お題に「30万円あったらどうする?」とういうのが出ていた。
30万円とはいい線だ。これが10万円だと日常のぜいたくで終わってしまう。100万円となると住宅ローンの返済なんかの現実的なものに充ててしまうだろう。30万円だと2人くらいで少しぜいたくな旅行やデートができる金額なので、少しワクワクする。
しかし、ほとんどの人が30万円くらいなら持っているという現実を考えると、「30万円あったら」というテーマは不自然だ。多くの人は預金通帳に30万円以上あってもおいそれと使えない。使うには罪悪感が大きい金額だと言える。
ただ、果たしてわれわれはどのくらいお金があればいいのだろう。
ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史』を読んでいると、物々交換から貨幣を使う社会に移行したというわけではないらしい。お金とは取引の記録であり、物々交換に先立って存在していたというのだ。
物品を出した方に債権が発生し、受け取った方は負債が負う。そう考えると、お金というのはある人にとって資産であり他方で負債だという考え方ができる。
経済的価値を持つものが一定である以上、お金そのものは数字であって価値はない。価値があるのは、あくまで食べ物や生活財であり、お金単品で生活できない。
お金を持つ者は貨幣経済の約束事として債権を持っていると言える。
小難しい話になってきたけど、要するにお金というものは生まれた時から人間社会における架空の存在だということだ。「架空請求」という言葉があるけれど、お金そのものが物品を要求する「架空請求」と言えなくもない。
服部文祥さんが著書でお金で解決するのを「ズル」と表現していたが、ズルがこの資本社会を動かしているのだ。
テーマに戻って、どのくらいのお金があればいいか。
しばしば老後に2000万円とか3000万円という話が出る。しかし、それは逆に言うと老後になって2000万円分の債権を現役世代から回収する行為だと言える。お金があればそれでもいいのかもしれないけど、死ぬまで自分の力で生きていける、つまり何かを生み出し続けることができればいいなと思っている。