クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

電車の中の不思議な無関心

午後7時台の電車は混んでいた。

ここのところ9時以降に乗るので、よく知らなかったがすし詰めとまでいかないものの、かなりぎっしりという感じだ。テレワーク推進と言ってもできる人間は限られている。

 

外は雨なので、乗客は大抵傘を持っている。

座席に座った私の斜め前に立った男性は右手の肘に傘を下げ、その手でスマートフォンを見ていた。傘は電車やその男性の身体とともにぶらぶら揺れる。傘は濡れているので、先から滴る水がわずかだが、周囲に飛び散っていた。

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そんな状態が10分も経っただろうか。突然、私の隣、傘を下げる男性の前に座っていた太った大柄な中年男性が

「濡れる!」

と一言放った。

そうすると傘を下げた男性は、肘から傘を外し、左手に傘を持ち換えた。

不思議なことに、傘を持つ男性、太った男性ともイヤフォンとヘッドフォンをし、あとはひたすらスマートフォンを眺めているのだ。強い言葉に一瞬緊張した私は、これから何か起きるのかと思っていたが、結局は2人とも自分の下りるべき駅で何事もなく下りて行った。

あたかも2人は互いが空気のように。

くじ引きの効用

相方が「授業のネタに何かないか」と訊いてきた。「子どもに考えさせるテーマがいい」とさらに注文してくる。

考えた結果、「くじ引きなんてどう?」と答えた。くじ引きは古来からある。どのくらい古来かまで知らないが、もめ事の解決に手っ取り早い。

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有名なところで、室町時代に将軍をくじで決めている。四代将軍義持が死去した際、跡継ぎを決めていなかった。義持は一度、義量に将軍職を譲ったものの、義量が早世したため再び復帰。そのまま亡くなってしまった。

困った管領などの家臣は門跡に行かせた将軍家の血縁の誰かを後継者にすることに決める。ただ、「誰か」を決めることができないので、宮司にくじを引かせて決めたのだ。

今風に言えばサクセッションプランがなかったというわけだが、この結果将軍となったのは義教で、この後恐怖政治を敷き、最後は赤松満祐によって暗殺されることになるのだから、家臣側から言えば大変なくじ引きだったと言える。

 

これでは子どもたちに考えさせるということは不可能のようだ。

それではくじ引きは最初に引く方が得か、後から引く方が得かを考えてみればどうかと提案してみた。

4人の場合、最初の人は4分の1の確率で当たり。2人目は、1人目が4分の3で外して、3分の1で当たるので、やはり4分の1の確率。3人目は4分の3、3分の2、2分の1で当たり、4人目は3人目が外したら当たるので、3人目と同じ計算。

ざっと説明したが、要は全部同じである。

ところが、かつてはくじ引きの順番をくじ引きで決めていた。野球のドラフト会議や高校野球の対戦校を決めるときにやっていたらしい。理屈はわかっているだろうけど、公平であることを大げさにアピールしたかったのだろう。

考えないでいい方法を考える。この矛盾が世界のいろいろなものを生み出しているのかもしれない。

コロナワクチンとケインズ経済学

去年はコロナ感染者の数が連日話題に上っていたが、今はワクチン接種が話題になっている。インフルエンザと同じで、接種によるリスクや接種してもかかる可能性はあるが、かかった時の症状はある程度軽減できる、とさる科学者が言っていたらしい(医師ではない)。

まあ、インフルエンザの予防接種も毎年やらずにかかっていないので、焦らず騒がず待つしかない。

 

今、ニコラス・ワプショット『ケインズハイエクか』を読んでいる。

 

 

ケインズは言わずと知れたケインズ経済学の始祖。不況時には公共投資と金融緩和によって、雇用とインフレを生み出し、経済を活性化せよと唱えた。これを金科玉条として公共投資を推進する政治家は今も多くいる。

一方で、ハイエクはあまり知られていないオーストリア派の経済学者で、自由主義経済を推奨している。簡単に言うと不況は人為的に解決できないのだから、公共投資や金融政策をすれば余計に症状が悪化するというわけだ。

コロナ対策というわけで、去年からボンボン経済対策が打たれているのは、ケインズ主義に基づくものである。

 

今の日本の社会科の教科書を見る限りこの論争はケインズの勝利に終わっている。

どちらが正しいではなく、少なくとも日本の不況はマクロ経済学による公共投資によって解決しようとされてきた。一方で、ケインズの母国であるイギリスはサッチャー政権時に小さい政府への変換と民間企業の自立を促している。

今回、コロナ対策で「やはり大きな政府じゃないとワクチンも確保できない」となるのだろうか。「結局、政府の経済介入は役に立たない」となるのだろうか。

2つの経済理論の分岐点が再び巡っているような気がする。

奄美・沖縄の世界遺産登録とエベレストのコロナ対策

ここのところ週休1日、平日は12時間以上職場にいるのが普通なので、ほぼ最新情報が入らないのだが、たまたま見たニュースで気になったもの2つ。

 

①エベレストでコロナ対策

中国がエベレスト山頂が混みあうので、分離線を引くのだとか。

エベレストは、ネパールとチベット(中国)の国境に位置している。当然ながら登山者にとって重要な場所であるのと同時に、国家としてもデリケートなエリアになる。

北京オリンピックの際に聖火を山頂に持ち込むということで、他の登山隊をシャットアウトしたこともあるけど、今回もネパール側に断りなく「コロナ対策」の大義を掲げて規制をかけているのではないか、というのがぱっと見の印象。

エベレストの頂上は酸素が平地の3分の1。気温はマイナス40度に達することもある。ウイルスも生きていけないような気もする。

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日本の山ならウイルスも生きていける


奄美・沖縄の世界遺産登録

歓迎すべきなのだろうか?

世界自然遺産では、知床や屋久島へは行ったことがある。今は白神山地に行きたいのだが、どうも規制が多くて計画が立てづらい。

奄美も行きたいエリアであったのだが、世界遺産になったら立ち入り規制がかかるのは必至。西表島もいろいろありそうだ。「怪しい探検隊」が昔、銛でウナギを突いていたけど、そんなこともできないだろう。

 

たまたま気になったものを挙げてみた。

全く違う内容であるものの、何かを「規制する」という点では同じ。そして世界遺産もエベレストも「遊びの対象」であることも同じ。

してみると、遊びを規制したがるのがお上なのかもしれない。

蕎麦の力とうどんの力

いわゆるゴールデンウイークに深大寺へ行った。 なぜ「いわゆる」と付けるかと言えば、2日しか休んでいないからだ。

それはともかく、てくてく歩いて行ったら2時間以上かかって、大変腹が減ったので、深大寺名物の蕎麦を頂戴した。食したのは十割そばで、私はざる、相方は温かいもの。蕎麦の香りがなかなかいい。

ある蕎麦屋の前に深大寺蕎麦の由来が書いてあった。よくよく読むと深大寺の高僧が蕎麦好きだったとある。

「なんやそら!」

と思わずツッコミを入れたくなったが、蕎麦の栽培にも適していたことからと書いてあり、まあとりあえず納得することにした。

 

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関西出身の私は元来うどん派だった。

夏休みの昼食はうどんと蕎麦とそうめんのローテーションで、冷凍の讃岐うどんが登場してからというもの、うどんが一番手に来ている。

讃岐うどんの由来は弘法大師が治水工事などを行った際に村人に小麦を捏ねた汁をふるまったこととされる。おかずなしで多くの人が食べられるという意味で、麺類というのは有効だったのだろう。

腹持ちではうどんに軍配が上がる。関西はうどん屋に蕎麦がある方式なのだが、実利主義の関西だからだろうか。

 

蕎麦も美味いと初めて感じたのは、山形の田舎蕎麦を食べた時だ。

蕎麦は腹にたまらないのと、関西では小麦の多い伸びた麺ばかりだったので、敬遠していたが、山形で十割そばを食べた時は驚いた。もちもちして蕎麦の香りが強い。讃岐うどんに負けない歯ごたえがある。

こんなことを書いていると山形に行きたくなってきた。深大寺蕎麦も美味かったが、量が少ないのが恨みだ。帰りに蕎麦を売っている店の主人が「お兄さんなら2玉はいるよ」と言っていたのが頷けた。

吾輩は猫である』で、主人こと苦沙弥先生はうどんが好きだというのに対して美学者、迷亭は「蕎麦のうまさをわからぬ人ほど気の毒なことはない」と返している。

 

一体何の話だっけ。

いずれ讃岐うどんと山形そばの対決を書いてみたい。

何かのための何かをしない生き方

「カーニバル理論」というものを聞いたのは予備校時代だった。

「カーニバル(祭り)は日常の息抜きにあるのではなく、カーニバルのために人は生きている」というものだったと記憶している。授業の内容ではなく講師が個人的に学んでいた哲学の話だった。

受験に関係しない内容ほどよく覚えている。

 

30歳に差し掛かったころからこの「カーニバル」が妙に実感を込めて感じるようになった。「人はパンのみにて生きるにあらず」ではないが、「遊びをせんとや生まれけむ」。楽しむための人生ではないかと考え方が変わったのだ。

この頃からやけに忙しくなったからかもしれない。

何かをするために何かをする。「いい学校に行くために勉強する」とか「いい人と巡り合いたいから自分を磨く」とかという目的意識に縛られていると、とにかく時間がない。

面白い登山がしたいからクライミングを鍛えるということはしたが、クライミングそのものが楽しいからやっているだけで、楽しくなければやらない。マラソンは登山のトレーニングに始めたが、やがてマラソン大会そのものに出るようになった。

これまでの地道な努力から一転して、即物的、快楽主義に変わって行った。

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鎌倉の喫茶おやつ(本文とは無関係)

その頃に会った友人たちも、一瞬一瞬を楽しむ達人たちだった。

遊びも仕事も全力。そこに日本的ガンバリズムの考えはない。

今、コロナの影響で、そういう友達たちと会えないのが非常に残念だ。会える時に会っておいた方がいい気もするが。

人生には締切があるのだから。

山頂ののんびりご飯

この前に遭難の話を山梨の百蔵山・扇山登山ではのんびりした。

その前の白毛門登山では、始発で家を出てマッハで乗り換え、マッハで土合駅を駆け上がり、マッハで登山道に入って、下山もマッハ。登山口から駅までは走った。

今回はゆっくりしたいと相方からリクエストがあったので、頂上でランチをして下山した。

 

丸太のベンチの上でまずは魔法瓶を出し、インスタントコーヒーを淹れる。

コーヒーを飲みながら富士山を眺める。この黙ってコーヒーを飲むことが最近はできない。今はカフェでも飲むときだけマスクをつけてくださいと言われる時代だ。

落ち着いたらバックパックからホットサンドメーカーとパンとストーブを出す。ホットサンドメーカーにパンを挟み、ストーブに火をつける。パンの焼ける香ばしい匂いが漂うとひっくり返し、反対の面を焼く。

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山頂のホットサンド

 ホットサンドは山頂でのかなり贅沢なご飯に該当するが、いかんせん季節が限定される。寒いとすぐ冷めてしまうからだ。

去年の11月にも赤城山で食べたが、この時はダウンジャケットを着て凍えながらだった。

 

こうなると汁物、ラーメンあたりがいいということになる。ただ、いつもいつもラーメンじゃ飽きるし、作る楽しみがない。

過去、山は旅の延長と考えていたので、前日に作って冷凍したハンバーグを持って行ったこともあった。この時は八ヶ岳でMSRのガソリンストーブで、米を炊いてハンバーグを焼く(というか温め直す)という独り極上キャンプを楽しんだ。

隣でレトルトパスタか何かを食べていたカップルが、「すごいですねぇ」と覗き込んだくらいだ。

独りでこんなことに悦に入れるのは若かったからに違いない。

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自作ハンバーグご飯

 

 冬の八ヶ岳・赤岳鉱泉ですき焼きをごちそうになったこともある。

この時は同行者に用意してもらった。すき焼きをつついていると、国際宇宙ステーションを見ようとおじさんが立派な望遠鏡を携えて外に出てきた。

味以上に山という空間と雪景色の中のすき焼きというシチュエーションが印象に残っている。

人生で食事のできる回数は限られている。できるだけいいところで楽しく食べたい。