クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

市議会議員選挙

3月に引っ越す直前、住んでいたところで市議会議員選挙があった。選挙カーで候補者が名前を連呼していてなんとも喧しい。当方はこれから引っ越すので投票日には有権者ではないのだ。

引っ越した先でやれやれ静かになったと思っていたらこっちでも市議会議員選挙があるという。喧しいのは同じだが今度はちょっとは興味を持たなくてはならない。いつもならすぐに捨てていた候補者のビラを読んだり演説を聞いたりしてみた。

 

ある候補者は駅前に「市内に警察署を」と書いた横断幕を掲げていた。私も引っ越して知ったが、市内に警察署はないので用事があれば隣の市にある警察署に行かなくてはならない。少々面倒である。

しかし、私が警察署に行く用事と言えば運転免許証の住所変更くらいで普段は行くことがない。考えてみれば前に住んでいたところは地下鉄の出口から徒歩15秒、つまり真ん前に警察署があって、その裏には市役所などの総合庁舎があり、さらにその裏には刑務所があった。ただし、これらのメリットをほとんど享受しなかった私には警察署が必要だという主張はよくわからない。ストーカー被害にでも遭ったら必要性を感じるのかもしれないが。

 

家のドアポストに「全小学校に給食を」というビラが入っていた。子どもの保護や教育を公約に掲げるのは昔から使い古された手段である。

NHKの「映像の世紀」で見たヒトラーは「今ドイツ国民が流す一滴の血が将来の子どもを救うのであれば、それは尊ぶべき流血ではないか!」と演説していた。別にヒトラーを例に引く必要もないが、子どもへの補助は社会的な正義になる。

確かに毎日働きながら子どものために弁当を作るのは大変だ。これは毎日弁当を自分のために作っている私が証言する。

しかし、給食というのは非常に高コストである。添加物は使わないし、栄養士が毎日のメニューのバランスや塩分の量も管理している。アレルギー対策や衛生管理も完璧にしなければならない。それでいて一食100円そこそこだから相当な補助が必要だ。それじゃあどこからその金を捻出するのかと思ったら何も書いていない。これでは実現しようがない。

この人が当選したら議会でどう説明するのだろう。

 

似たような主張で「小学校の体育館にエアコンを」というのもあった。もはや「政策」ではなく「主張」である。

だから財源はどこにあるのだ?エアコンを付けたら税収が増えるのか?

確かに学区が魅力的なら住む人も増えるかもしれない。そうなれば住民税も増える。

しかし、「子どもの通う学校の体育館にエアコンがあるからここに住もう」となるかねぇ。

 

ある若手市議会議員が議員として活動した実績をビラに載せていた。「市長に、自身の給与値上げを追及」とある。どうやら市長の給与が上がったらしい。そしてまず市長の給与を上げるとはいかがなものかと憤っていた。

まあそれはよかろう。仕事をしない市長なら給与を上げてはならん。

しかし、そのことはシツコク市議会で議論するべき内容なのだろうか。どのくらい上がったのかは知らないが世界企業の役員報酬のように億単位で上がることはないだろう。それでは月10万円単位?それくらいなら議論に時間を割く方がムダでないかい?

それに有能な市長ならいくら出してもいいんじゃないかと思うのは私だけだろうか。

 

奥田英朗の小説に『町長選挙』という話がある。直木賞を受賞した『空中ブランコ』と同じ、伊良部一郎シリーズの一つである。このシリーズはとんでも精神科医の伊良部一郎とそこに訪れる患者たちが騒動を繰り広げるというのがお決まりの小説だ。

その中の『町長選挙』はいつもの病院から東京都の離島に舞台を移す。離島に赴任となった都職員が町長選挙の騒動に巻き込まれ、同じく島へ派遣された伊良部もその騒動に巻き込まれる。

ストーリーは荒唐無稽とも言えるものだ。町長選挙で勝った派閥は次の任期まで島の権益をほしいままにし、敗れた派閥は隅に追いやられ、次の選挙まで臥薪嘗胆を胸に刻む。したがって、選挙戦に公明正大などはなく、それぞれの候補者は金を撒き、あらゆる便益をちらつかせて票集めに奔走する。

一方が漁協のために便益を図り、他方は学校を巻き込み、最後は人数の多い高齢者の奪い合いとなる。

公職選挙法など関係なしの、まさに「島の論理」による選挙騒動だが、日本の選挙戦というのは見ていると多かれ少なかれそういうものだと気付かされる。

 

ある町で「この町まで地下鉄を伸ばします」ということを公約に掲げる候補者がいた。「地下鉄を伸ばせば便利にはなるけど採算は大丈夫か?市営だからって赤字出していいわけないぞ」と通りがかりの私は思ったわけだが、候補者はひたすらに「地下鉄を◯◯(地名)に、地下鉄を◯◯に」と叫びながら車で通り過ぎて行った。

日本の選挙、いや政治の基本は金のばら撒きである。税金で回収してばら撒く。「所得の再分配」という言い方もできるが、要は回収して単に配布しなおす方式で、そこに投資して回収するという考えがない。つまり、税金を投入した結果、経済が活性化し、再び税収になって戻るというサイクルにまでビジョンを描けていない。使うばかりでは財政が苦しくなるのは目に見えている。

町長選挙』は非常識な「島の論理」を楽しむ小説であるはずが、日本も「島」だったことに気付かされてしまった。

 

小説は最後に棒倒しで町長を決めるというところで幕を閉じる。

下手なばら撒き演説をするくらいなら腕相撲かパン食い競争で議員を決めてみたら面白いかもしれない。