このところ夜は公園で懸垂や腹筋運動をしている。
先月まではマラソンに備えてひたすら走っていたので、上半身が弱り気味だ。特に腕力がない。
考えてみると日常生活で重い物を持つことが限りなく減っている。先週末に10kgの米を買って帰ったくらいだ。
文字通り「箸より重いものを持たない」生活になっている。
肉体労働は古代社会では奴隷などが担うケースが多い。その典型はギリシャやローマで、結果インテリ層の中からは哲学や科学に関して様々な学問が花開いた。
中国では科挙の登場によって、インテリは実務をしないものとなった。科挙は儒教の知識と解釈を問うだけで、生活に必要な肉体労働を行うのは下々の者と割り切っている。
ギリシャやローマはスポーツや戦争に重きを置いたが、土木作業なんかを市民はやらない。中国のインテリに至っては土木だけでなく戦争すら武人に任せてしまう。
こう考えると、現代の勤め人は古代の目指す究極のインテリ像なのかもしれない。
私は、社会人になってすぐはレンチやドライバーを持ったりと工事なんかも結構やっていた。機器なんかはものによっては20kgくらいあって、ビルの階段を使って担ぎ上げていた。こういうときは休日にジョギングをするくらいで、重いものを持って出かけたいという気持ちにならなかった。
それが東京に移り、キーボードをパチパチする生活になると、箸より重いものを本当に持たなくなってしまった。そうなると無性に大きなバックパックを背負って山へ縦走したくなった。
時には重い物を持って、心の中を軽くしようということなのだろうか。早朝に新聞紙の束を自転車に載せている人を見ると、素直に尊敬したくなったりする。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」と言うが、現代人も時には重い物を持つ仕事をしなくてはならないのかもしれない。