石川拓治『奇跡のリンゴ』を読んだ。
今や日本一有名になったリンゴ農家、木村秋則の物語。
20代で無農薬のリンゴを作ろうと決意するものの、害虫が発生し、木々は病気にかかり、一家は破産寸前。すべてを終わりにしようと首を括る場所を探して山に入ったところで、今までの間違いに気づく。
死にに入った山で本当のリンゴの育て方に気づいた木村は山を下りて再び無農薬のリンゴへの挑戦を続け、ついに花を咲かせることに成功する。
読むまで知らなかったが、完全無農薬というのはリンゴの栽培においては狂気の沙汰と言っていいらしい。
リンゴは栄養豊富で、甘みもたっぷり。ゆえに虫のとって格好の獲物となる。現代のリンゴは品種改良によって美味しくなった分、病気にも弱い。そのデメリットを補うために大量の農薬を使っていた。
農薬を止めたリンゴの木はたちまち過酷な野生の環境にさらされ、とても実をつけるどころでなくなってしまう。虫を取っても酢を撒いても効果は薄く、ほぼ無収入という状態が10年以上も続く。
彼は、登っても決して下りることのできない山に登ってしまったということになる。
結論から言ってしまうと、無農薬リンゴの実現に必要なことは野生に耐えうるリンゴの木を育てることらしい。
つまり、農薬や肥料に頼らなくても自力で栄養分と抵抗力を身につけなければ、実をつけることは不可能。肥料を与えると、栄養過多で根を伸ばすことも怠り、結果的に木を弱らせることにつながる。害虫を駆除すると益虫も来なくなり、木の周囲で生態系が失われてしまう。
所詮、人間が自然を作ることはできないということだ。
先日、聞いたところ今日本の作物で農薬を使っていないものはないらしい。
その話も納得である。栄養過多な作物を作ればたちまち虫の餌食となってしまう。虫だって自然に自生する食物よりカロリーたっぷりの米や果実の方がいいに決まっている。
これらの作物は人間が自らのエゴで効率よくたくさん取れるように改造したものだからだ。
そう考えると無農薬、有機農法を謳う作物を好んで買うのもどうなのかという気がする。効率の良い農法もエゴならば農薬を使わない、「安全」と思われる作物を買いたいというのも身勝手なエゴである。
「食の安全」と言えば聞こえはいいが、所詮は 自然の摂理を無視した人間のエゴとエゴの帳尻合わせのように見える。
食物は自然の生み出したもので、工業製品などではない生命の宿ったものである。その生命を食べてすべての動物は生きながらえている。その摂理は生命誕生から変わることはない。
その自然をコントロールしようとすれば必ず歪が起きる。それがこの無農薬への挑戦というものには顕著に現れている。
今こそ知るべきかもしれない。
人間は自然の一部であることを。