クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

「最高のぜいたく」について考える①

星新一ショートショート『最高のぜいたく』という話を読んだ。

寒い北国にいるアール氏を主人公が訪ねる。アール氏はあらゆるぜいたくやり尽くしている大富豪で、今度は何を思いついたのかと主人公は楽しみにしている。訪れると寒い北国に温室があり、中は常夏になっている。その温室の中に冷房を効かせた家があり、暖炉が暑いくらいに焚かれている。汗の出るほど燃え上がる暖炉の前でアール氏は冷たいビールを勧めるという話だ。

似たような話がある。

南国にある俳優ロバート・ミッチャムの別荘を訪ねると、中は冷房を寒いくらいに効かせて寒いくらいにしている。そして、部屋にある数個の暖炉にはすべて火が入っている。

これは沢木耕太郎『バーボン・ストリート』に所収されている話で、このエピソードは高倉健が語っている。

星新一ロバート・ミッチャムのことを知って書いているわけではないだろうが、あまりに見事な符合だ。

星新一ショートショートにはシニカルな話が多いが、この話にはそういった点はない。主人公の「私」は最高のぜいたくとはこういうものかもしれないと締めくくっている。

ロバート・ミッチャムの暖炉についても高倉健沢木耕太郎は粋な「ぜいたく」とはこういうものだと話している。

両者とも筆者は肯定的にとらえているようだ。暑い中で冷房をかけて暖炉を燃やす。今なら資源の無駄遣い、SDGsに反するとか言われかねない行為だ。

しかし、だからこそ「ぜいたく」なのだ。無駄なことをあえてすることこそ粋なぜいたくだと言える。

先日は「お金」について書いていたが、今度は「ぜいたく」について少し考えてみた。

(つづく)