クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

アメリカ社会の矛盾と強い男

百田尚樹『地上最強の男-ヘビー級チャンピオン列伝-』を読んだ。

正直なところ、私はボクシングに詳しいわけではないし、『あしたのジョー』や『はじめの一歩』を全巻読破したというわけでもない。

なんとなく図書館にあったので借りてみただけだ。

感想は、意外なほど面白かった。

面白いと感じるのは、アメリカ社会の持つ矛盾がヘビー級チャンピオンという1つ地位に収斂されている点にある。

アメリカ人は強い男が好きだ。他国でも強い男は人気があるが、日本のように「柔よく剛を制す」などではなく、強くて大きな者が圧倒的に人気がある。

向こうのプロレスなんかは大男が小男をボカボカ叩くのを見て、観客が大喜びしている。日本人の目からはただのイジメにしか見えない。

 

一方で、白人優位の社会の中での「最強の男」決定戦にはナショナリズム以上の人種意識が芽生える。アメリカの大衆は強い男を支持しつつも、「最強の男は白人であってほしい」と望んでいるのだ。

白人チャンピオンは黒人の挑戦者を受け付けないという「カラーライン」なんていうシステムがあったなんて知らなかった。

黒人蔑視を非難すると白人社会から反発を受け、一切口にしないと黒人コミュニティから「白人の手先」と呼ばれる。歴代の黒人チャンピオンたちは、「まったくどうしたらええねん」と言いたくなる矛盾の上に立たされてしまう。

その中で、黒人ボクサーたちが台頭していくというヘビー級の歴史はアメリカ社会を変えるきっかけとなったのは間違いない。

 

しかし、アメリカが非常に面白い国だと感じるのは、こうした矛盾をあぶり出し、社会を変える人物が必ず出てくることだ。百田尚樹モハメド・アリが好きらしく、ずいぶんと紙面を割いている。

モハメド・アリは本人が意図したかわからないが、白人至上主義に異を唱え、ベトナム戦争に反発し、アメリカ大衆を敵に回して、最終的にアメリカのヒーローとなった。

ただ、本書を含めてアリについて書いた本を読む限り、深い思想があったように思えない。彼はケンタッキー州中産階級出身であり、いわゆる貧しい黒人ではない。むしろ彼が破ったチャンピオンたちがそちら側の人間だ。さらに「ベトコンが俺を黒んぼと呼んだわけではない」と言ってベトナム戦争に反対したという話も後々のフィクションだという(私は信じていた)。

こうなると、失礼ながら思わず感情的に言ったことで引っ込みがつかなくなってしまい、ついにチャンピオンの地位からボクサーのライセンスまで剝奪されたのではないかと想像している。

 

しかしながら、このアリのまとまりのない行動がマイナスに働いたとは思えない。ただ正義の信念で理路整然と平等と平和を説いたのなら、これほどまで人々に影響を与えることはなかっただろう。

モハメド・アリアメリカのヒールとなり、やがてヒーローになり得たのは単に強い男だっただけでなく、アメリカ社会の矛盾を矛盾のある個人があぶり出したからのように思える。

強く、ある種軽率で、感情的な「地上最強の男」たちが社会を変える物語という意味でこの本は非常に興味深かった。