クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

たまにはスマホの電源切って

ここのところユヴァル・ノア・ハラリの本にはまっていて、『ホモ・デウス』を読んだ後に『21 Lessons』を読み始めた。

こちらも相変わらずシニカルな例えが秀逸。「スマートフォンをのぞき込んだまま歩き回るゾンビ」なんて表現を見て思わず笑ってしまった。

確かに歩きスマホで夜道を歩く人がなんと多いことか。イスラエル人のハラリが言うくらいだから、全世界的な現象なのだろう。現代人はスマートフォンを使っているのではなく、すでに「ハッキング」されているということらしい。

たまたま、この前に読んだアンデシュ・ハンセン『スマホ脳』にもよく似たことがかいてあった。こちらはスウェーデン精神科医

大量の情報が気になるのは、人間が狩猟時代だった頃からの特性だという。

危険を察知するには1つのことに集中しすぎない方がいいという生存本能によるものらしい。危険な動物の例を安易にライオンとしたりするところがやや興ざめなのだが(ライオンに喰われた人はそんなに多くなかろう)、書いてある内容は非常に面白かった。

先週末、甲斐駒ヶ岳に行った時は入山から下山までスマートウォッチを切っていた。その結果、下山してからのバスの時間を間違えるという事態になったのであるが、山と向き合うにはスマートフォンは切った方がいいと思う。

目で見る情報。耳で聞く情報。触れてわかる情報。山に入ると五感で近くできる情報量が人間の認識できる限界であることがわかる。

原始の人がそれ以上の情報を集めて腐心した結果、あらゆる情報が気になるような特性を身に着けたのかもしれない。

ただ、人としてのスペックがいきなり上がるわけではない以上、ただ見、ただ聞き、ただ触れるだけの時間を時には作る必要がある気がする。