クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

ワイロはどう使うべきか問題について

久しぶりに新聞を読んだら河合被告の公職選挙法違反の公判についての記事があった。普段ならスルーするところだが、何せ久しぶりなので読んでみる。

地元議員に20万円渡したとか、100万円渡したとかという疑いとある。渡した方の総額はウン千万円なので結構な出費なのだが、もらった方の額を聞くとちょっとみみっちい。

 

ちなみに、賄賂の金額を見るとこんなのがある。

2020年 約273億円(中国)

1976年 約5億円(日本、ロッキード事件

2020年のは世界最大規模と発表されたもの。さすが中国。こりゃ自治体丸ごとレベル。

こうなると日本最大のロッキード事件がかすんで見える。

賄賂も一族郎党が生涯暮らせるくらいの金額になると危険を冒してもらう価値がが出てくる。数万もらったくらいで実刑受けたりしたら割に合わないのではないだろうか。

 

歴史的に見て賄賂で定評のあるのは江戸時代・田沼意次である。

十代将軍家治の治世に老中に就任するものの、将軍様は政治に興味なし。家康公の時代から培った農業中心のシステムはすでに限界を迎えており、貨幣経済への移行が迫られていた。

江戸幕府の財源は年貢。要するに米。徐々に物流が発達し、金銭を媒介する取引が増えているにもかかわらず、米中心の財政から脱却できない幕府は時代に付いていけなくなったわけだ。

江戸時代の三大改革はどれも等しく質素倹約を謳っている。金銭に触れないで暮らせよというのが主旨であり、家康公の時代に何とか戻そうとしている。

それに対して意次は時代財政再建に乗り出したわけで、その手段が賄賂だった。

「うっしっし、そちもワルよのお」という話ではなく、商業を活用した新しい政策だったというのが今日の評価となっている。

 

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政治の本質は何か。

金銭の再配分であると言われたりする。自由主義経済で生じる格差の是正。

それが正しいのかわからないが、そう考えると田沼意次レベルで政策利用してしまえば賄賂はもはや賄賂ではない。逆に数万円のお小遣いは賄賂である。

妙な理屈のような気もする。

しかし、まあ億単位になると大抵の人は使い道がわからないだろうな。大抵の人は去年もらった給付金だってそれ専用に使っているわけではないだろう。

結局、大きなお金を動かす能力のある人にお金は渡すべきなんだろうと思う。