クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

はたらけど はたらけど

ゴールデンウィークは結局仕事になった。

今年は特別なことはないのにやたらと忙しく、なのになぜ忙しいのかわからない。どうなっとるんだろう。

 

石川啄木は「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」と詠んだ。

短い言葉ながら人の胸を打つ歌である。これは「手」でなくてはいけない。噺家や声優みたいに手より口の商売もあるものの、大抵の職業は手を使うからで、「はたらけど」というところがじんわり伝わってくる。

ただ、当の本人はサボリーマンで浪費家だったという。

石川啄木は盛岡出身。家はお寺で何不自由ない家庭だったという。

何不自由ないというのは曲者で、本人は窮屈だったのか、その人生はサボりと浪費の繰り返しとなる。朝日新聞社に入ってはサボり、北海道に渡って釧路新聞社でもサボり。代用教員になってもまともに働かず。

私が小学生の頃読んだ学習漫画では、教員になって国語ばかり教えたため、クビになったとあったが、本当はちゃんと働きすらしておらんかったようだ。

「はたらけどはたらけど」って働いとらんではないかというのが現代勤労者の率直な気持ちだ。

 

まあ、そうは言っても勤労者だから胸に迫る詩を書けるわけではあるまい。

しかも、本当に一生懸命に働いている者が「はたらけどはたらけど」というのは愚痴にも聞こえるかもしれない。

してみると遊び人が想像力で書くからこその説得力がある詩と言えるのだろう。