今さらながら、さくらももこ『さくらえび』を読んだ。
「ちびまる子ちゃん」の時代は遠く去り、バツイチ子持ちの漫画家さくらももこが綴る日常である。漫画のまんまいい加減な父ヒロシ、わがままな息子くん、しっかり者と思いきやクセのある母。
どこか不思議でどこか変。
家で鯉を飼いたいと言う父と、お雛様がほしいと言う母と娘。「まとも」な大人になろう、育てようと考える日本の家庭を笑うかのように、「まとも」の軸がズレていく。別に家に水槽を置いて鯉を飼おうが、いい年をしてお雛様を買おうが勝手なのだが、大概の場合は理性が抑制する。
件のお雛様もヒロシが
「出戻り娘と嫁に行ってない娘とバアさんのいる家にお雛様は必要ないだろう」
と珍しくまともに止めに入ったのに、結局母と娘は浅草橋まで出撃してしまうのである。
さくらももこのエッセイは『もものかんづめ』や『さるのこしかけ』も読んだ。描かれているのはどれもごくごく日常で、誰にでも起きうることだ。
『さくらえび』ではビートたけしが訪ねて来たり、みのもんたと一緒に飲んだりと人気漫画家の一面が垣間見えるが、別にそれを誇るでもなく、ただただ楽しんでいる。
まるで年に1度しか咲かない桜を愛でるかのように、その時を楽しんでいるのだ。
ガチガチの常識が跋扈するこの時代、ちょっとした価値観の軸をずらして楽しい漫画や文章を書く人は貴重だ。
世界はつくづく惜しい人を失ってしまった。