クモノカタチ

山から街から、雲のように思いつくままを綴ります

キタヤツに来た奴

双子池がいいと聞いて行ってきた。先週は白馬でずぶ濡れにされて敗退したので夏山行の追試といったところである。とは言っても目的は双子池でまったりすることなので山友からは「北八ヶ岳でリベンジ?」というコメントを頂戴した。

単にまったりでは何なのでサブテーマを用意しておく。サブテーマは新田次郎『縦走路』である。


茅野駅には8時50分頃着いた。北八ヶ岳ロープウェイ行きのバスは9時25分発なのですぐに切符を買えたが、あずさ1号が着くやたちまち登山者でごった返し始めた。「老若男女の黒山の人だかり」と言いたいところだが、「にゃく」はあまりおらず、頭は黒、白からショッキングピンクまで種々の色に彩られていて、大変なことになっていた。

バス停の喧騒のわりにバスは以外と空いていた。同じバス停から発車する麦草峠へ行く人が多かったようだ。同乗の老夫婦はしきりに北八ヶ岳ロープウェイの割引を気にしていた。割引を気にするなら歩けばいいのに。山歩きに来て歩くのを回避するのでは主意が立たないだろうと思ったが、近頃年に1回くらいは自分も利用しているのでこれ以上の追及はよそう。


ロープウェイ駅に着いてすぐに登山道に入ったが歩きはたった2人だった。これではサブテーマの方がどうにもならない。

『縦走路』は新田次郎の山岳小説の一つである。物語の冒頭で八ヶ岳が登場する。そこで知り合う男性2人と女性1人、それにもう1人の女性を加えて登山と青春を軸に物語は展開していくのだが、この小説には物語を始めるにあたっての大前提がある。

それは「山女に美人なし」というものだ。山に来る女性に美人はいない。その前提を打ち破る女主人公が現れるところからこの小説は始まる。美人はどこでも声を掛けられるだろうが、山という特異で、かつ美人が来ないような場所で出会えば、若者なら必ずや声を掛けたくなるだろうというと。

山へ行く女性からすれば大変失礼な話である。裏を返せば山女はかなりの確率で美人ではないことになってしまう。これは断固として反論せねばならん、というわけでもないが、ちょうど八ヶ岳という舞台も同じなのでサブテーマに据えてみることにした。

しかしながら、登山口からはほぼ無人である。人がいなければどうにもならない。


登山道はロープウェイの下を通るようについていたが、途中からスキー場の整備道と混じり合ってよくわからなくなった。それでも上に行けばなんとかなるだろうと思って登って行ったら、最後に鹿柵に遮られてしまった。「自分は鹿ではありません」と主張したいが、自然監視員に「どうやってそこに入ったんですか!ダメじゃないですか!」と叱責されそうなので、ザックと身体を別々にして鹿用ネットをくぐり抜けて人間界に復帰した。

ロープウェイ駅から北横岳方面に向けてかなりの距離が遊歩道として整備されている。無人から一転して文字通り老若男女が溢れている。サブテーマの考察を始めたが、美人の人もそうじゃない人も、元は美人だった人や多分美人だっただろう人、あるいは美人候補生がいるというにとどまった。東京と変わらん。

北横岳への分岐に来ると人の数は格段に減る。まあここまでは観光客が多かったが、ここから先は登山者だけだ。それでも南アルプスなんかに比べたら雲泥の差ではある。5歳くらいの子どももいてお父さんとはぐれて泣いていた。一本道でどうやってはぐれるのかわからない。

北横岳はやはり人で溢れ、カップラーメンを啜る人、ホットサンドを作る人など、なんやかんや平和な光景だ。つば広の帽子に白のノンスリーブのブラウスに紺のロングスカートという街中と変わらない格好の若作りの婦人もいて驚いたりした。

北横岳から双子池は2時間くらいの行程だったが、たちまち人がいなくなり、道は火山岩で険しくなった。この日は人が溢れたり、消えたり忙しい。

双子池にはまったりするという主目的があったが、手紙を届けるというもう一つのミッションがあった。ミッションを果たして小屋のおじさんに渡すと、おじさんは「うれしいねー」と言ってビールをくれた。こちらこそありがとうございます。

閑話休題。双子池もお盆休み最後ということですごい人だが、テント同士が離れているせいか静かだ。夕方到着したお姉さんとしばし歓談したが、日暮れとともに眠くなってあっという間に意識を失った。


朝、双子池は水面から乳色の霧を流していた。あまりに静かなので少し寝過ごしてしまった。

テント場を発つとまた1人だ。鹿が2頭いたが、訝しげにこちらを見て立ち去った。昨日こちらは鹿になりかけたのだが。

天気はいい。そのまま下山するのは惜しいので蓼科山へ登る。天祥寺平というところから登っただが、涸れ沢を登るような道だ。また鹿柵にかからないかと思ったが、今回は何事もなく蓼科山荘に着いた。

蓼科山の山頂手前で昨日テント場で話したお姉さんと再び会った。少しおしゃべりして頂上へ行く。百名山だけあって賑わっている。岩の上ではしゃいでいる女性3人組がいた。

サブテーマの考察をすっかり忘れていたが、どうやら山女には元美人、または元美人と思われる方が多い。現美人はいないのかと言われそうだが、元美人も何年か前は現役だったはずだ。現役美人時代に山女だったかについてコメントを控えるが、「美人なし」などと言ってはならない。


蓼科山からの下りでは登山道への入口がわからず、再び鹿男になりかけたが、結局登り返して登山道を見つけて下山した。

よく「山ガールっていうけど、かわいい女の子いるんじゃない?」などと飲み会でしょうもない質問をされることがあったが、「あれは着ぐるみです」と答えるようにしている。美人などというものは相対的評価なのだから、美人が多いという現象そのものが起こり得ない。

ただ、今回も山には年配の方が多いのと、年配でも夢中になれるものがある人は素敵だなと感じて山を後にした。