クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

皆既月食と天文学のロマン

昨日は皆既月食らしい。

書いてみたものの特段続ける言葉が見つからない。会社を出た時には月食のせいなのか、それとも街が明る過ぎるのか月が見つからない。見る方角が悪いのかもしれんとも思ったが、あたりは建物だらけで開けた場所もない。

都内で月食は味わいもないものだ。

 

月食にかかわらず天体関連のイベントにはある種のロマン性がある。

先日、ラジオで生物学者の小林武彦さんが、さだまさし天文学者になればよかった」をリクエストしていた。

理由は天文学者は何の役に立つか答えなくていいから」らしい。

役に立たないことがわかっているし、役に立てばラッキーとなるのが天文学者者。一方の生物学者は大抵はすぐに役に立たない発見にも「何の役に立ちますか?」と来るようだ。

そうすると本心では「あと何十年後になるわからないけど」と思いつつも

「癌の治療に役立ちます」

と言ってしまうらしい。記者の方では重要性がなければ載せられないのだが、生物学者も適当に答えているのだから滑稽なやり取りになってしまう。

f:id:yachanman:20210527071413j:plain



日食とか月食、彗星などが到来すると必ず何年に1度という文言が出る。前回、金環日食があった時は太陽を見るためのシートが随分売れたらしい。

何百年に一度となると一生に1度きりである。それが4年に1度くらいだと「暇なら見るか」になる。年1度ならますます減るし、月1度だと誰も見やしない。

しかし、1年、1日という時間も一瞬一瞬の集合体であり、一瞬が途切れると1年という時間も成り立たないことを私たちはどこか忘れている。

こういう天体ショーどこかで一瞬と宇宙ができからの途方もない時間を結びつけるものである。その意味で天文学は役に立たないが、人生哲学につながるロマンがある。

 

ハレー彗星は76年周期。

最後は1985年だから次は今から40年後だという。果たして無事見ることができるだろうか。