ここのところ4時半に起きて帰宅は8時から9時。帰ってからマッハでシャワーを浴び、マッハで飯を食べ、マッハで寝るということを繰り返している。
先日、そのことを同期入社の面々に話したところ、「何が楽しくて生きているの?」と訊かれた。正直、自分自身そう思わなくはない。
努力は報われる。アリとキリギリス、うさぎとかめ、ありとあらゆる童話から民話に使われる普遍的なテーマである。
相方がカナダに留学した時の話。
あるアニメーターの青年がいた。彼はやや天然なところがあって、高校卒業後になんとなくアニメの専門学校に入ってしまった。なんとなくというところが明らかに天然だ。
入学式で早速校長は新入生に向かって訓話を行う。
「君たちはこれまでオタクと呼ばれて辛い思いをしたことがあるかもしれない。しかし、これからは存分にオタクの道を究めてほしい」
なんとなく入学した彼はオタクという言葉を知らなかった。早速、オタクを検索してみる。そして、オタクになるべく歌詞や振付を覚えて万全の努力で学校に行った。
ところが、学校で周囲と会話すると何かがおかしい。「オタク」っぽい話をしてもみんなノリが悪い。
そこで彼はようやく気付く。彼が懸命に覚えていたのは「アイドルオタク」のものであって、周囲はみんな「アニメオタク」だったのだ(アニメーション専門学校なのだから当然だ)。
彼曰く「俺だけ全力で反対方向に走って行っていた」とのこと。確かにアイドルオタクになる努力は無駄になった。ただ、ひょっとしたらアイドルオタク向けのコンテンツを将来作るかもしれない。
今はいい話のネタができたという意味では無駄ではない気がする。
「努力は報われますか?」という問いに対して「努力は、しない自分より、した自分の方が結果がよいということ」というのが回答の主旨だった。
努力によって思い描いた結果を得られないかもしれない。しかし、やらないよりやった方がいい、もしくはマシなのが努力なのだ。
私の場合、努力と後悔は反比例の位置にあると思う。努力してダメなら後悔はしない。努力しないでダメだと後悔が大きい。
その意味では努力は結果に結びつかないと言えるし、後悔の時間を減らす意味では結果に結びついているとも言える。