クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

運のつき

9月某日、前々から気になっていた大月市岩殿山に登った。

中央線に乗るたびに大月駅から見える屹立した岩山が気になっていた。ネットによると岩殿山にはかつて岩殿山城という城があり、小山田氏という豪族の居城であったという。新田次郎武田信玄』を読んだ記憶では、小山田氏最後の当主小山田信茂武田信玄の配下となり川中島三方ヶ原の合戦で活躍し、強力武田軍の先鋒を担った。武田の先鋒は小山田の投石ということで知られたが、投石は攻撃と言うより挑発として効果的だったようだ。

 

岩殿山へは猿橋駅で電車を降り、歩いて向かう。途中の道には栗が落ち柿がなりもう秋を思わせるが、かなり蒸し暑かった。なぜか山羊がたくさんいるロッジ風の家の脇を通り、登山道に入った。登山道はわりと整備されているが、蒸し暑くて汗がこぼれ出てくる。道は整備されているわりに枯れ木や草が多かった。

 

小山田信茂は武田氏麾下で武田二十四将にも数えられるが(諸説あり)、末路は他にないくらい悲劇的である。長篠の合戦以降、武田勝頼織田信長により徐々に追い込まれることになる。信玄の親戚にあたる穴山梅雪木曽福島木曾義昌などの寝返りもあり、瞬く間に織田の大軍が甲州に迫る。追い込まれた武田勝頼は上州岩櫃城真田昌幸を頼るか、岩殿山城小山田信茂を頼るかの決断を迫られた。

 

整備された登山道を快調に登ると少し開けた場所に出た。しかし、「開けた」というのは土砂崩れで削られたからであり、それまで順調にここまで導いてくれた道は無残に崩れている。わずか10メートルくらいだが、グズグズの斜面をトラバースするか、斜面を上がってダイレクトに頂上を目指すか。暫し悩むが上トラバースは危険と判断し、上を目指した。地図で見る限り頂上に登山道はないが、なんとなく踏み跡がありそうに見えたからだ。

 

武田勝頼岩殿山城を目指した。理由は定かではないが、岩殿山城の堅さと小山田信茂の忠誠を信じたのだろう。実際、岩殿山城は山城ではあるが、大月の町を見下ろす高台にある。しかも私たちが登った南面、下山に使った北面のいずれも険しく、兵糧さえあれば攻略は難しいようだ。

しかし、武田勝頼の抱いた一縷の希望はあっけなく踏み潰される。小山田信茂が裏切ったのだ。

 

私の予想通り、上に登ると先に踏み跡があり、それを辿ると三角点と鉄塔の立つ頂上に繋がった。軽いハイキングのつもりが、土砂崩れの影響で少しスリリングな展開になったものの、とりあえずは一般ルートに戻ることができた。

頂上から少し下がるといたるところに屋敷跡を示す看板が立っていた。馬場跡なんかもあるが山城なので幼稚園の中庭みたいだ。かつては山の方々に屋敷が建ち、何十人かは常時暮らしていたのだろう。物資の輸送は大変そうだが、早朝に下を見下ろすのは気持ちいいに違いない。

写真の左が岩殿山だ。

f:id:yachanman:20180920083713j:plain

裏切られた武田勝頼木賊山方面に逃げ、織田方の滝川一益に追い詰められる。最後は味方は僅かとなり、華々しく戦ったとも、疲労してあえなく殺されたとも言われる。武田勝頼は名声を肆にした父信玄と常に比較される宿命にあったにせよ、その最期は悲劇の人としての評価を得ている。

一方、岩殿山城小山田信茂は侵攻する織田軍に投降するも、信長の長男信忠によって一族ともども皆殺しに遭う。勝頼のように悲劇の人になるでもなく、裏切った上に殺されたということで、山梨では随分評判が悪いらしい。

 

岩殿山からは北側の「稚児落とし」を経由して下山した。織田軍が迫る中、側室の稚児が泣き出したため、敵に悟られぬようにその断崖から落としたという。岩殿山からアップダウンを繰り返し、鎖やロープがなければやや怖いルートだ。稚児落としそのものは気持ちのいい展望台だった。高さは50メートルくらいあり、人が落ちたら容易に助からないことは一瞬でわかった。

小山田信茂がなぜ裏切ったのか。岩殿山城を見たときからなぜか興味があった。一度は武田勝頼の受け入れを申し出たのに、土壇場で寝返り、最後は切腹。悲劇の人にもなれなかった。一方、勝頼の受け入れを申し出たもう1人真田昌幸は迫る織田と上杉・北条という大勢力の間をきわどく渡り歩き、関ヶ原の際も徳川秀忠の軍勢を遅参に追い込むなど、軍略家として名声を残す。さらに関ヶ原では一族を西軍・東軍に分けることで家名を残すことにも成功した。武田勝頼の頼った家臣は完全に運命の明暗を分けた2人となった。

武田勝頼を招くことはそのまま織田軍を呼び寄せることになる。そのことは両者ともわかっていたはずだ。災禍を自ら呼び寄せた2人だが、結果的に小山田信茂が大凶を引いたことになる。信茂の中で勝頼を裏切るまでの間に何があったのだろうか。

 

結局岩殿山城は歴史の決定的な舞台となることもなく風化し、現在は関東近辺のハイカーを迎えている。

f:id:yachanman:20180920083615j:plain