クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

愛はお金で買えるものか

1月31日は「愛妻の日」らしい。I(アイ)、31(サイ)ということか。ダジャレで愛妻にプレゼントをせよということだろう。

基本的に何かの日というのは消費を助長するものであって、節約・倹約を謳うものは少ない。

愛はお金で示しましょうときた。

 

十数年前、ホリエモンこと堀江貴文さんが一世を風靡した際、「お金で買えないものはない」と言って論議を巻き起こした。

 生命保険とは生命と金銭を天秤にかける行為である。「今亡くなると5000万円」となると5000万円の価値の人間ということになる。

保険の場合は掛け金の問題はあるけど、人を死なせてしまった場合の賠償はダイレクトに生命の金銭的価値を示している。「目には目を歯には歯を」という自力救済は禁止されているのだから、おのずと生命の価値はお金に置き換わることになる。

善悪や好む、好まざるを置いて、命に値段はある。この主張に明快な反論をできる者はいなかった。

 

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それでは「愛」は金で買えるかというと難しい。

小さなもので言うと唐・玄宗が愛人である楊貴妃がライチが食べたいと早馬を飛ばして取り寄せたとか(荔枝は現在で言うライチと異なるという説もある)。

大きなものではカエサルクレオパトラのためにエジプトをプレゼントしたとか。女の気を引くために男は大変なのである。

人類が二足歩行を始めた背景には男が女にプレゼントするのに、両手を空けるのが主な要因だとする説が有力らしいので、人類は誕生とともに愛を買う動物と言える。

しかし、ライチと国が同様の扱いになるなら金で買えるとまでは言えない。金は愛情表現の一部である。

 

他の例を挙げる。

インド・タージマハルはムガル帝国のシャー・ジャハーンが愛妃の死を悼んで世界一の墓を建造したのだという。建てるのに20年以上かかっている。

無頼派の碁の棋士藤沢秀行は、賭博と酒と女で借金を重ね、さんざん迷惑をかけた妻に最後に残したのは戒名だった。妻のために戒名を考え、位牌をプレゼントしたのだという。

シャー・ジャハーンは妻の死後、藤沢秀行が存命中に実行したという違いはある。ただ、死後のものをプレゼントするのは共通している。

他人が聞けばそれなりに愛の深さに感銘を受けるのかもしれないが、当人たちがどう思っているかはわからない。ちなみに藤沢秀行の妻は生まれ変わったら秀行の妻にはなりたくないと言っている。

 

オチを付けづらくなった。

愛はお金で買えるか。貨幣経済が始まって以来、お金で表現するしか我々は能がなくなったということは言える。ただし、金額と愛情の表現力は比例しない。

山海の珍味、巨大なダイヤが必要なこともあれば、プッチンプリンでもいいことがある。

愛はコンビニでも買えるけれどもう少し探そうよ(スピッツ