クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

不自然な自然保護

 今、休日出勤までして作っている冊子にはこのような印字がある。

「ミックス 責任ある木質資源を使用した紙」

「VEGITABLE OIL INK」

「UD FONT」

UD FONTには「見やすく読みまちがえにくいユニバーサルデザインフォントを採用しています。」との注書きがある。日本語の時点でユニバーサルではないのだが、それは置いておいて問題は前の2つである。

両者とも主張の意味はわかりにくい。ただ、自然保護に努めているということは伝わる。しかし、こんな冊子作らなければいいんじゃないか意地の悪いことを思ったりする。

 

そもそも自然に優しい人間生活はない。

 さる農業に携わる企業の方が言っていた。

「今、市場に出回っている野菜で農業をまったく使っていないものはありません」

農作物は栄養が多い。栄養の多いものには虫が付く。肥料をやれば土の栄養価が上がる。そこには作物以外の草が当然生えやすくなる。

農業とは自然環境のなかに不自然な環境を生み出す行為である。その帳尻を合わせるには農薬を使うしかないということらしい。

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植林の中の観音様

植林も同様。

杉や檜は虫が付かないがゆえに材木として珍重され、郊外に植えられた。虫が付かないのだから、広葉樹のような植生にはならない。これまた不自然な自然を形成することになる。

 

農業や林業を批判しようという気はまったくない。

ただ、都会生活をしている人間が観念的に自然保護を訴えるのは究極の不自然に見えてしまうのだ。

今はCO2削減が大義のように言われている。これも違和感だらけだ。CO2削減を訴える会議ではエアコンをつけてはならないではないかと思うのだが、そんな意地悪は誰も言わない。とにかく削減目標だとか自然エネルギーの活用とかを議論している。

誰も川に飛び込んだり、岩に登って遊ぼうとは言わない。

われわれ死んだらみんなCO2を排出して焼かれるのだから、生きている間にもっと自然を楽しむことが先決のように思える。