クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

頭を雲の上に

6月の終わりに富士山に行った。7月末に100kmを走る友人のトレーニングに付き合ってで、初めての新御殿場口コースだ。個人的に、夏の富士登山は「登山」という感じがしない。砂利・砂の道をただ歩くだけで、単調極まりない。今回はまさにトレーニングのためだけに登るのだ。

御殿場駅からの最終バス(と言っても15:25だが)の乗車したのはわれわれを含めて4人だった。西日の厳しい登山口で少し高度に身体を慣らすがすぐに飽きて登り始めた。わずか1500mくらいの高度では慣れるも何もない。すぐに単調な上り坂が始まった。

 

富士山へ向かう途中、海老名駅の本屋でサイモン・シンの『宇宙創成』を買って、道中ずっと読んでいた。神話の時代から始まり、古代ギリシャ人が地球は球体であることを知り、ガリレオが地球が太陽の周りを回ることを証明し、アインシュタイン相対性理論は宇宙が膨張することを示唆した。

きっと何の知識も与えられなければ、地球が丸いことも気づかず生涯を終えるかもしれない。大抵の人にとって普段行き来する小さな家と職場や学校が天地の全てだ。たまには壮大な宇宙に思いを馳せるのいいだろう。今日は星と月明かりがあるだろうか。

地球の面皰のような富士山をさらにちっぽけな人間が夕日の中登って行った。

 

日が沈むと風が強くなった。風の感触は好きだが、富士山のような独立峰は一度吹くと止むことがない。鳴り響く風を一晩も聞き続けると気がめいる。私と友人はラジオでFM横浜を聞きながら歩くことにした。独立峰だけに電波は良く入る。

嘉門達夫が番組をやっていた。関西ではふざけたような替え歌をたくさん出している、歌う芸人といった印象だが、意外に真面目な歌詞の歌が多い。「お墓に行こう」などはふざけているようで聞かせる内容になっていた。烈風の中でクスクス笑いながらもつい考えてしまう。今も一歩一歩、「天」に「死」に近づいていのだと。

 

23時に八合目の小屋前で仮眠。シュラフカバーにダウンでは寒かったが、一時間くらいは寝ることができた。富士登山の困難はテントでしっかり眠れないことだろう。

日本で最も登頂が困難な山はどれだろう。登山道がなかったらと仮定してみれば、剱岳などは立山信仰の「地獄」に見立てられるように、かなり登頂は難しい。新田次郎の『剱岳ー点の記』に描かれる通りだ。穂高なども鎖や梯子あるいはロープなどがなければ命がけの登山だが、現代はルートが整備され、大人のジャングルジムとなっている。

それに比べると富士山は噴火や落石の危険性がややあるものの、無雪期は比較的危険が少ない。体力さえあれば初心者でも登ることができる。

多くの人にとって山は命をかけて登るものではない。それでも夏にあれだけ富士山に殺到するのはなぜだろう。富士山は月面のように殺風景だ。夜歩くと殺風景を通り越して苦痛の中で宇宙を浮遊ように感じる。都市の中の見せかけの命が日本一の殺風景な砂漠の中で少しは鈍い光を放つからだろうか。

満月に近い丸い月がライトが要らないくらい地面を照らしている。

 

日付をまたいで3時には眠さがピークに達した。再びラジオに集中する。パンク町田という人がゲストだった。

「今までカンガルーも飼いました」

深夜の妄想トークかと思って話半分に聞く。

「私結構ゴキブリが好きで、埼玉にいた時は部屋でゴキブリを一万匹くらい飼ってました」

このあたりで一度冗談と判断したのだが、次のトークで変わった。

「今まで咬まれた中では紀州犬が一番痛いですね。それ以上は交通事故と同じで何も感じない」

「あっ、今までの話は本当か」とようやくわかった。それにしても富士山に来てなんという話を聞いてるんだ。焦げ茶の砂や砂利に覆われた富士山は日本でも最も生命感のない場所と言えるだろう。

友人は風が止んだところで「紀州犬が一番痛い」と笑った。

 

夜の富士山、しかも開山前の御殿場ルートはほとんど人の気配はなく、ただ蟻のように這い上がるだけだ。一晩中ラジオを聴きながらただ進む。明け方になると宗教団体の番組に変わる。

「あるところに茂兵衛という薬を商う商人がおりました」と昔話が始まる。以下このような話が続く。茂兵衛の妻が妊娠し、臨月となった頃、茂兵衛は所用で出かけなくてはならなくなった。用を済ませ、帰路を急ぐ茂兵衛。ところが、折からの大雨で川が増水し、渡し舟が出ないという。出産に間に合わないと茂兵衛は焦るが、その時「舟が出るぞぉ」という声が聞こえた。茂兵衛が慌ててその列に並ぶと後ろから若い娘が声をかけた。「母が危篤で早く帰らねばなりません。なんとか変わっていただけないでしょうか?」茂兵衛は一瞬迷うが譲ることにした。

川の近くで宿を取ると、渡し舟が沈み、乗客が亡くなったという話が茂兵衛の耳に入ってくる。先程会った娘も犠牲になったに違いない。茂兵衛は川に向かって手を合わせた。

翌日快晴の中で茂兵衛が渡し舟を待っていると、昨日の娘が立っていた。死んだと思った娘と再会でき、茂兵衛は喜んで商売用の薬を危篤の母君にと差し出す。茂兵衛は舟で川を渡ると、家路を急いだ。そして、家に近づくと元気な男の子の泣き声が聞こえてきた。

どうも納得いかない話だ。実話であればケチをつけても意味がないが、たまたま主人公と親孝行の娘が助かったというだけで、渡し舟に乗っていた多くの命が失われたことは変わらない。これで本当にめでたしなのか。納得できん、納得できんと徐々に明けゆく空に呟く。

 

夜明け前、友人が体調を崩し始めた。高度障害だ。私は少し息が上がりやすくなるだけだが、その友人は胃が気持ち悪いという。これで富士山は5度目であり、さらに初めての登山は富士山だというから驚きを通り越して呆れてしまう。「これで富士山とは1勝4敗だ」と言った。これまで5回のうち、高度障害が出なかったのは1度だけという意味だ。きっと定年になったら大阪金剛山の千日登山とかするのだろう。

期待した日の出はその時いた場所が悪く見ることはできなかった。月夜の登山が目的だったが、晴れた日のきれいな太陽を見ることができないのは残念だ。

 

6時過ぎに登頂。特に感動はないが長い、有意義な一日だった。

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