帰宅途中で駅を降りると人がたくさん集まっていて、どこかを見上げていた。芸能人でもいるのかと思ったら月だった。月食である。
今回は皆既月食とともに惑星食も同時に起きる442年ぶりの出来事らしい。前回は1580年というから織田信長の時代。
その時代の人々は月食をどうとらえただろうか。
現代人、特に都会の住む人は月に無関心だ。潮の満ち引きとか、二次的な影響さえなければ、あってもなくても変わらない。
天気を気にしない人はいないだろう。雨が降る以外にも、寒いとか暗いという太陽の影響力が大きいことを示している。ただ、これが月となると今日が満月か新月か、はたまた二十七日目の月なのかもわからない。
角幡唯介『極夜行』を読むと、太陽のない世界での絶対神は月となるのがわかる。極夜は北極圏や南極圏の冬に訪れる太陽の昇らない時期を指す。その中で月の存在は圧倒的だ。
私も明け方暗い中で登山をすると、月があるだけでヘッドライトがいらないことに驚いたりする。ヘッドライトみたいな局部的な光より月明りの方が見やすいこともあるくらいだ。
『古事記』では太陽神を天照大神、月神を月読命という男性神とする。ギリシャ神話では月はアルテミスという女神で男女は逆。他の神話では両方男だったりで、『古事記』のパターンは案外レアなんだそうだ。
勝手なことを書くと、近代以降の日本の「おとうさん」は月のような存在かもしれない。いなくても気づかないが、太陽(母親)がいないと急に目立つ。
現代の日本はジェンダーフリーが進んでいないという議論があるが、あくまで職場での話である。家庭で目立つことのない「ニッポンのおとうさん」が太陽のない職場で煌々と照っているように思えるのだが。
昨日は、ぼんやり月を見つめながら家に帰り、望遠レンズを持ってきて月を撮った。
三脚を使わなかったので、ややぼんやりした写りになってしまった。