る見るうちに寝床は埋まっていった。私のいた2階にも2人の50代と思われる男性が入ってきた。

夕暮れ迫る頃、隣の男性が私に訊いた。

「他に3人仲間がいるんだが、ここに集まって晩御飯食べていいですか?」

特に断る理由もないので「どうぞどうぞ」と言うと、彼と同年配の男性ばかり3人が梯子を上がってきた。そして、総勢5人のオヤジたちの各々袋からは酒とつまみ、フリーズドライの袋などが続々と登場した。

「兄ちゃんも飲むか?」

どこかで私もその言葉を期待していたのかもしれない。ありがたく輪に加わった。このメンバーは岡山からわざわざ車で鹿児島まで行き、フェリーで島に渡ったという。なんだか学生の旅のようで素晴らしい。

それにしても山中に何泊するつもりかというくらい酒・食料を持参している。1人のオジサンなんかはフリーズドライの炊き込みご飯の袋を3袋も余らせていた。「足りるか不安やった」と言っていたが、一方で「こんなに持ってきたから疲れたんや」とも呟いていていた。

「余ったら明日重たいからもっと飲んでや」

と言われて屋久島の芋焼酎・三岳をゴボゴボと私のカップに注いだ。注いだのは焼酎だが、前日ずぶ濡れにされて寒さに震えた私の心にも何かが注がれたのは間違いない。

 

 

「葷酒山門に入るを許さず」と言う言葉がある。禅寺に修行の心を乱す不浄な葷酒を持ち込むことを禁じる文句だ。

登山者は山と下界を行き来する者である。人が山に入れば「仙」になり、谷に下りれば「俗」となる。仙と俗を行きかう登山者には架け橋となる葷酒は時々必要なのだと思う。

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イジワル質問

先日、社内研修で夜の座談会があった。テーマは「10年後の会社の未来」。同じ社内とはいえいくつかのセクション、職種の違うメンバーで、それぞれの事業の将来について話し合ったのだが、かなり噛み合わない議論になってしまった。まあ当日に突然のネタ振りだったのでやむを得ないが、その研修では一番印象的だったのでちょっと書いてみた。

 

事業の詳細な内容は書かないが空港関連である。

私「今の業務が全て機械化される可能性はありますか?」

社員A「それはないと思います。機械に安全確認はできません」

そこから、しばらくロボット技術や人工知能が進出すると、現在社員がやっている業務がなくなるかという議論になった。「今、飛行機を動かす車両は人が乗らず、遠隔操作になっている」なんていう話(飛行機が搭乗口から離れる時に押し出す車両)が出て、一同「へー!」なんていう声も出た。

社員B「今私が行っている業務をコンピューターでプログラムすると何千万円とかかってコストが合わないようです」

私「金額が下がったら導入できるということですか?」

 

後から振り返っても意地の悪い質問をしたものだ。しかし、彼らは私のイジワルを感じただろうか。

私のイジワルは「テクノロジーが進化したらその仕事はなくなるかもよ」「今は機械やコンピューター化してコストが合わなくてもいずれ合うようになるかもよ」ということだ。そして何より言いたかったのは「機械化のネックがコストなら、人件費はその機械化のコストより低く抑えられちゃうよ」ということなのだ。

 

より正確に業務を遂行してくれる人がいれば会社にとっては有益だ。しかし、絶対にミスをしない機械がやって来たら、人間の正確性なんかたかが知れている。

例えば請求書を見て正確に伝票が打てる人がいたとしよう。当然、作業の荒い人に任すよりはいいので、重宝される。しかし、これは紙媒体を機械が読めない、または読める機械があっても人間がやるよりコストが高いから導入していないだけである。つまり、この仕事はなくなる可能性があるし、正確に業務をこなす人は機械の導入コストが下がるまでのツナギに過ぎない。

 

私はこんなことを書いて別に危機感を煽ろうとしているわけではない。日本はこれから少子高齢化労働人口が減ろうとしているのだから、仮に今の仕事がなくなっても他の仕事は必ず残っている。

しかし、時々考えるのは今取り組んでいるこの業務が先々まで残るかということだ。いくら正確な伝票を打つ技能を磨いても、その業務がなくなったら意味がない。有限な人生を切り売りしてやっている仕事だからこそ、将来に繋がる仕事を考えようと私はその座談会で言いたかったのだ。

ジャンクフード

アメリカ・西部。赤茶けた乾いた大地に伸びる道を一台の乗用車が走っていた。あたりはモニュメントバレーに代表される景勝地であり、西部劇の舞台となるような砂漠である。乗用車はセダンタイプのレンタカーで、運転席には父親、助手席には母親、後部座席には6歳と4歳の兄妹が乗っていた。ドライブが始まるや否や赤銅色の岩山に父親は興奮して、後部座席の子どもらに話しかけていたが、少年はすぐに興味を失い、買ってもらったばかりのポケットゲームに熱中し始めた。

「岩ばっかりや」

しばらく手元のバットマンの動きに夢中になっていた少年だが、ゲームにもいい加減飽き、ふと顔を上げた。前には赤土を削るように伸びる舗装道路、後ろにも全く同じ景色が広がっている。ここで自動車が故障したら、またはぼくを置き忘れてみんな車でどこかに行ってしまったら...。ここにはスーパーはおろか自動販売機もない。どこまで歩けば水や食料にたどり着けるだろうか。少年は急にこの潤いのない褐色の大地が恐ろしくなった。

しばらくすると、少年の目が道のはるか先にある人工物を捉えた。建物は砂漠に似合わないお洒落な三角屋根の洋館だったがなぜか表にはポールが立っていた。乗用車は快調に飛ばし、洋館の姿は徐々に大きくなっていった。

少年は息をのんだ。荒野の真ん中に立つマグドナルドの店舗だった。

 

これは私が6歳の時にアメリカ西部に行った時の話だ。アメリカという国は日本と比べるとはるかに歴史がない。逆にそれが自由な発想や雰囲気に繋がるのだが、それに対して食べ物については柔軟性がない。日本なら砂漠でも「サボテンバーガー」あたりを作りそうだが、アメリカではニューヨークもデスバレーも全く同じものを提供していて、客もいつもの味に親しんでいる。私がアメリカで最も美味しかったものはというと、バーガーとピザであり、"Teenage Mutant Ninja Turtles"に登場する亀忍者たちの好物はピザである。

アメリカ滞在中のわずかな期間で記憶されている食べ物は、ハンバーガーとピザとスープだけだ。アメリカでの誕生会はマクドナルドでの貸切パーティーで、もちろんメインディッシュはハンバーガー。ラスベガスでお腹いっぱい食べたのはピザ。父親の英語教師の家でいただいたのはスープだった。美味しかったが、感動を呼ぶほどではなかった。

 

思うにヨーロッパの最も食べ物に興味のない連中が、大航海時代アメリカ大陸に渡ったのだろう。映画「駅馬車」を見ても酒をあおるばかりでジョン・ウェインがうまそうに料理を平らげるシーンはない。ある意味でハンバーガーやピザと言うアメリカン・ジャンクフードは国民性を表すものと言える。

 日本のジャンクフードはというと、牛丼・ラーメンとなるだろう。

牛丼はすき焼きをご飯に載せたのものであり、すき焼きは牛鍋がルーツだ。そう考えると大変な贅沢品がジャンクフードと言われているわけで、日本人の食へのこだわりの一端が見える。

ラーメンは一説に水戸黄門で有名な徳川光圀が食べたという話もあるが、ジャンクフードとして普及したのは戦後だ。

私はあまり詳しくはないし、旅行に行けばラーメンより山菜や魚介類を食べたい。それでも食べた記憶にあるのは札幌・尾道・白河・博多・熊本・鹿児島・飛騨くらいか。みんなそれなりに美味い。それなりというところがミソで、絶対的な美味さはないのだがそれぞれ個性があるのがジャパニーズ・ジャンクフードの凄さだ。アメリカのように大都市も砂漠も同じ味ということがないし、それでいて不味いラーメンといのはなかなかお目にかからない。

 

ここからさらに世界のジャンクフード事情を書き連ねれば面白いのだが、海外経験に乏しいのでこれ以上書くことはできない。ドイツへよく行っていた父に訊いても「ソーセージとビールは美味い」という行かなくても言えるようなコメントしか返ってこないのでどうしようもない。私も海外経験はアメリカとカナダくらいしかなくて、友達もイギリス・アメリカ・カナダに行った人しかいないので何とも言えない。

少ない情報で勝手に判断するが、ジャンクフードはその国の最大公約数なので、ジャンクフードの美味い国は食べ物全般が美味しい。石田ゆうすけさんによるタコスなどが美味しいメキシコやタイなどのピリ辛よりマイルドな味のベトナムがいいそうだ。

海外に行ったらまずはジャンクフードを食べてみることだ。それで美味しければその国の味覚レベルは高い。高くて美味しいのは当然のことなのだから。