クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

八王子城を攻略に行った

天気の良い週末。

八ヶ岳にでも行こう。この冬、初めてクランポンを着けるぞと勢いこんだら緊急事態宣言である。

山に行って感染する可能性は低いと思うのだが、

「東京から長野にウイルスを持ち込むのか!」

と糾弾されても嫌なので、近場であまり人と触れ合わない所に行こうと相成った。

気になっていた八王子城跡へ自転車で向かことにする。

 

八王子城高尾駅北に位置する戦国時代・北条氏の支城である。

八王子城のさらに北10kmには滝山城という大規模な支城があり、北条氏康の三男・氏照が武田信玄上杉謙信の侵攻に睨みを利かせていた。やがて、信玄や謙信の死によって両氏の脅威が去ると、代わって織田・豊臣による天下統一の渦に巻き込まれていく。

信玄・謙信から北条氏を守った滝山城だが、わずか170mの高台に位置しており、豊臣方の大軍を迎え撃つのは不可能と判断され、代わって滝山城南、460mの深沢山に八王子城が築かれる。

豊臣秀吉は、配下の武将の中から前田利家上杉景勝真田昌幸を差し向け、攻略させた。

 

鳥居をくぐって、登山道に入ると旧道と新道に分かれていた。

旧道を登るとなかなか急坂である。もともと雪山に行こうとしていた輩が何を言うという感じだが、とにかく急なのには違いない。食料を歩荷するにも大変そうだ。

本丸は深沢山の頂上にあり、今は鬱蒼とした林になっているものの、木々の間からは遠くスカイツリーまで見え、雄大な坂東平野を一望できる。

ただ、この平野に雲霞のごとき攻めてが見えた日には絶望するしかないだろう。

豊臣方の武将は当時のオールスターとも言える面々で、八王子城は1日で陥落したそうである。大将である北条氏照は城を留守にしており、わずかに残る留守番部隊が迎え撃ったわけだが、それでも攻城方ではそれなりに犠牲が出し、北条方の意地を見せたのだという。

 

八王子城跡にはそれなりに人がいて、人を避けるつもりがあてが外れてしまった。みんな近場のハイキングコースに集まるらしい。

さらにこの時期の自転車は異常に寒く、手先足先は冷え切り、日が落ちると身体の芯から冷えてしまった。暗くなると夜道のサイクリングはそれなりに怖くて(それでも5時過ぎなのだが)、震えながらの帰宅になった。

城の攻略は楽でないのである。